46 俺の話を聞け

 臨時生徒総会は、7月はじめの期末試験の終了直後に、体育館に生徒を集めて開催された。

 桑谷くわたに陽佑ようすけは、2年2組の生徒の列から離れ、生徒会執行部ら運営メンバーの待機する一角に立ちつくして、心臓のあたりに片手を添えて、深呼吸を繰り返していた。緊張するなという方が無理な命令である。これから、陽佑の提案する文化祭ステージを開催すべきか否か、最終的な議決が行われる。これに際して、陽佑は自ら全校生徒に、立案について説明しなくてはならない。一般生徒に対して公式にこの話を披露するのは初めてということになる。


 ポケットには、折りたたんだ原稿が入っている。今日の趣旨を説明する原稿を書いてこいと言われたので、思いつくまま書き倒したら、生徒会書記のつじという男子生徒によって容赦なく添削された。一人称は「私」を使え、この部分の言い回しはこう、この表現はこう言い換えろ、この部分は削除、など。いわゆる「生徒総会向けのセリフ」だ。辻のこうした厳しい添削は、生徒会関係者の間では「辻斬り」と揶揄やゆされているらしい。

「いやあ、ぶった切られたなあ、お前も」

 辻が席をはずしたときに、原稿をのぞいた福田会長が、くっくっと笑った。副会長の市川は顔をそむけているが、肩が小さく上下している。

「まあ、生徒総会に際してのしきたりだと思って、こらえてくれ」


 しきたりか。陽佑は、高い体育館の天井を見上げて、ほうっと息を吐いた。これまで定例の生徒総会しか出席した経験がないのだが、実は毎回議題が何だったのやら、終わった瞬間に忘れてしまうようなものだった。執行部や各委員長から主旨の説明はもちろんあったのだが、話し方がぼそぼそしていたのも一因だろう、その「しきたり」の言い回しは頭に残りにくいものだった。改めて原稿を取り出し、広げて、ながめてみる。もちろん、今日ここで話さなくてはならないのだから、何度も読んで読み込んで、8割方は暗記できるくらい頭に入ってはいる。けれど、……こんな、整髪料でなでつけるような表現で、どれだけの生徒に訴えかけることができるのだろうか。

 だが、しきたりと言われれば、是非もない。ここで執行部の機嫌を損ねるのはまずいだろう。原稿を再びポケットに押し込む。

「静粛に」

 副会長の市川がマイクを取り上げた。全校生徒で満たされた空間から、ざわめきが消える。

 始まったのだ。

 生徒総会が臨時で開催される理由はひとつしかない。副会長が進行させ、会長の福田が最初に簡単な事情説明をした後、発起人の名が呼ばれた。心臓が跳ね上がる。陽佑はぎこちない足取りでステージに上がった。

 ――ああ梅原大明神、俺に力を与えたまえ。


     〇


 陽佑は、演台の正面に立った。全身が細かく震えているのが自分でわかる。動悸が口から飛び出しそうだ。しかし、この位置は意外とみんなの顔がよく見えるものだ。いや、観察している場合ではない。がたがたする左手をポケットに滑り込ませ、原稿を指でつまみだす。演台の上に広げる。

「わ……私が、…………2年2組、桑谷、陽佑、です」

 マイクを通して、声の震えまで伝わってしまう。

 まずい。自分が自分でなくなっているのがわかる。主旨の説明どころか、言葉がまったく出て来ない。原稿だ。原稿を読め。そのために書記が添削してくれたのだと、ようやく感謝できる。

 こんな経験はまったくない。小学校に通う以前から、おとなしく目立たない、派手街道の裏道を人知れず歩いてきた。まして全校生徒の前で、自分の意見を発表する機会などなかった。しかも、単に感想や意見を発表するのではなく、全校生徒に訴えかけて賛同を募るための演説など。

 目が回る。

 不自然な間合いに、どうしたのかと、小さくざわめく生徒が出始めた。

「私が……今回、提案しますのは……」

 駄目だ。

 言えない。

 ……こんな形で頓挫とんざさせるために、ここに来たわけじゃないのに。

 吐きそうだ。目を落とす。

 言えよ。

 言わなきゃだめだ。

 何のためにここに来た?

 何のために……?

 ……校長先生は、こんな自分を、今もあざ笑っているのだろうか。

 ――自分の呼吸音が重い。

 生徒たちのざわつきが大きくなった。陽佑が体調不良を起こしたのかと思ったようだ。福田は小さく首を振って、市川の心配そうなまなざしを制止した。

「桑谷、がんばれ」

 連城れんじょうは心の中で呼びかけた。

「桑谷くん」

 梅原が両手を握りしめる。

「頼むぞ、おい」

 山岡は小さく足を踏み鳴らす。

「オラ、気合い入れろ」

 双川ふたがわは眉も動かさないまま、陽佑を見つめている。



 ――桑谷くんなら、できるよ。



 …………陽佑は、荒い呼吸を止めた。

 演台に広げた原稿を押しのけて、顔を上げた。

「……俺は、友だちのバンド演奏が、見たいです!」

 半ば怒鳴るように、陽佑は声を張り上げた。


     〇


 ……体育館は静まり返った。

 生徒たちも先生たちも、あっけにとられて固まっていた。会長と副会長は口をぽかんと開けて陽佑を見やり、会計は口を覆ってうつむき、書記は無言で額をおさえて目を閉じた。しかし、生徒総会という場にはストレートすぎる表現は、わかりやすいという側面も持っていたのだ。

