74 相談役の業務日誌

 ある日の放課後、組集会が終了した後、陽佑ようすけは1階の1年2組をそっとのぞいてみた。かつて陽佑自身もいた教室である。クラブに向かう者あり、ダンスの復習をする者あり、大体において真面目である。よしよし、と思っていると、ひとりの男子が落ち着かない表情で、廊下に出て陽佑に近づいてきた。

「やあ」

「どうも……学年応援代表の、室井むろい、です」

 ああ……陽佑も、各学年でいろいろ担当する生徒の名簿はもらっているので、室井という姓は覚えていた。ただ顔と一致していないだけである。

「なにか困りごと?」

「ええと……実はよくわからないまま就任してしまって……どういうときに、何をやればいいんでしょうか」

 陽佑はとっさに反応できなかったが、そりゃそうだ、と口から飛び出した。自分たちが1年生だったとき、クラスでは大野が就任したのだが、あいつはああいう奴だから、自分が必要とされたタイミングを察してぱっと行動して、1年生の応援を主導していた。ああいう奴じゃないとさっとは動けないかもしれない。こう考えると、やっぱり大野はたいした奴だと思う。気性の違う1年生が戸惑うのは当然のことだろう。まして彼らには経験もない。

「わかった。ちょっと考えてみるから、少し時間くれる?」

 宿題を預かって、陽佑は考え込みながら2階に上がった。考えてみればそうだよな。学年応援代表にちょっとしたオリエンテーションくらいあっても……あ、これかも。


 2年2組も、去年陽佑も過ごした教室だ。連城れんじょうと一緒に寄りかかっていた、廊下と教室の境界線の窓に、今度は廊下側から寄りかかって、そっとのぞいてみる。……梅原が俺たちと話すときって、こんなアングルだったのか。

 2年生は、1年生よりは多少の余裕が見られる。余裕といおうか……ちゃらんぽらんな雰囲気にも見える。俺らも去年こんな感じだったんだろうか。ああ、去年のことってあんまり覚えてねえな。忙しかったから……。

 教室の片すみに集まってぶつぶつ言っているらしい、数人の男子に目がとまった。3年生の愚痴でも言っているのかとおかしくなったが、ただならぬ雰囲気と、聞こえてきたいくつかの名詞と固有名詞が気になって、陽佑は声をかけてみることにした。

「よう」

「あっ…………ちーす!」

 廊下の窓から3年生に声をかけられ、明らかにマズイという様子で、男子らは立ち上がって取り繕った。

「なにか、不満でも抱えてるのかな」

「あー……えーと、あのー……」

「告げ口はしない。でも問題なら対処しなくちゃいけないから、ちゃんと話してくれないか。わからないと改善のしようもないし」

「……………………」

 男子らは気まずそうに互いにつつき合っていたが、どうやら代表者が決まったらしい。ふたりほどが歩み寄ってきた。ほかの生徒に聞かれないよう、陽佑は廊下の片すみに彼らを移動させた。近藤、仙波せんばと名乗った彼らは、ある不満を陽佑にぶちまけてきた。彼らのダンス指導にあたる3年生がやる気がなく、ほかの生徒たちより指導が大幅に遅れている、というのである。これは問題だった。近藤と仙波は、ぐちぐちと不平を垂れ流すのではなく、こういう点が気がかりで不満だ、遅れを取り戻せないなら指導者を変更してもらうことはできないかという具体的な提案まで、理路整然と話してきた。しっかりしてるなこいつら、と陽佑は内心で思った。もしかすると、クラス内では土田に似たポジションにいるのかもしれない。陽佑は、彼らの指導にあたる3年生は誰かたずねてみた。全員はわからないが、吉野よしのという先輩がいたと教えてくれた。

「不満はもっともだ。これは組全体に影響する問題だから、必ずなんとかする。少しだけ時間くれ」


 感情を出さないように請け負って、陽佑は3年2組へ戻った。衣装班はまだ被服室で作業中らしく、デコレーション班も作業中で、教室の生徒たちは狭そうに、おしゃべりしたり打ち合わせをしたりしている。

 ええと、何だったかな。

「須藤」

 どこかへ行こうとしていたらしいのを危うくつかまえる。

「1年の応援代表が、具体的に何やればいいのかって、戸惑ってる。どうにかできないか」

「ああー……そうだな。話してみるか」

「この際2年の応援代表もまじえて、打ち合わせとかしてみたらどうだ? その方が組全体として統一性とれるかもしれないし」

「おお、いいなそれ。わかった、明日にでもコンタクトしてみる」

 須藤は大急ぎで行ってしまった。

 ……こっちはまだいい。問題は、……。

 陽佑は、タブレット端末の動画で練習光景をチェックしていた、ダンスの振付班に近づいた。

「堀川、ちょっといいかな」

 あまりいい話ではないので、隅の机に座って、2年生男子からの苦情を伝えた。顔をくもらせた堀川は、名簿でチェックする。彼らの指導にあたっているのは吉野のほか、岸、田口。ああ、と堀川が小声でつぶやいたのは、こいつらか(意訳)、という感情だろう。この3人は普段から行事などに思い入れがないらしく、積極的に参加したがらない。個人的にはそれでいいのだろうが、今回は周囲に迷惑がかかる。放置はできない。


「あいつら、自分の受け持ちパートのダンスができない、ってことはないよね?」

「ないと思う。ちゃんと教えてるから。忘れたんなら聞きに来ればいいと思うし。……教える気がない、ってことかな」

「お手本を見せるのも、すごく嫌そうらしい。あとは練習時間中、うすら笑って黙ってるか、内輪の雑談に花を咲かせている状態、だそうだ。指導を受ける下級生がみんな困惑してる。あのグループは、もう2年生があの3人を舐めてかかっていて、近藤と仙波がそれを抑えている状態に見えるな。1年生の反応は情報が得られなかったけど。ちょっとまずいかもしれない」

「……なんでこの3人をそろえちゃったんだろう。立ち位置的に仕方なかった部分もあるんだけど…………わかった、ちょっとこの3人に話してみる」

「できれば土田に立ち会ってもらった方がいい。あいつら3人に女子ひとりじゃ、まともに聞いてくれない可能性があるから」

「そうだね、ありがとう。……さすが桑谷くわたにくん」

「じゃ、とりあえずまかせるよ」

 陽佑はさっさと立ち上がった。土田も葉山も不在だったので、どう話しておこうか、ちょっと迷う。メッセージアプリで送った方が確実かとも思ったが、幹部全体で共有するには早いかな、などと考えつつ、一旦教室を出た。被服室も「うろうろ」しておこうと思ったからだった。

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