2学期

49 ディレクター桑谷

「すみません、お願いがあります」

 陽佑ようすけは挙手しながら立ち上がった。

「俺はこのまま、2学期も文化委員にしてもらえないでしょうか。あれを、やりとげないといけないので」

 ああそうか、という空気が、同級生たちに広がって行った。


 2学期始業式の後、各委員を決める席上でのことである。ではまずクラス委員から――1学期にクラス委員を務めた菊田と葉山の進行で始まった瞬間に、陽佑は文化委員を続けたいと申し出た。つまり、クラス委員候補に名前を出さないでくれということだ。

 教室の空気に、では文化委員男子は桑谷くわたにということで、と菊田が発言すると、葉山は黒板の「文化委員 男子」の下に桑谷と書き加えた。


 この頃には、2組の生徒たちも個性がわかるようになってきていた。クラスで2番目に背が高い男子の土田はバスケ部員で、何かと中心になりやすいポジションにいて、合唱大会でも指揮者を務めた。今日、2学期のクラス委員に選出されたのも自然なことと思える。自称「学年1のイケメン」にして「女子にめちゃくちゃもてる罪な男」(女子の反応は別として)で、陽気なお調子者とも言えるが、去年の大野とは少し違い、言ったからにはやるというような、責任感の濃度がやや異なる上、みんなをまとめる力量は持っているようだ。顔が小さくてスタイルが良いのは事実ではある。女子のクラス委員は杉沼という演劇部員で、そのためか発声がはきはきしていて、きびきびした印象を受ける。


 ……このようにして、2学期はスタートした。いきなり運動会という大イベントが迫っているので、さっそく各委員会が招集された。陽佑は去年の2学期は、何も委員をやらなかった「一般人」だったので、もうこんな時期から委員会をやっていたのかと、はじめて驚いた。2組で一緒に文化委員になった女子は、真壁という。ちょっときゃぴきゃぴした雰囲気で、正直なところ陽佑は少々苦手なタイプだが、悪い子ではないと思う。やはりと言うべきか、1組の文化委員はもう梅原ではなかった。軽くがっかりした。


「おお、お前が桑谷か。おもしれえこと始めたな。ヨロシク頼むな」

 最初の議題で選出された2学期の文化委員長は、3年1組の中島という男子だった。文化委員というより体育委員の方が似合っているんじゃないかという風貌で、夏服の着方も少々だらしない(双川ふたがわほどひどくはないな、と内心で陽佑は論評した)。陽佑の企画した文化祭は、結局文化委員会が準備と運営にあたることになったのだ。夏休み直前、陽佑は生徒会執行部に相談した。私的ではあるが、文化祭実行委員会みたいなものを作って希望者を募集し、彼らに準備作業にあたらせた方がいいのだろうかと。

「そこまでする必要はないだろう」

 会長の福田はばっさり却下した。行儀悪くも、机の上に座りこんだ、あまりにもラフな恰好で。こうして見ると会長も副会長も普通の兄ちゃん姉ちゃんだな、と陽佑は改めて思った。福田会長はやや目つきが鋭い以外はこれといって特徴のない容貌だし、市川副会長は陽佑のクラスの葉山という女子と雰囲気が似ている。協議の真っただ中では、ハンパでない威圧感を覚えたものだったが、やはりそれも受け手である陽佑のアンテナが過剰反応していたということだろうか。

「お前、自分で言ったじゃないか。文化系クラブの発表会がメインだって。それなら文化委員会の管轄だ。別の組織を作ってぶっこんだりしたら、かえって混乱のもとだぞ。人手不足だっていうならボランティアを集めてもいいかもしれないけど、文化委員24人もいればなんとかなるんじゃないか。まあ、指揮系統を委員長とお前でどうするのか、そのくらいはそっちで話し合って決めてくれ」

 生徒総会の議決を経ているので、文化祭について執行部は堂々と文化委員会に指示が出せるようになったのだ。書記のつじと、会計の柳井やないがうんうんとうなずく。副会長の市川が小声で「降りなさい」と命じ、会長は「はい」と机から降りた――という小噺こばなしが付属する。

 今学期は生徒会執行部のお声がかりだからか、それとも人柄の問題か、中島は林よりも頼りになりそうに見えるなと、かなり失礼なことを陽佑は思った――今のところは、だ。


 さっそく、文化祭をどのように準備していくかという、重大な問題が待ち受けていた。陽佑は、夏休みに練り上げた運営プランを全員に配布した。パソコンを使って作成したのだが、学校で委員たちに説明するには結局紙の資料が必要になる。まずは日付の経過を直線で表し、事前準備をどのくらい前に済ませなければならないか、事後はどのような作業が必要かをおおまかに書き出したもの。そして当日のプログラムは別紙に、これも時系列で必要な作業が列挙してある。そのほか、必要な手続きや道具、今は時期を確定できないが必要と思われる作業、学校側に依頼したいこと、文化委員全体で話し合いたい問題点、なども箇条書きにしてある。もちろん、これまでの文化系クラブ発表会のノウハウもきちんと織り込まれての準備工程であった。

