43 校長室戦記

 蓋を開けてみれば、陽佑ようすけが呼び出された先は、校長室であった。げげ、と陽佑は後ずさった。会議室かどこかで、教師たちを前に説明することになるものと思い込んでいたのだ。


桑谷くわたにさんの提案を、学校がわに提出して、職員会議にかけていただきました」

 先日、生徒会室に呼び出され、陽佑は直立不動の姿勢で、生徒会長の説明を聞いた。林もいたが、同学年の会長相手にそこまでかしこまってはいない。

「協議の結果、行事予定の変更自体は、物理的には可能ではあるそうです」

 ……なんだ、もう結論は出たのか。

 ほっとしそうになったとき、会長がじろっと陽佑を視線で射ぬいた。

「――ただし」

 陽佑はゆるみかけた背骨に、慌てて活を入れた。

「あくまでも物理的にできなくはない、というだけです。なぜ、それが必要なのか。当然のことながら、発起人には自身で直接、説明していただきます。この企画を立案した動機、実現させるための熱意、そのほか実務的な疑問点への回答。先生方を納得させることができなければ、生徒総会にかけても無駄です。一度決まった行事予定をひっくり返す行為になるわけですから、そのくらいは当たり前だと思ってください」

「あの……実務的な疑問点って、どんなことなんでしょうか」

「それは、そのときになって、聞いてみないとわかりません」

 ……そりゃ、そうだけど。

 こうして生徒会長にたっぷり脅されてから、陽佑と林は、教師たちへの説明会の日時と場所を知らされたのである。――放課後の校長室。


 陽佑は何とはなしに、襟元を指先でさぐった。合服を着ているが、これが上着の季節なら、襟のホックをきっちり留めなくてはならない場面だ。校長室の前に集まったのは、陽佑のほか、文化委員長の林、生徒会長の福田、副会長の市川、という顔ぶれであった。校長室の掃除当番になったことはないから、室内の様子さえほとんどわからない。そもそも校長先生というのが、セレモニーと週1度の全校朝礼以外で関わる機会がないので、どう心構えをすればいいやらさっぱりだ。

「こういうときって、校長室で話すのが慣例なんですか」

 助けを求めるように、陽佑は生徒会長を見上げたが、意外にも会長は困惑した表情で首を振った。

「まさか。入ったことは何回かあるけど、こんな協議を校長室でやるなんて、経験がない。まあ、議題の大きさにもよるのかもしれないけどね」

 ……つまり、自分が投げかけたのは、そういうレベルの議題なのだということだろうか。いやいや、まさか。でも学校行事予定を変更させる内容だし。……まさか俺、面倒なことを言いだしたからって、職員会議とやらで、問題児としてブラックリストに載せられた、なんてことは……。

「今さら何を逡巡しゅんじゅんしてるんだ。協議に値しないような提案なら、職員会議で一蹴されるだけだ。話を聞く価値はあると思われたんだろうよ。ほら入るぞ」

 変な汗をかき始めた陽佑を冷やかにあしらって、福田会長は進み出ると、ドアをノックしたのだった。


     〇


 校長室というところは、学校の応接室のような役割を担っている。よって応接セットも配置されている。長机、ふかふかのソファ。簡単な会議もそこで行える。待ち受けていたのは、校長の糸賀先生、副校長の三枝さえぐさ先生、教頭の岩渕いわぶち先生、文化委員会を監督する石井先生、である。ソファは3人掛けなので、校長と副校長と教頭の首脳陣が並んで座り、石井先生は予備のパイプ椅子だ。この3人が並んで座っている光景は、なかなかの圧巻だ。その向かいに、生徒会長の福田、文化委員長の林、発起人の陽佑が座る。陽佑は副会長の市川に譲ろうとしたのだが、「今日はあなたが主役でしょ」と言われたのでやむなくソファに座を占めた。周囲は3年生、向かいは学校の首脳陣と、かなりのプレッシャーを感じる陽佑であった。気づくと、ソファに座っているのは全員男性、女性はふたりともパイプ椅子だ。差別しているつもりはまったくないのだが。


「趣意書は読ませていただきました。生徒会長から概要も聞いています」

 進行役は教頭の岩渕先生らしい。恰幅のいい体型で、きろっとこちらを見てくる。陽佑が過去の文化祭について調べているのを知っているはずで、「ほう、そうきたか」と言いたげな表情だが、今日は進行役に徹する構えのようだ。

「これで、予定変更が不可能であれば協議するまでもない内容ですが、どうにか可能であろうという見通しを確認しましたので、改めて、実現について提案を検討する必要を感じました。検討にあたって、発起人から直接話を聞きたいということで、今日は来てもらったわけです」


