69 リーダーおおいに悩む

 夏休み初日、陽佑ようすけ連城れんじょうが市立の図書館で宿題に取り組んでいたら、陽佑のスマホが震動した。土田からだった。土田とは連絡先を交換しているが、用件はたいがい学校で直接会えば事足りてしまうので、実際に連絡を取ったことはあまりない。2年生の3学期、ホワイトデーのお返しを買いに行く際、待ち合わせに使った程度である。

 エントランスに出てかけ直した。昼までバスケ部の練習に出ているのだが、昼食につきあわないかという提案だった。陽佑は、今連城と図書館にいるということを話したが、一緒でかまわないという。普段の陽気な土田に似合わないトーンを感じ取った陽佑は、即座に承諾した。席に戻って、連城に事情を話すと、軽く驚きつつもOKしてくれた。どのみち、昼はどこかで食べて帰るか、という話をしていたところだったのだ。


 ふたりは昼よりやや早めに図書館を出て、学校最寄りのジェイバーガーに移動した。かつて転校して行った城之内じょうのうちと別れを惜しんだところだ。少し待っていると、ヘルメットをかぶった汗だくの半袖制服が自転車を漕ぎ漕ぎやって来て、あちー、とこぼした。

「悪いな、待たせて」

「いいや、おつかれさん」


 昼食時だけあって、店の中は客であふれ返っている。エアコンの効果が相殺されてしまうほどだ。それでも3人それぞれ注文をトレーで受け取る頃、1階席の片すみに空席ができ、そこを占領することができた。あいにくといおうか、とてもとても日当たりのいい席である。さっさと空いた理由はそれだろう。ひとまずジュースで乾杯する。

 バスケ部は数日後に控えた県総体へ、最終調整を進めている。調子はどうかと主将に話をふってみた。調子そのものは悪くない、あとはメンタル的なところかな、と答えたあたりで、土田の表情がわずかに曇った。――陽佑としてはあたりさわりのない話から入るつもりだったのに、あたりさわりまくってしまったようだ。


 その後しばらく、土田は無言のままてりやきバーガーに取り組んでいたが、ゆがんだ半月のようなフォルムになったバーガーをおろすと、ぼそっとたずねた。

桑谷くわたによう……文化祭の提案するときって、……怖くなかったか」

 陽佑はストローを口から離した。タイミングが悪かったので、行儀の悪いしずくが手の甲に落ちたことに、後になって気づいた。おれ外そうか、と腰を浮かした連城を、土田は押しとどめた。

「いやいい、連城にも言ってしまうけどな。……おれは、リーダーやってんのが、…………怖いんだ」

 土田の視線がテーブルに落ちた。

「小学校の頃からだけどな、おれまとめ役とかやること多いんだよ。中学入ってからも、クラス委員とか、学年応援リーダーとか、指揮者とか。バスケ部の主将とか。今度は運動会のキャプテンだろ」

 ――確かに多いよなあ。陽佑と連城はそれぞれに、脳裏で土田の活躍を思い返して、しみじみと同意した。……不思議なことなのだが、リーダーや責任者を決める際に、つい頼りたくなる人物はいるものだ。結果として、同じ奴ばかりが責任者という展開になる。そういう自分たちも、土田に重荷を背負わせたひとり、ではある。


「いや、みんなが頼ってくれる気持ちは、純粋に嬉しいんだ。嬉しいんだけどな……自分では向いてねえと思うんだよ」

 土田は、指を紙ナプキンでぬぐって、両ひじをテーブルに乗せた。

「おれは……人から頼られるような力量ねえし、小心者だ。うまくいったことも、そりゃあるけど、それはおれの力じゃないし、うまくいかなかったときだってある。それなのに……なんでみんな、またおれをリーダーに推すんだろう。なんで……」

