68 鏡よ鏡

 ……わかっていた。いつの頃からか、気づいていた。

 自分はただのにぎやかしだ。リーダーが務まる器じゃない。

 自分でも、リーダーに向いていると思ったわけじゃない。

 だけど…………。


     〇


 んがあ、と異様な声を上げて、大野敏行としゆきは水筒をあおった。スポーツドリンクの味が喉にしみこんでくる。うっかりこぼしそうになり、水筒をおろして急いであごを手でぬぐう。お先です、と部員たちが次々に更衣室を後にしていく。おうお疲れ、と返事して、タオルでもう一度顔を拭く。大野自身はもう制服への着替えは済ませている。次のバスの時間まではまだ余裕もあった。


 市の総体が終了した。県総体へ駒を進められた部もあれば、健闘むなしく敗れ去った部もある。男子バスケ部は勝ち進むことのできた部だ。喜んでいる暇はない。今月下旬の県総体へ向け、全力で練習に打ち込む日々が続く。


「ういーっす」

 先生と打ち合わせをしていた主将の土田憲二けんじがようやく更衣室に入ってきた。汗だくのジャージ姿だ。おー、と大野は返事して、なんとはなしに、そばのロッカーに寄りかかる。背後で土田が制服に着替える気配を聞きながら、今日の練習をネタに雑談を始める。いくつか冗談を挟むと、土田はいつもげらげら笑ってウケてくれる。ばたん、とロッカーを閉じる音がしたので大野は振り向いた。土田がジャージのバッグを振り回して肩にひっかけるところだった。クラブ活動の際、更衣室にリュックなどの荷物を持ち込むのは認められていないので、一度教室に戻らなくてはならない。更衣室のドアを開けたところで、入れ違いにバレー部員が押し掛けてくる。


「土田よう、お前2組の運動会キャプテンなんだって?」

「そうなんだよ、荷が重いわ」

 長身の土田ははあっと天井に息を吐いた。

「お前、なんでもリーダーだな」

「ガラじゃねえんだけどな……」

 土田は、小柄の大野に目を落とした。いつもの陽気な大野とは違う口調に気づいたからだった。

4組そっちは? キャプテン誰だっけ」

「池田」

「あいつか」

 ……それきり大野が沈黙したので、土田はいよいよ水を向けなきゃいけないかなと思った。

「なんだよ、お前がやりたかったのか」

「そういうわけじゃねーよ。オレそんな器じゃねえし」

 返答して大野は突然、とても嫌なものを思い出して、眉根を寄せた。


「……なんでもかんでもリーダー押しつけられるって、どんな気分だ?」

「ん?」

 自分と並んで廊下を歩く小柄な盟友に、改めて視線を落とす。珍しく、表情が腐っていると見て取ると、土田は窓の外に目を転じた。さすがに夏とはいえ、クラブ練習の後となっては空が暗色に占領されかけている。

「やりたかったんなら、立候補すりゃいいじゃねえか」

「そういう話じゃねーよ」

 大野が苛立たしそうな声を張り上げた。こりゃだいぶきてるな、と土田は内心で覚悟した。


「……オレはいつだってにぎやかしだ」

「…………」

「自分でわかってるよ。にぎやかすけど、まとめ役には向いてねーんだ。オレはいつも、騒がしく盛り上げるだけ。けっこう前からうすうす気づいてた。けど、自分で気づくより前に、会った瞬間に一発でオレの本質見抜いた奴がいやがった。腹立つわ」

「なんだそりゃ」

「1年ンとき、同じクラスにいた女子なんだけどな。初めて会ったときから、ああコイツにぎやかし野郎だな、みたいな目ェしてやがった。軽薄な野郎認定されたみたいで、不愉快でしょうがねえ」