 ……気づくと、中央の校長先生は、ずっと陽佑を見ている。話し続ける太い教頭先生と、黙ったままの細い副校長先生に挟まれて、校長先生は中間の体型に見えた。頭髪の具合はだいぶ引き潮、といったところか。表情は柔和に見えるが、感情とつながっていない、皮膚の動きだけのものではないだろうか。何を考えているのか、どうにもわからないというか、「得体のしれない」という感想が陽佑にまとわりつく。副校長先生よりも、教頭先生よりも、接点が少ないせいだろうか。

「桑谷」

 福田に肘でこづかれた。

「あ、はい」

 我にかえり、陽佑は膝に広げたノートと校長先生とを、見比べた。

「では、聞かせてもらいましょう。どういう動機で、文化祭を開催したいと思ったのですか」

 校長先生の声は、全校集会などで聞いているはずなのに、この距離で聞くと全然違うものに思えた。陽佑は唇をなめ、動機について説明を始めた。過日、生徒会室で話した内容に加筆修正したものだ。生徒たちの隠れた特技を見せ合う機会があってもいいのではないか。それによって、新たな友情や新たな特技が生まれ、生徒たちの刺激になるのではないか。運動会にそぐわない特技を披露できる行事が、ひとつ欲しい。生徒たちにとってもガス抜きになると思う。3年生に、卒業を前に思い出に残る行事がもうひとつあってもいいのではないか。……あくまでも、文化系クラブの発表がメインである、という主張で、今回の戦術を組んでいる。


「なるほど」

 校長先生は腕組みして、乗り出しかけていた体を後ろへ戻した。

「私は反対ですね」

 副校長先生が初めて口を開いた。

「中学校で、生徒に教えなければならない授業内容や時間は、決まっているのです。おそらく、以前あった文化祭が廃止になったのは、そういう背景があるものと思いますが。文化系クラブの発表会を一度にまとめるということならまだしもですが、その上に一般生徒のステージまで上積みするとなれば、結局従来のやり方以上に、授業がつぶれることになるわけです。そのへんのことまで考慮したのですか」

 ああ、やっぱり。演劇部の部長が危惧したのと同じ意見だ。あらかじめ聞いていた内容なので、さして動揺しなくてすんだ。

「趣意書の問題点にも記載しましたが、文化系クラブの部長からも、同様の意見が出ております。ただその場では、執行部から具体的な数字は言えませんでしたので、問題点として記載するにとどめましたが」

 副会長の市川が補足する。生徒の側にもその程度の問題意識はある、と援護射撃してくれたのだった。

「それと、仮に開催するとして、運営に文化委員会が当たる見通しについて、委員会の内部ではどれほどの協議がなされているのですか?」

 いきなり矛先を向けられ、林はびくんと体を硬直させた。

「あっと、それは、まあ、実現するということなら、文化委員会の所管になるだろうということで、その、あの」

 なにやら頼りない。

「ですがこれ、実際に動くとしたら2学期でしょう? 1学期の文化委員がどんな協議をしているというのですか?」

 さっきと矛盾する質問をわざと、副校長先生が浴びせてくる。林は完全に狼狽し、視線をあちこちにさまよわせた。会長が再び、肘で陽佑をつついてきた。なるほど、確かに林はこれ以上対応できまい。2学期に発生する「かもしれない」仕事について、1学期の文化委員たちに、委員長として動けとは言えないのである。先日の委員会では陽佑はずいぶんカチンときたものだが、ようやく林の立場も見えてきたのだった。

「今、この件では文化委員会は動いていません」

 陽佑は発言した。

「俺……僕が、発起人として、個人で話を進めています。手伝ってくれるのは、あくまでも本人たちの自由意志です。委員会とは関係ありません。ただ、文化系クラブの発表会がメインになりますので、今後文化委員会とどれだけ準備作業を分担していくべきなのか、そのあたりはまだ、うまく詰められていません」

「ほう……」

 校長先生の目が、眼鏡越しに光った、ような気がした。

「過去の資料にあった文化祭を参考にしたので、文化委員会に相談を持って行っただけです。これが今後も行事として定着するか、今回限りになるのか、今はまだそこまで考えていません。ただ、やってみたい、と思うだけです。やってみた結果、今後も続けたいか、もうやらなくていいのか、その感想次第だと思います。やっぱり従来のやり方がよかった、という結果に終わることも、覚悟しています」

 2学期になったら、臨時で「文化祭実行委員会」みたいな組織を立ち上げて、運営を手伝ってくれる人を募集した方がいいのだろうか。しかし、それも違う気がする。まだまだ相談不足か。


「しかし……果たして、そこまでして、本当に参加したい生徒は、どれほどいるのでしょうね?」

 校長先生の声が不意に、粘っこく光った、ように聞こえた。

「まあ確かにね、文化系クラブの発表をひとまとめにするということなら、いい考えだと思いますよ。ですが、一般生徒の発表を一緒に行う意義がどのくらいあるか、ですよね。立ち上げたはいいけど、参加希望者がひとりもいないとか、そういう事態もあり得るわけですからね」