 連城が音を立てないよう、ハンバーガーをおろすのが、陽佑の視界の端に映った。

「それとも……面倒だから、おれに押しつけとけって思われてんのかな。もしかして」

 ……陽佑はあちこちに視線をさまよわせてから、聞いてみた。

「急に、気になりだしたの?」

「いや、まあ……以前からぼんやり、なんでかなーとは思ってたんだけどな。最近うちの部員で、なんかメンタルつまずいてる奴がいてな。自分は所詮にぎやかしで、リーダーになれる器じゃねえ、しょっちゅうリーダーやってる奴はどういう心境なんだって」

 にぎやかしか。大野みたいな奴かな。……そういやアイツもバスケ部だったっけ? いや、土田がこの場で話したいのはソイツのことじゃないだろうから、個人を特定しても意味はあるまい。

「で、答えたんだ。にぎやかしだって大事な仕事だ、それを理解するか、嫌なら自分でなりたいポジション見つけるかしろって。――覚悟が決まってねえのはおれも同じなんだって、ふと気がついた。そしたら急に……今までやってきたバスケ部の主将とか、運動会のキャプテンとか、怖くなってきて」


 覚悟……。


 ちょっと笑いつつも、土田が小さく震えていた。女子のいる前では……いや、大多数の男子の前でも、土田が絶対に見せないであろう姿で、そこにいた。


 おれは弱い――。


 もっとも知られたくない部分を、自分からさらけ出して。


「お前は怖くなかったのか。前からずっとあるものを受け継ぐわけじゃなくて、自分が主導して新しいものを作るってこと……怖く、なかったのか」

 ――アホなこと聞いたな。土田は目を泳がせた。怖くなかったのか。怖くない? 新しいことを始めるのに、怖くない人間がいるのだろうか? しかも、自分でゼロから企画立案して、みんなの前で演説までして、その後も自分が主導して準備に走り回って。自分のではなく他人のステージのために。……それでも問わずにはいられなかった。自分には絶対にできないことをやってのけた、目の前の男に。おとなしくて温厚そうに見えるのに、自分よりもずっと……。

「俺がやったのは、リーダーじゃなかったからね」

 小さく笑って、陽佑は答えた。



 どう言えば、いいだろうか。陽佑は見極められなかった。自分が話せることは、土田が求めているものではないかもしれない。自分がつかんだものは、土田がもう持っているものかもしれない。

 それでも――彼に、見せてほしいと言われて、見せられるものはこれしかない。


「俺は……うーん……リーダーじゃなかったと思う。呼びかけ人、かな。盛り上げてくれたのは俺じゃない。むしろ……こいつに聞いたら?」

「いっ!?」

 陽佑に人差し指を向けられて、連城がおかしなバランスでのけぞった。

「だってあのファッションショー、リーダーはお前だろ。な、土田?」

「そうだ、連城センセがいるじゃねえか」

「センセってなんだよ。矛先向けんなよ。土田が聞きたがってんのはお前だろー?」

 少しだけ、席に笑顔が戻ってきた。


「土田、俺はさ。あのときも言ったけど、……文化祭を提案はしたけど、それを面白くする能力は全然ないんだ。舞台に出た人たちのようなことは、俺にはできない。連城のようなアイディアもセンスもないし、土田みたいにモデル役もできない。ただ提案して、枠組みを作っただけなんだ。その枠組み作りってのも、ひとりでは、できなくて……」

 ……そう、俺は、自分ひとりじゃ何もできなくて。

「俺は、リーダーってのは、本当は繊細で、自分は弱いって自覚している人じゃないと、務まらないんじゃないかって思う。そういう人はじゃあみんな、リーダーとして適正なのかっていったら、別の話になるけどね。繊細だからこそ、いろんなことに気が回るし、自分は弱いってことを知っているからこそ、多くの人をまとめられるんだと思う。けど、去年の福田さんとか、菊田きくたとか、あとお前見ててわかったんだけど、リーダーは状況によっては、豪胆な顔と豪胆な態度とらなきゃいけないときがある。豪胆さと繊細さと、両方持っている人に、みんなが頼りたくなるのは、自然なことじゃないかな」

