63 分かれ道

 覚悟していたことではあるが、3年生の試験の回数は、これまでの比ではなかった。配布された年間予定表を見て、誰もがうめき声を上げたものだ。しかし、もう後戻りはできなかった。心なしか、誰も顔つきが変わってきたように思える。


「ねえねえ、桑谷くわたにくんは高校どうするの」

 堀川がたずねてきた。あたし西高にしこう、と付け加えながら。なんだか最近、堀川にやたら話しかけられている気がする。一緒にクラス委員を務めた時期はとっくに終わっているはずなのだが。

「俺は北高。……あ、西山お前、図書館の本返せよ」

 西山の姿を見かけて、陽佑ようすけは慌てて捕まえた。

「あ、わりい悪い」

「悪いと思ってないだろ。3学期から滞納してんの、お前だけだぞ」

 陽佑は今学期の図書委員である。クラス委員は免れたが、何かの委員をやらされそうになったので、経験したことのある図書委員を自分で選んだのだ。文化委員だけはもうごめんだった。


 そんなある日の放課後、陽佑と連城れんじょうは、廊下を通りかかった梅原を呼び止めた。3階の教室に変わっても、陽佑と連城の定位置は例によってあの場所だった。廊下に面した窓辺。通りかかった梅原を、呼び止めたのだ。話のついで、という風を装って、連城は梅原に、進路の話を振ってみた。無論、陽佑も連城も、おのおのの希望をざっくり明かしてからのことだ。

「そうねえ」

 梅原の視線が、陽佑たちから離れた遠距離へさまよう。

「子どもの虐待問題と戦いたいな、と思ってるの」

「おっ……」

 陽佑も連城も、とっさに言葉を失った。

「なんか、そう思ったきっかけがあるの? 近所で見かけた、とか?」

「ううん」

 陽佑の質問に、梅原はふるふると首を振った。

「去年たまたまね、そういうのを取り扱ったマンガを読んだの。なんていうのかな、事実をもとにして若干脚色した、みたいな……」

「セミノンフィクション、とか?」

「あ、それそれ!」

 梅原はぱっと顔を輝かせて、陽佑の言葉に反応した。

「なまじ完全なフィクションじゃなかったから、余計にショック大きかったのよ。こんなことが本当に起きてるんだ、って。でも、それってあくまでマンガだから、現実問題としてどのくらい起こっているのかなって、そういう視点でネットニュースとか見直してみたら、けっこうエグい記事とか統計がいろいろ出てきてね。だから……」


 話すうち、梅原の表情が沈思にかげっていく。あ、またこの表情。陽佑は小さく声を上げそうになった。暗い夜の海に沈んでいきそうな顔。明るくて印象的な目をしていて、どうすればこんな発想ができるんだと聞きたくなるようなセンスを秘めた顔が、影をおびていく。あの目が、夜の海に似ている。普段は相手をまっすぐとらえて放さない光に満ちた目が、こうして考え込むときは海の中に沈んでいく。

 ……どっちもきれいだと陽佑は思う。

 でも、本当の顔は、どっちなんだろう? ……それが、知りたくてたまらなくなる。


「……だけどねえ」

 唐突に梅原は、あーヤダヤダ、という表情を、ふいっと上げた。

「ひと口に言っても、いろんなかかわり方とか立場があるらしいのよ。子どもの命を直接助ける小児科医でしょ、保健所の保健士でしょ、いろんな相談に乗るケースワーカーでしょ、そういう子どもを保護する施設の職員でしょ、児童福祉司でしょ、ほかにもあれやこれや、……調べれば調べるだけ、自分がどれを目指せばいいのかさっぱりわかんなくなっちゃって、迷子。もう少し考える時間、欲しいな。でも小児科医とか医療方面目指すんなら、もういろいろソッチの進路を視野に入れないといけないし、そもそもあたし理数系苦手だし、もうどうしていいやら」

「…………すげー」

 圧倒されたように連城がつぶやいた。

「……この中で俺が、一番かっこよくない進路じゃないか?」

 ぼそ、と陽佑は口走った。いや、進路は他人とくらべてかっこいい悪いで決めていいものではないことは、理屈ではわかる。かっこいいかどうかというより、友人たちが想像以上に進路について考えを具体的なものにしていて、自分が一番考えていないと思われるんじゃないか……そう、結局は他人の目を気にしているのかもしれない。

「何を言ってやがる、理工系狙う奴が」

 この前と同じセリフを、連城が口にする。

「ただ漠然と、それだけだし。……で、俺ら北高受けるんだけど、梅原は?」

南高みなみこう。そっちの方が家と近いし、たとえ医療系に進むとしても、取り返しつきそうだから」

 あっさりと、梅原は即答した。

「……そうか」

 残念だな。――うっかり本音がもれそうになる。およそ大都会とはかけ離れた実情のこの地域では、進学先が異なるということは、別世界に移住してしまうのに等しい感覚がある。……個人的な連絡先が交換できるなら、また話は変わってくるが。それも……個人的な連絡先をどう自然に交換するのかという、超巨大な難問を乗り越えられればの話になる。もしも連絡先を教えてくれと持ちかけて「え、なんで?」――この言葉が出たら、ミスどころか一気にゲームオーバーまでたたみかけられてしまう。それどころか、返事が「ヤダ」であれば、一瞬でギロチン処刑である。少なくとも現状では無謀すぎる賭けだ。


 ……梅原と別れ、陽佑と連城は、気温の解凍が進んできた道路を、並んで家路についた。

「あったかくなってきたな」

「ん」

 言葉少なに、ふたりは歩き続けた。そういえば、いつの間にか桜が終わっている。今年は思い至る余裕がなかったのだろうか。

「……南高か」

「……だな」

 梅原について、話題に出たのは、これだけだった。

 ……なぜか、「南高梅」という言葉が、陽佑の頭に浮かんだ。

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