66 ”One”

 誰にとってもまだ経験したことのない、慌ただしい春は過ぎて行く。1年後はどうなっているのだろうと、小さな怯えを隠しながら。クラブによっては、中学最後の大会が始まったところもある。主将や部長としてクラブを引っぱる面々は、今まで見せたことのない表情に変わっていた。相次ぐ試験。そんな中で、中学最後の合唱大会も準備が始まっていた。


 3年2組では、今年の自由曲はミュージカル・コーラスラインのテーマ曲である「One」と、「第九」が候補に挙がっていた。誰かが教室に持参したCDを聞かされたが、確かに合唱の迫力はどちらもある。ただ第九は「年末じゃあるまいし」「年越しそばがほしくなる」「ちょっと難しくないか」という意見で敗退し、「One」が採用された。現在でもCMなどに使用される曲なので、部分的に知っているという生徒はけっこう多い。去年と同じく、指揮者は土田、ピアノ伴奏は荻野おぎのと決まって、さっそくパート分けとなり、楽譜が配られて練習が始まる。


 興味をそそられた陽佑ようすけは、自宅でオンデマンドを検索し、コーラスラインを視聴してみた。……なるほど、バックダンサーオーディションでの群像劇なのか。……ああ、ここで流れる「One」は確かに圧巻だな。踊りながら歌うのが前提の曲で、決してハイテンポではないのだが、体がついはずんでしまう、小気味よいリズムだ。これをハモれれば、かっこよさそうではある。


「One」は混成四部合唱だ。陽佑は低い方の男声パートに入った。連城れんじょうは高い方である。上手下手はあるものの、クラスの一体感は去年の比ではなかった。クラス替えがなかった効果だろうか。連城や須藤程度の音痴は全員でカバーしつつ、完成度は上がっていった。特にクライマックスの絶唱は、ほかのクラスが廊下に偵察に来るぐらいに大きく響き渡っていた。不思議なくらい、全員に一体感ができて、ますます気分が盛り上がる歌だった。たぶんあのラストシーンのように、全員で並んで肩を組めるくらい、本人たちがノれる。なにより、歌っているうちに体が自然にはずんでしまうところが、ミュージカルの曲ならではだ。


 本番も迫ってきた頃に、ひとつの問題が起きた。歌う人間がつい、本当に体をはずませてリズムをとってしまうことである。これは体が安定せず、結果として声が安定しないのではないかと、疑義が呈されたのだ。体をはずませずに歌う方がいいという「菊田きくた派」と、体がはずむのは歌っている人間がノっている証だから抑えつけない方がいいという「堀川派」に分かれて話し合った。多いのは堀川派だった。というより、この歌は体を安定させて歌うのは難しいという意見が多かったのだ。陽佑も堀川派に一票を入れた。最終的に、歌いやすさを重視して、体をはずませてよいことになった。


 盛り上がったまま、合唱大会当日になだれこみ、3年2組は奔流のままに総合優勝を勝ち取った。もう二度と訪れることのない行事のひとつを、優勝で飾れたことは、単純に嬉しかった。

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