82 もうひとつの片思い
雨の日の昼休み、3組の
樋口は、2年前は1年2組にいた。つまり陽佑や連城とは同じクラスだったので、「オカン」の裁縫の腕前はよく知っていた。2年生のクラス替えで3組になってしまったが、今でも仲は良く、暇なときは村松などもまじえてバカ話に花を咲かせることがよくある。山岡と同じサッカー部員で、成績は陽佑のすぐ下あたり。顔の造作はいい方だろう。その上陽気な性格なので、俺より女子にモテるだろうなと陽佑は思っている。
「おし、できた」
連城がハサミで糸を切るまで5分とかからなかった。
「サンキュ」
樋口が連城を拝み倒す。
「そーいや、ヒグっちゃん、志望校どこだっけ」
スラックスを樋口に差し出しつつ、連城はふと思い出したように問いかけた。
「ああオレ、
急に樋口の返答が、虚ろになった。目線が、教室の窓から廊下へ漂っている。何気なく、陽佑と連城は注意をそちらへ向けた。樋口と同じ3組の
……連城は、裁縫道具を片付けながら、おもむろにトラップを設置した。
「いつ告るんだ?」
「そんなの無理に…………っでっ!?」
奇声を上げ、樋口の顔が一瞬で熟した。罠の中央も中央を踏み抜いてしまったことに気づいたのである。
「なにが、なにを、なにが」
「丸篠だろ?」
それでも一応声を落として、連城は紳士的に圧をかける。
「ちが、ちが、ちが」
「ごまかすなよ。運動会で、俺が黄組の応援合戦の衣装撮らせてくれってヒグっちゃんに頼んだことあったよな。あのとき自分から、女子のもいるだろって、わざわざ丸篠を呼んで、どさくさまぎれにふたり並んだ写真撮らせたじゃねーか。あれで、バレてないとでも思ってたのか?」
「そんなことあったのか?」
陽佑は軽く驚いて、連城と樋口を見比べた。
「ばっ、でっ、まっ」
「あの写真渡したときの、ヒグっちゃんのはしゃぎっぷりときたら、もー、な」
「あど、えで、うが」
樋口の顔が福笑いのように歪んでいる。連城は吹き出すのをこらえてから、陽佑に補足説明してくれた。
「そーゆーことかとわかったから、丸篠にあげるつもりだった写真も、ヒグっちゃんから頼むわって預けたんだ。そしたらヒグっちゃん、教室に戻るときにスキップ踏んでたんだぜ」
「わかりやすいな」
「えぐ、ほが、むげ」
「ヒグ、日本語話せよ」
陽佑は苦笑をおさめてそう言ってやった。雨のせいもあって、昼休みの教室は騒々しく、多少声を上げた程度で聞きとがめる奴はまずいない。
写真のエピソードは知らなかったけれど、陽佑も薄々、樋口が丸篠に好意を持っているらしいことには気づいていた。所用で3組をのぞくと、だいたい半分くらいの確率で、樋口は楽しそうに、丸篠と口ゲンカしているのだ。男子と一緒にいるときでも、ふとした拍子に樋口の目がどこかへ流れていき、その先にはたいがい丸篠がいることを、いつしか陽佑は把握していた。
丸篠も2年前は同じクラスだったので、陽佑もまるきり知らない女子ではないし、一緒に図書委員を務めたこともある。コーラス部員だ。客観的事実としては、まあまあかわいい部類の容姿じゃないか、と陽佑は軽く照れつつ分析する。樋口と丸篠は、クラス替えで2年3組になった。つまりこのふたりは三年間同じクラスにいることになるのだった。
「……誰にも言うなよ」
言語を取り戻した樋口の第一声がそれだった。
「言わねって」
陽佑が請け合い、連城が数回頷くと、樋口はスラックスをひったくるようにつかんだ。
「志望校、丸篠と一緒なのか」
「まあな……偶然だよ、合わせたわけじゃねえ。……本当に言うなよ」
「わかってるよ」
いまいましそうな赤い顔のまま、樋口は床を蹴飛ばして2組を出て行った。
からかうつもりも、言いふらすつもりもない。樋口の感情は、対象こそ違うものの、陽佑も連城もよく理解できるのだ。だから「自分がされて嫌なことは、他人にもやっちゃいけません」という基本原則を守るだけの話だ。ことに自分たちは、「自分がされて嫌なこと」が非常に具体的に、明確に、想像できるとあっては……。
「高校が一緒だったら、また状況変わるのかな」
ぽそ、と陽佑はつぶやいた。
……誰と? 連城は、そんな質問はしてこない。
高校生になったら……自分たちはどう変わるのだろう。感性というか、人間性というか、そうしたものも、今よりもっと大きく変わるのだろうか。そのとき、すぐそばにあの子がいたとしたら。
でも、そのために自分の志望校を変えるというのも、話が違う気がする。最寄りの北高でさえ、のんびり歩いて通える距離ではない。入学してしまえば、通学は現実問題だ。農業高校などの技能系の学校ならまだともかく。それに、カリキュラムや校風の相違もある。
「……なんか、ズルいよな」
連城もこぼした。自分が理不尽なことを言っていると、わかっている表情だった。ぱちん、と裁縫セットを閉じる音がした。
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