「……よく作ったな、こんな綿密なの」

 3年生から「わあ」「ほー」と声が上がる。「うわーなにこれ」「ひょえー」と、感嘆よりも大変そうな意味合いが強い声は、1、2年生だ。

「夏休みがあったんで。自分ひとりの頭で考えたことなので、矛盾とか、思い込みとか、足りない部分がいろいろあると思います。そのへんは皆さんに意見をいただけたら」

 謙遜のつもりでなく、陽佑は言った。ひとりであれこれ考えていると、別の視点が抜け落ちる。もう自分ひとりの仕事ではないのだから、ほかの文化委員にも意見をもらわなくては困るのだ。

 1年生の女子が言った。

「これ、1学期にアンケートありましたけど、終わってからのアンケートなくていいんですか? 来年もやった方がいいのかどうかの参考に」

「あれ、書いてなかったっけ? …………ないね。うわ、書き落としてる」

 すみません皆さん、終了後の作業のところに書き足してください。陽佑は言いながら、自分のレジュメにも書き添えた。これ作成しながら考えていたはずなのに、土壇場で忘れたな。やっぱりひとりではうまくいかないものだ。


 文化祭の運営プランを考えてもらうのも大事なことだが、陽佑にはもうひとつ、この場ではっきりさせたいことがあった。文化祭の準備について、指揮系統をどうするか、ということだ。発案者は自分で、自分の思うような文化祭を作りたい気持ちはあるが、委員長は自分ではない。文化委員会の所管する活動になった以上、責任者は委員長の中島であり、副委員長の野木のぎであり、さらに生徒会執行部である。執行部はともかく、文化委員が各自の分担をこなす上で、委員会の内部で指揮をどうすればいいのか。これを明確にしておかないと、文化委員ひとりひとりが混乱するし、下手をすると委員会内部が険悪になりかねない。今このプランは自分の頭の中にしかないけれど、委員長と副委員長にもきちんと把握してもらわないといけないし、自分が3年生に指示を出すのもおかしな話に思えるし。でしゃばり過ぎ、とか思われたくないな。

 おそるおそる、この件についての指示を出す人はどうしましょう、と切り出してみた。中島は、うーん、とうなって黙ってしまった。

「あの、こうしたら、どうかな」

 思わず見上げそうになる、高く細い声がした。副委員長を務める、3年4組の女子、野木だ。なんだか印象が薄そうな外見で、うっかりするといるのかいないのかわからなくなりそうなくらい静かでおとなしい。が、このときはか細い声ながら、言うべき意見を述べた。

「ディレクター桑谷くん、プロデューサー委員長、ということで」

「……………………」

 ぽかん、とした空気が流れる。陽佑は二度ほどまばたきした。ディレクターもプロデューサーもテレビの番組で見かける肩書だが、違いはよく知らない。首をかしげると、野木は補足した。

「あのね、すてきな絵を仕上げるのがディレクター。でき上がった絵をどこにどう飾るのかを考えるのがプロデューサー」

「……ああー……!」

 なるほど、と8割ほどの委員がうなずいた。絵、とは文化祭のことにほかならない。新しくでき上がった絵を飾るためには、どの部屋のどのあたりに飾るのかを決める必要がある。色彩のもたらす効果、部屋の雰囲気、家具とのバランスなど。絵だけでなく周囲の様子を見て考慮しなくてはならない。つまり、陽佑は文化祭を作り上げることに専念し、執行部とのやりとりや学校との折衝といったことは委員長の中島が務める、という提案なのだ。もちろん、両者が頻繁に状況を報告し合うことが大前提だが、これなら無理なく分担できるし、委員長の顔も潰さずにすむし、陽佑もイメージ通りに文化祭を作り上げるための指示を出しやすいし、委員に相談されても「それはアッチに聞いて」と言いやすい。

「それでいこう。3年生も、こういう中身的なことは桑谷の指示にちゃんと従うようにな」

 うぁい、と返事があった。陽佑は内心でほっと息をついた。委員長がああ言ってくれたので、今後は3年生に指示を出すことに気おくれせずにすみそうだと思ったのだ。


 各クラスは急速に、運動会一色に染まってきていた。陽佑は、運動会準備の時間には、文化祭のことを頭から一切追い出すことにして、競技についての話し合いやダンス練習に励んだ。数日後、簡略版の生徒会報として、A3のプリントが全校生徒に配布された。1学期の行事報告、運動会への意気込みといったものが主だったが、1学期末に生徒総会が行われたこと、そこで議決された文化祭の準備がいよいよ始まったことも掲載され、文化委員長の中島の抱負が書かれていた。乞うご期待、という旨の執行部のコメントもあり、陽佑は肩がまた重くなった気がした。いよいよプレッシャーだな、と思った。

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