44 背中を押す

「覚悟していたつもりではいたけどさ、……なんだろ、想定した以上の大ごとになってきちゃったな、と思う」

 陽佑ようすけは天井を仰いで、愚痴をこぼした。


 休み時間である。いつものように、2組の教室内、廊下に面した窓辺に立って、陽佑と連城れんじょうが。そして窓を挟んだ廊下に、梅原が。そんな構図でのおしゃべりである。が、いよいよ生徒総会が迫ってきて、陽佑はプレッシャーに耐え抜く自信がなくなっていた。校長室での協議で、不安感を大きくあおられたことも重石おもしになっている。

「大ごとだろう、学校行事を新しく起こそうってんだから」

 何を今さら、と連城が、あきれたように言ってくれた。

「いやまあ、そうなんだけど」

 ど正論を吐かれて、陽佑は少しばかり、いたたまれなくなってきた。


 この頃になると、「2組の桑谷くわたに陽佑が文化祭のステージを、新しい学校行事として立案している」ということは、ほぼすべての2年生に知れわたっていた。当然だろう。アンケートは配布されているし、文化系クラブの部員は部長から「文化祭ステージ方式と、従来の発表会方式と、どっちがいいか」と質問されている。各クラスの文化委員は自主的にアンケートを手伝ってくれている。そこへもってきて、山岡がもうはばかることなくその話をふってくるので、陽佑としては否定のしようがなかった。まだ正式決定じゃないんだから、という枕詞まくらことばはこういうときには忘れられがちなもので、噂は2年生の教室が並ぶ2階を、否、1階と3階をも突き抜けて走った。しかも噂というものはオヒレハヒレがつきもので、何がどう化学反応を起こしたものやら、あるとき陽佑は3組の、あまり接点のなかった清水という男子から「ステージでストリップショーの独演会をやると聞いたが本当か」と意味不明の質問を真顔でぶつけられ、大いに困惑したこともある。


「なんか俺、怖くなってきちゃったよ」

 吐く息が重くなる。眉根が寄ってしまう。

「だーいじょうぶだって、おれらがついてんだろ」

 連城はぱーんと、陽佑の肩をたたいた。そうそう、と梅原が頷く。


「でも、なんか、すごいね。こうやって、形になっていくんだね」

 陽佑の視線は、そう言った梅原のそれとぶつかった。今の梅原の目は、晴れた穏やかな夜の海だ。月の光を深閑と照り返し、波ひとつなく、陽佑を見つめてくる。

「んん……」

 陽佑は目をそらした。今は恥ずかしいよりも、生徒総会というプレッシャーの息苦しさと、自分はあまりに力不足ではないかという怖さが大きい。こういうのができるステージがあればいいのにな、とぼんやり夢想していた頃がなつかしい。


「本当に、いいのかな、俺なんかで、こんな……」

「俺なんかって言うな」

 頭を連城の指で押された。そのときチャイムが鳴り出した。

「え、もう時間?」

「あ、行かなきゃ」

 教室内が慌てふためく。連城はちゃっと手を振って机に向かった。梅原も身をひるがえす。陽佑は窓すぐ近くの座席なので、慌てる必要はなく、悠然と動く。

「桑谷くん」

 呼ばれたので振り返る。梅原が2歩下がったところで、陽佑に顔を向けなおしていた。

「桑谷くんなら、できるよ。……あのとき、声上げてくれたみたいに」

 さっと手を振って、梅原は小走りに、教室へと遠ざかっていく。


 ……陽佑は3秒間ばかり、呆然と立ちつくしてから、ようやく席に着いた。

 あのとき……。

 教科書やノートを引っ張り出しながら、梅原の言葉を繰り返す。もちろん、あのときだ。忘れるはずがない。去年の……7月だったから、まだぎりぎり1年は経っていないか。


「やめろよ」


 ……そうだ。あの一言がきっかけで、陽佑の周囲では、いろいろなことが少しずつ、だが大きく、変わってきたように思う。それこそまだ去年の今ごろは、自分はエキストラのような地味で平凡な3年間を過ごすんだろうなと思っていたのではなかったか? まさか1年後に、生徒総会にかけられるような議題を企画立案する立場にいようとは、あのときは想像すらできなかったはずなのだ。

「やめろよ」

 ――去年のあのときも、梅原がいた。

 まあ、彼女に関する出来事だったのだから、当然だが。


 ……どうしてだろう。

 梅原に関わると、自分の知らない自分が、次々に引き出される。

 考えなしで声を上げてしまう自分。

 嫉妬する自分。

 焦ってしまう自分。

 学校規模の企画をぶちあげてしまう自分。

 ……俺こんなキャラだったかな、と思ってしまうようなことを、してしまう自分。

 なぜ……?

 ――それがいいことなのか悪いことなのか、自分でわからない。

 歓迎すべきことなのか、恐れるべきことなのかどうかも。

 けれど……。

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