「それは…………」

 後頭部をはたかれたような思いだった。陽佑は回答につまった。確かに、参加してくれそうな生徒はまだ、山岡や双川ふたがわたちのバンドひと組しか目星がついていない。ほかに参加者がいなかったら……いや、山岡たちも、今後の状況次第で、そんな条件ならやめとくわ、と言い出さない保証はない。文化系クラブの発表を行うのは事実だから、この企画はまったくの無駄にはならないだろうが……。

「それは……募集してみないことには、なんとも」

「まあ、そうでしょうね」

 校長先生は片手を顔に添えた。笑っているのか。それは、嘲笑、というやつなのか。……少し、不快な成分が陽佑の神経を刺激した。

「発起人の熱意はまあわからなくもないですが、ほかの生徒はどうでしょうか? 他人が出演してくれることばかりを期待して、自分が出演してみようという考えが誰にもなかったら、どうなるでしょうね?」

 陽佑は奥歯をかみしめた。

「……ひとまず、話としてはわかりましたが、後は生徒総会の議決次第、ということになりますね。……賛同が得られるといいですね」

 校長先生の眼差しが、今度は間違いなく、眼鏡越しに光った。


     〇


 ……副会長が校長室のドアを閉めてようやく、陽佑は深い息を吐いた。

 両肩がとても重い。頭の芯がずっしりとのしかかる。

 つまり……物理的に行事予定を組み替えることは可能ではあるが、先生方の立場としては反対ということか。

「桑谷」

 福田会長が、背後から話しかけてきた。

「先生方は、わざとああいう言い方をされたんだ。お前の熱意をはかっているんだよ」

 陽佑は、息を吸い込んだまま、会長を見上げて呆然とした。

「お前に挑戦状をたたきつけたんだ。生徒総会で賛同を勝ち取ってみろ、ってな。賛成多数で議決が取れれば、ちゃんと対応してくださる。今まで何度も折衝してきた生徒会長が保証してやるよ。総会で先生方をうならせてやれ」

 ふと市川は、廊下の曲がり角に奇妙な気配を感じた。壁の後ろにあわてて引っ込んだ複数の影を認め、あらあら、と思ったが、外面には何も表さなかった。

「明日の放課後からさっそく、生徒総会の打ち合わせをするぞ。演説の原稿書いて来いよ」

「おつかれさま」

「あ、……ありがとうございました」

 生徒会長と副会長が立ち去って、林もいつの間にかいなくなっていて、陽佑は初めて、曲がり角の向こうをのぞきこんだ。

「何やってんだよ、お前ら」

「よ、よう! 奇遇だな」

「そんなヘンな姿勢の奇遇があるか」

 体勢を落としていた連城れんじょうと山岡と双川が、不自然な表情で陽佑に笑いかけたが、双川に至ってはバランスを崩して尻もちまでついている。

「山岡、クラブは?」

「まあ、ちょっとトイレ休憩にな。どうだったんだよ」

「……いろいろ言われたよ。悔しかったら、生徒総会で賛同を勝ち取ってみろ、とさ」

「おおー、いよいよだな」

「うん……」

 陽佑は頭をかいた。不安が急速に降り積もっている。……こんなんで、いいんだろうか。今の状態で生徒総会にかけることは、見切り発車が過ぎはしないか。ある程度見切り発車になることは仕方がないが、まだ詰めがあまりにも甘すぎるのではないか。

 がんがんと頭痛がしてきた。校長室から解放された反動に違いなかった。


     〇


「相変わらず世話焼きだこと」

 生徒会室の並びの廊下に出ると、市川は笑いをかみ殺したように、福田に言った。

「ほっとけ」

 福田はややむっつりした表情で、カッターの開襟部に指をつっこみ、ぱたぱたとシャツをゆすった。

「去年、生徒会長に当選したときに言ってたもんね。運動会があって文化祭がないのはなんでだ、不公平じゃないのかって。でも改選が秋だったし、いろいろ忙殺されて、とうとう着手できなかったものね。……まさか在学中に、実現してくれる後輩が出てくるとはね」

「……肩入れはしてないぞ。おれは中立公平でいないといけない立場だからな」

「してるじゃない、思いっきり」

「してない」

「でも、けっこう楽しみにしてるでしょ」

「何をだ? 生徒総会か、文化祭か」

「両方」

「ほっとけ」

 福田は繰り返した。


「ま、そういうところが……」

「……あん?」

 福田は怪訝けげんそうに振り返った。市川は、言いかけた何かをこっそり収め、無理やり変換した。

「そういうところが、会長らしくて間抜け」

「ほっとけ」

 ふん、と福田は生徒会室のドアに手をかけた。

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