 俺は自分が無力だって自覚はあるけど豪胆さがないから、リーダーに向かないんだろうな……心の中でそっと、つけ加える。


「その、文化祭の準備の中で、思ったんだけどさ。世の中って案外、単純な仕組みでできてるんだな、って」

 正面から土田の、右から連城の、視線を感じる。

「ガキの頃、世の中っていろいろ、全自動でできているって思ってた。食事時になればご飯が食べられて、テレビつければ番組やってて、スマホ触れば情報が手に入ってゲームができて、お店にいけばいろんな品物が並んでいて、電車だってバスだって乗るだけでよかった。けど、食事って手間暇かけて作ってるものだったし、番組だって人が制作したものだし、スマホの情報もゲームも人の手で作って配信しているものだし、お店の商品だって作っている人がいて、電車もバスも運転している人がいる。当たり前のことなんだけど、ガキすぎる頃って、そういうことに思い至らなかった、っていうかさ。文化祭とかのイベントも、意外と単純な仕組みだったんだって実感した。ばかばかしく思えるくらい小さなことを決めておかないと、あれが実行できない、なんてことがいっぱいあって……世の中のものって、そういう小さな決定が積み重なって、動いているのかなって」

 ……この例えって適切なんだろうか。ちょっと疑問だったけれど。


「で、これも当たり前なんだけど、文化祭の準備してて、いろんな人を見たよ。楽しみにしてるって励ましてくれた人、あからさまに否定してきた人、協力してくれた人、はっきり態度に出せないけど実は応援してくれていた人、俺を試す人、とかね。けど、最終的に、生徒総会でたくさんの人が賛成してくれて、提案を通してもらえて……世の中の仕組みって、案外、人の心が単純に反映されたものなのかもしれないって」


 話がなんだか土田から遠ざかってしまった気がする。えーと、なんかな、と陽佑は首をひねりつつ、着地点の修正を試みた。

「要するに、人が、頼りたい人を頼るのは、自然な流れってこと、だよ。……土田、自分がリーダーやってうまくいかなかったときもあるって言ってたけど、……土田が頼もしくなかったら、みんなそう何回もリーダーに推さないと思うよ」

 土田が軽く目をみはって、上体を小さく引いた。

「俺がやったのはリーダーって立場じゃなかったけど、怖いか怖くないかでたずねられたら、怖かった。怖かったよ。でも、生徒総会で言葉につまったときなんか、連城とか、がんばれって思ってくれてるのが伝わってきた気がする」

 たぶん双川ふたがわもそうだったろう。山岡も。

 土田もそうだったのかな。クラスのみんなは……?

 それに……後押ししてくれる子がいたからな。――桑谷くんなら、できるよ。……俺の知らない俺を、今まで自分で知らなかったような勇気を、……引き出してくれた。

 隣の席で連城が、うんうん、とうなずいている。

「そうやって、ぶつかって、道がひらけたときに、勇気出してぶつかってよかったって、そう思えた。去年の福田さんとか、今年の菊田とか、生徒会長やってる人なんて、どれだけ怖いんだろう。そのかわり、やってよかったって思える瞬間がどのくらいあるんだろうとも思った。……土田は? やってよかったと思ったこと、一度もない?」

「そりゃ、まあ、あるけどさ」

 それが役得じゃないかな、と陽佑は言った。


「……と、俺は思うんだけど、連城はどう思う?」

「まあ、おおむね同意だな。土田は、自分が向いてないとか、自分を歪めなきゃとか、そんな方面に考えない方がいいと思う」

「…………そうか」

「そうだよ。みんな、そういう土田だから、頼っちまうんじゃねーかな」

「……なるほど、な」

 土田の返事はまだ雪解けしていなかったが、暖かな陽光の気配は表情に差し込みつつあった。


「……食おうよ」

「そうだな」

 3人はほぼ同時に、ハンバーガーを持ち直した。

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