47 夏への扉

 文化祭の開催が決定すると、陽佑ようすけの忙しさは、質を変えてのしかかってきた。開催するための手続きから、具体的な開催準備へと、変質したのである。1学期はもう残り少ない。夏休みに入る前に、決めておかなくてはならないことが山ほどあった。生徒総会が終了すると、2年2組の生徒たちは教室に戻った陽佑を拍手で迎えてくれた。特に山岡の喜びようといったら、後々まで同級生のネタにされるほどだった。地顔が怖そうだという山岡に意外と愛嬌があるということは、この辺りから広まりだしたのである。しかしその直後から陽佑は、ノートを前にシャーペンを片手に、考え込まなくてはならなかった。


 時期は、学校側から10月中旬と指定されていた。参加人数が多かったと仮定して、オーディションが必要になる可能性を考慮しなくてはならない。オーディションをやるなら10月あたまか、9月下旬か。ならば参加申し込み締め切りはその前だ。9月は運動会もある。それに、新しい行事なのだから、参加者も準備期間がほしいだろう。できれば夏休みはそのためにてられるようにしたい。ならば、1学期のうちにある程度の内容を告示しなくてはならない。文化祭の開催はいつごろか。参加者申し込みの締め切り日は、だいたいいつごろか。「参加希望者多数の場合はオーディションになる可能性があります」それはいつごろになるのか。そして肝心の、当日出演できるのは何組か。ひと組あたりの持ち時間は……まだ告示に載せなくていいか。30分も40分もできると思う生徒はいないだろう。しかし、何組が当日出演できるのかは、早めに知らせておかなくてはならない。そうなると……タイムテーブルをある程度かたち作っておかなくてはならない。1日のうちどのくらいの時間を使っていいのか。文化部の発表時間を優先的に確保しなくてはならないが、従来の発表会ではどのくらいの時間を確保していたのか。そこがわからないと、個人ステージに使える時間が決められない。結果、何組を出演させられるのかが確定できない。学校や各文化部との調整が必要である。執行部と、林もしくは増田に立ち会ってもらう必要もある。陽佑の1学期末のスケジュールは、執行部を上回る勢いで埋まって行った。それでも足りないくらいだ。もう夏休みが来てしまう。こうしてみると、やはり1学期から動き出して正解だったのだと思う。今のペースでもあまり余裕はない。

「違う違う、夏休みに入る前に開催することが決定できたんだ。細かいことは夏休み中に考える猶予ができたんだよ」

 とは賢者・連城れんじょうの言である。

「開催も決まらないまま夏休みに入ってみろ。その方が地獄だぜ。どうあがいても間に合わなかったろーな」

 ……陽佑はひと言もなかった。


 そんなことに熱中していたからか、期末テストの成績は下がってしまった。苦手な国語と英語がそこそこ上がったことは喜ばしかったが、逆にいえば、これは得意科目であるはずの数学がかなりぼろぼろだったことを意味する。しかし、今はたいして気にならなかった。テストの成績はまた取り戻せるような気がしていた。それよりも……文化祭の企画をやり切ることの方が、今の自分には大きな意味があるように思えた。テストでは得られない何かを、手に入れられるように思えていた。


 走り回った甲斐があってのことか、ごく大雑把なものではあるが、文化祭の予告がチラシという形で全校になされた。配布されたのが終業式の前日というシビアなタイミングであったが、これで出演を検討している生徒は、夏休みを前に、ぼんやりながら見通しが立つはずである。

 ステージには、学校のクラブ活動である演劇部、コーラス部、ブラスバンド部が優先的に出演する。その上で、余剰の時間を一般出演者に振り分けるというもので、出演できるのは5組だけ、という、非常に狭き門となった。陽佑はせめて10組はと粘りたかったが、時間の関係上、難しい問題だった。文化系クラブの持ち時間を削ることはできず、そうなると一般出演者の持ち時間を減らすか、出演者を減らすか、の二択でしかない。妥協するしかなかった。多くの人を出してあげたいが、バンド演奏に持ち時間が3分足らずというのはむごい話だろう。量も大事だが質も大事だった。


 しかし、狭き門とはいえ、開いたのである。日時及び、参加希望者の申し込み締め切りは、2学期になってから改めて告示される。参加者多数の場合はオーディションになる。もちろん学校公設の文化系クラブはオーディションはない。ステージという形であるため、美術部が参加しづらくなってしまったことは申し訳ないが、今はこれが精一杯だ。果たしてこの方式で文化祭と称していいものかどうかわからないが、適当な名称も思いつかず、ひとまず「文化祭(仮称)」として、チラシは作成された。責任者の肩書で、生徒会、文化委員会のほか、発起人として陽佑の個人名も記載されている。なんともあやふやな内容だが、先生たちも生徒会執行部も、ぎりぎりまで日程調整に取り組んでくれている。現時点で知らせることのできるのはこれしかない。そして、全校生徒とその家族に知れわたったのだ。もう後戻りはできない。よほどのことがなければ後戻りするつもりもないが。

「俺にできるのはここまでだ。あとは実力でいってもらうしかないよ」

 陽佑は、山岡率いるバンドメンバーに話した。

「ここまでセッティングしてもらえれば十分だよ。ありがとうな、桑谷くわたに

 山岡が、しみじみとチラシをながめながら、そう言ってくれた。

「そーそー、オレらはこれを披露する場さえなかったからな。舞台さえできりゃ、あとはオレらが実力でどーにでもできる」

 相変わらずのニヤニヤ笑いで、双川ふたがわはチラシを振る。

「さて、そうなると……申し込みまでにバンドの正式名を決めないと」

「まだ決まってなかったの?」

 苦笑しながら陽佑は、ようやく傾きかけた日差しを、窓越しに浴びていた。今までになく忙しい夏がくる。秋、そして文化祭を無事成功に導くことができたとき、自分はどう変わっているのだろう。……あんまり変わらず、ぼんやりしているのかな。


 それでも、思えば遠くへ来たもんだ、というフレーズが脳裏をよぎる。教室で「やめろよ」と声を上げたのがおよそ1年前。その直前まで、自分は地味で目立たない存在だと思っていたし、平凡に静かに3年間を過ごすのだろうと思っていた。今ここにいるのは、生徒会執行部と教職員たちを動かし、生徒総会で意見を述べて生徒たちをも動かし、新しい学校行事を立ち上げた発起人にして責任者である。実感ないな、というのが正直な感想だが、実感がなくともやるべきことはやらなくてはならない。

 ……でも俺結局、ぼんやりしているところは変わってないんだよな。陽佑はもう一度、声を立てず笑った。夏休み最初の予定は、とりあえず髪を切ること、であった。

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