48 幕間にて

 陽佑ようすけは、夏休み中も週1~2回の割で、自主的に学校に出向いた。文化祭ステージのイメージ固め、という名目で。教室の机に荷物を置き、メモとペン、そして休み中だからいいだろうと、スマホをポケットに忍ばせて。体育館では、運動部の練習とかち合うこともあるが、あちらはアリーナで練習、こちらは用があるのはステージだから、いっこうにかまわない。アリーナの端を通ってステージに上がり、広さを計測したり、ステージの袖の様子を頭に入れたり、照明や音響の設備を見学してスマホで撮影したり、ステージまわりの研究に余念がない。運動部がいない日ならば、アリーナからステージを見上げた印象を確かめたりもできる。必要とあれば、また資料室に入ってかつての文化祭を研究したり、文化委員会のファイルを調べて従来の文化系クラブの発表会準備を勉強したり、先生に質問したりもする。教室に戻ると、持参したノートに覚書をしたり、スマホでネットの情報を集めたりといった作業もする。ついでに夏休みの宿題や1学期の学習内容について、先生に聞くこともできる。たまに、連城れんじょうに助けを仰いで、手伝いに来てもらうこともあった。――特に、楽器の音が聞こえたときに連城に電話し、今日ブラスバンド部が練習してるぞと伝えると、「15分で行く」と即答してくる。ふたりがかりで調べものや話し合いをしたときは、作業が長時間にわたることもある。ブラスバンド部の練習時間が終わってしばらくした頃に、荷物をまとめて1組前の廊下を通りかかると、帰り支度をしている梅原と行き会うこともある。

「あれ、梅原、今帰り?」

「あれっ? 今日も……準備?」

「ま、ね」

 そんなことを言いながら、並んで、靴を履き替え、校門まで歩く。……たったそれだけ、5分間もあるかどうかの、ささやかな喜び。今どんな曲練習してるの、とか話題はそれなりにあるものの、クラブの練習がお開きになるのはたいがい昼だから、あまり長く引き留めるのも気がひける。昼食に誘ってみたい気もするが、自宅の方角が正反対の梅原に、昼下がりの炎天下に自転車を漕がせることを思うと、いまひとつ勇気が出ない。梅原の家族だって、娘が昼食には帰ってくると用意しているだろうから。なにより、一緒に食事しているところを誰かに見られでもしたら、取り返しがつかないではないか。

 ……ということが、夏休み中に5回ほど、うち2回は連城も一緒のときに、あった。十分すぎるだろう。クラブの練習だってそう毎日あるわけではないし、陽佑もさすがに毎日は通えない。もはやどちらが目的で自主登校しているやら、という状態の陽佑であるが、やるべきことはきちんとやっていた。午前中に学校に行くとしても、午後は酷暑という日々であるが、もともとインドア派の陽佑には外出しないことはさして苦にならない。エアコンを効かせた部屋で宿題を進め、時おりゲームで遊びつつ、メモとノートとスマホを展開させて、ステージの計画をイメージしていく。自分が計画してイベントを作るというのは初めての経験なので、過剰なくらい情報を集めないと落ち着かない。集めても落ち着かない。高校生である姉の美陽みはるに文化祭のことをたずねて「はあ?」と言われたが、それでもかなり参考になることは教えてもらった。


 たまに、学校で気になる場面に出くわした。ブラスバンド部の練習がない日、音楽室からピアノの演奏が漏れ聞こえてくるのである。……正直なところ、下手だな、と陽佑は思った。曲そのものは知っている。確か、「茶色の小瓶」というタイトルではなかったろうか。小学生のときに、何かのイベントで歌わされた記憶があるのだが。

 ……また間違えた。ど下手だな、この人。全体的にたどたどしいし。ま、だからこそ練習しているんだと言われたらその通りなのだが。……自分ではピアノも弾けないくせに、偉そうに心中で論評して、陽佑は好奇心を持った。

 誰だろう。

 陽佑は、音楽室のドアにそっと近づいた。わずかな隙間がある。廊下に人影がないのをいいことに、姿勢を落として顔を寄せる。第三者が見れば、どう好意的に解釈しても挙動不審である。


 うめき声が出そうになるのを、懸命に自制した。ピアノと格闘していたのは……副校長の三枝さえぐさ先生だったのだ。針金のような印象の人で、背が高く細く、髪も針金色の、年配の男性教師である。視線も針金のようだし、詰問するように差す指は針金を思わせるし、生徒にかける言葉は、切りっ放しの針金の先端のように、きつく厳しい。厳格で、小言か説教ばかりというのが、主な印象だった。一部の生徒は陰で口さがなく揶揄やゆし、そうでない生徒はため息をこぼすような、そんな先生だ。その副校長先生が……必死でピアノを弾いている。ミスしながら。1曲終えるとすぐさま繰り返して。何度も、何度も。


 陽佑は、そっと後ずさり、起き上がって、音楽室を後にした。スマホで録画しておくといいネタになるのかなという気もちらっと起きたが、やめておいた方がいいという理性の声に吹き飛ばされた。唇を引き結び、目をみひらいて、鍵盤と戦うあの真剣な表情には、いたずら心がかなうはずがなかった。

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