「俺は、たったそれだけのために、この企画を考えました」

 一度大声を出してしまうと、緊張はだいぶおさまった。陽佑はマイクの前で、まだ肩を上下させながら、正直すぎる言葉で、やや声をおさえて話し続けた。そうだ。梅原に見せてやりたいんじゃない。山岡や双川のためでもない。俺が見たいんだ。俺が誰よりも楽しみにしているんだ。その気持ちをぶつけろ。こんな整髪料じゃ、俺のわくわくした気持ちは誰にも刺さらない。伝えろ。みんなにわかってもらえ。自分の思うままの言い方で。そうして……先生たちを、のけぞらせてやれ。言葉遣いなぞ、後で土下座でも何でもして謝ればいい。今必要なのは、定型文じゃない。

「友だちがバンドやってるなんて知らなかったから、ぜひ聞きたい、見てみたいと思ったんです。みんな、そんな経験ないですか? 学校で普通に過ごしているだけじゃわからない特技がある人、いますよね? 見せたくないですか? 見たくないですか?」

 体が震える。……これは、緊張じゃない。自分自身の興奮だ。ずっとみんなに伝えたくてたまらなかった、……情熱だ。

「そんな場が、学校の行事としてあればいいなと思いました。もちろん、学校の文化系クラブの発表がメインになりますが、せっかくだから、個人でも何かできる機会にしたい。そう考えています。今、隣に立っている人が、憧れていた趣味の達人かもしれない。ちょっといけ好かない奴が、実は同じ特技つながりかもしれない。そこから新しい友人関係が生まれたりしたら、これってすごいことじゃないですか? 同じ趣味でも、やり方が微妙に違っていて、お互いに刺激し合って新しいやり方を編み出せたりしたら、これってすごいことじゃないですか? 俺は、……そういう場を作ることに、ものすごくわくわくしています」

 喉がからからだ。小さく咳ばらいして、声を引き出す。まだ枯れてはいられない。

「たとえば、俺の友だちに、すごい裁縫が上手な奴がいます。家庭科の授業でそれがわかったとき、クラスのみんなに衝撃が走りました。こいつスゲエ、って。でも、それは家庭科の、授業があったからわかったことなんです。授業で見せる機会がないような特技の方がもっと多いと思う。それを見たときの衝撃って、きっとすごいと思う。で、お前スゴイなって言われた方の嬉しさって、きっと格別だと思う。俺はみんなにも、そんな気持ちをかみしめてほしい」

 もう一度咳ばらいして、ひと息つく。

「でも、俺はなんにも芸はありません。楽器もできないし、踊れるわけでもないし、特技といえるものはなんにもない。だから……みんなの力が必要なんです。俺はこれを企画したけど、中身をおもしろくする能力はなんにもないんです。しょうがねえ、いっちょ盛り上げてやるかって人、力を貸してください。自分は何もできないよという人は、観客としてステージを盛り上げてやってください。どっちもいてくれないと、…………おもしろく、ないから」

 演台に目を落とす。ひと呼吸して、顔を上げ直す。

「詳細はまだ決まっていません。出場したいという人がどのくらいいてくれるかわからないし、何組出場してもらえるのかも未定です。とりあえず、やるかどうかを決めないといけないから。まだ、こんなあやふやな状況でしか話ができませんが……それでもいい、参加してみたいと思ってくださる方、どうか、手伝ってください」

 ごく自然に、陽佑の頭は下がった。



 ……小さな拍手が上がった。

 陽佑は顔を上げた。双川がひとり、けだるそうに、だがはっきりと、手を叩いていた。もうひとり加わった。山岡だ。さらにひとり、連城が。梅原が。橋本が、宮野が、相葉が。2年2組の生徒たちが。2年生が。樋口ひぐちも、大野も、面白くなさそうな顔の池田も、拍手している。そして彼らを挟んで並ぶ、1年生と3年生が。


「あっ……」

 陽佑は数歩よろめいた。

 体育館の中に、数えきれない拍手があふれていた。

 すごい光景を目にしていると思った。

 これって……本当に、現実なのだろうか。

 承認者の人数を数える必要は、なさそうに見えた。

 陽佑はただ、もう一度頭を下げるしかなかった。



「決まったようですね」

 校長先生は淡々と、つぶやいた。

岩渕いわぶち先生、お手数ですが、実務をお願いしますよ」

「はい」

 応じてから岩渕先生は、あえて口にした。

「しかし、このタイミングで行事予定の変更について、教育委員会はなにか言ってくるかもしれませんね」

「生徒たちが本当にやりたいと言うなら、そっちをどうにかするのが私の仕事ですよ」

 淡々とした返答だった。



 陽佑は雲を踏む足どりでステージから下りた。おぼつかず、足首をひねってこけそうになり、近くの辻が慌てて駆けつけたほどだ――会長と副会長はまだ役目があって動けなかったので。

「おい、しっかりしろ」

 助け起こされた陽佑が最初に行ったのは、謝罪だった。

「すみません、せっかく添削していただいたのに、原稿無視してしまって」

「まったくだ、やってくれたよ。……けど、さっきの演説の方がよかった」

「え?」

「執行部だって、いち生徒だからな」

 辻は不器用そうに、唇をゆがめた。どうやら本人は笑ったつもり、らしかった。

「痛むか? 自力で歩けるか?」

「行けますけど……少し、ここで休んでから、行きます」

 陽佑はそう答えた。足が痛むわけではない。演台に原稿を置きっぱなしにしてしまったことを思い出したからだった。


     〇


 ……顔も体つきもいかつく角ばった辻が、趣味は俳句とポエムであるということを、陽佑が知ったのは、それから数日経ってからのことである。生徒会室に寄ったついでに、自信作だというポエムを辻から見せられた陽佑は、「これはないだろ……」という感想をなんとか噛み殺し、救いを求めて会計の柳井やないを見たのだが、彼女は絶望したような身振りで、無言のまま小さく首を振ってみせるばかりであった。

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