「当人からそう言われたのか」

「言われてねーよ。けど、そんな感じでオレを、つまらなさそうに見やがるんだ。ムカついてさ」

 舌打ちに似た音が、大野の唇からほとばしる。

「…………」

「で、もっと腹立つのは、ソイツの指摘が当たってるってことに、後から気づかされたってことなんだよ。そしたらなんか……自分がすっげーツマンネーものに思えてしょうがなくなってさ」

 いや……少し違うな。

 みんなを盛り上げることにも、冗談のセンスにも、自信があった。クラス全員を笑わせる自信があった。そういうポジションは好きだった……好きだと思っていたはずだった。


 だけど、そいつがひとりいるだけで。


 自信がなくなる、のではない。自分そのものが、ぼろぼろと分解されていく。存在すること自体を拒否されているような。必死ですがりついているものが、霞んで消え去りそうな恐怖にかられ、オレはこれからどうしたらいいんだとわめきたくなる。その思いに一旦とらわれると、攻撃の衝動ががつんと突き上げてきて、ブレーキがあっさりと焼き切れ、止められなくなる。そしてますます、「こうあるはずだった自分」との乖離かいりが進んでいく。それが認識できるだけに、さらなる醜いいらだちが沸き上がり、ただ一点へと向けられていく。


 そして……。

「やめろよ」

「ハタから見てても気分ワリいんだよ」

自分テメーの言動を客観視するって、おもしれーだろ?」

 ……によって突きつけられた鏡には、本当に醜くなり果ててしまった自分自身が映っていた。



「当人に言われてねえんなら、ただの思い込みだろ。……お前、その女子に嫌がらせとかしたんじゃねえだろうな」

 土田は大野を見た。大野は口をへの字に曲げて、ぷいっと向こうを向いてしまった。――したな。コイツ自分の感性と合わない奴には、けっこう冷たくあたるところがあるからなあ……同じクラスになったことはないが、クラブで一緒にいるし、それ以外でも接点がまったくないわけではないので、さすがに気性はだいたいわかる。

「お前、にぎやかしって立場が嫌なのか」

「それ自体は特に嫌じゃねーよ。けど」

「にぎやかしがつまらない立場だと思ってるのか」

「そーゆーワケじゃねーけど」

「あのなあ」

 土田はあきれて、大野を軽くにらんだ。

「本人に何も確かめてないんなら、そりゃお前が自分で勝手に、いいがかりだと決めつけてるだけだろうが。……お前が腹立ててる相手は、お前自身ってことだろ。他人に八つ当たりしてどうする」

「やつあ……」

 激高しかけた大野は、急に黙り込んだ。

「お前、自分で、心のどこかで、にぎやかしなんてつまらねえと思ってんじゃねえのか」

 土田の視界の中で、大野はそっぽを向いたままだ。


「にぎやかしだって立派な役目だろうが。運動会の学年応援リーダーやったことのある奴が、そこ否定しちゃ駄目だろ。お前のにぎやかしで助かってる連中だっているはずだぞ。……おれとかな」

「お前が?」

「お前がムードを作ってくれると、おれとしてはやりやすくて助かる」

「……………………」

「……その女子と今どういう状態なのか知らんから、謝っとけとは言わねえけどさ、自分で自分をどうしたいのか、考えた方がいいんじゃねえの」

「自分で……」

「にぎやかしという役目の大切さを見直すか、それとも別のポジション探すのか。そのくらい自分で決めろや。……おつかれ」

 大野が足を止めてしまったので、土田は放置して、先に帰ることにした。これ以上自分が一緒にいても、大野の思考の邪魔になると思ったからだった。それに、そこまでつき合ってもいられなかった。


 ……なんでもリーダーを押しつけられて、か。確かにおれ、多いんだよな。そんな器でもねえのに。……おれ、そんな風に見られてんのかな。


 3年2組に帰り着くと、クラブ上がりの生徒が何人か残っていて、お菓子をぱくつきながらしゃべっていた。お先、じゃあな、なんてあいさつを交わして、リュックを背負って教室を後にした。いつもより荷物が肩に食い込んでくる感触があった。

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