42 生徒会室の攻防

「じゃ、ちょっと行ってくるな」

 終礼が終わると、陽佑ようすけはできるだけ軽い調子でそう言って、ノートとシャーペンを手に、椅子を机の下に押し込んだ。

「がんばれー」

桑谷くわたにファイトー」

 向こうの席から連城れんじょうと山岡がエールをくれる。クラスの生徒のおよそ半分ほどが、興味深そうに陽佑を見守った。彼は事情を何ひとつ話していないのだが、何をやろうとしているのか、アンケートの時点でなんとなく察している生徒が多いようだ。

 1組の前を通りかかる。廊下の窓が開けられていた。まだ終礼中だが、陽佑に気づいた生徒がふたりいた。梅原と双川ふたがわだ。どちらもそっと、陽佑を応援してくれた。梅原は軽くうなずき、双川はむっつりした表情のまま握りこぶしを小さく振る。うん、と陽佑はうなずき返して、廊下の角を曲がった。


 階段のそばで立っていると、ほどなく終礼を終えて3年生たちがどやどやとやって来る。やれやれ、と聞こえよがしに、林が姿を現した。こちらがお願いする立場なので、陽佑は下手に出る。打ち合わせはもうしてあるから、あわてる要素はない。まあこの人は、本当に同席するだけで、説明は全部こちらに振ってくるだろう……当然なのだが。一応、最後の、直前の打ち合わせを、立ったまますませる。

 そうしている間に、生徒会の執行部は生徒会室に入っていったのだろう。時刻になり、陽佑は林を伴って、ドアをノックした。申請書、主旨説明のレジュメ、回収したアンケート用紙とその集計結果、その他もろもろ、必要な手続きをすませて提出してある。今日は発起人から口頭で説明をしてもらいたいとのことで、陽佑と、実現すれば運営を直接担当する確率が高い文化委員会の委員長が、呼び出されていた。

 生徒会室は狭く見えた。部屋の半分が作業スペースに充てられているせいもあるかもしれない。長机の向こうに、生徒会長、副会長、書記、会計、そして文化系の各クラブ――ブラスバンド部、コーラス部、演劇部の各部長がそろっている。美術部はいない。陽佑以外は全員が3年生である。なかなかの圧迫感だ。勧められて、陽佑と林は、会長の正面に置かれたパイプ椅子に腰かけた。

 1年生の3学期に、陽佑はクラス委員を経験しているので、生徒会執行部と接するのはこれが初めて、ではない。しかし、あくまで業務上の、通り一遍の関わりにすぎなかった。今日の話し合いの結果が予測できるほどの予備知識は、陽佑にはない。舞台配置の効果か、目の前の人々からはなにか押しつぶされそうな空気さえ感じる。


「桑谷さんの趣意書は読ませていただきました」

 会長が口火を切ると、緊張のボルテージが華麗に盛り上がっていく。しかも「さん」付けだ。いわゆる公式の場ではそういうものだと知ってはいるものの、呼ばれ慣れていないため、どうにも落ち着けない。

「ですが、今一度、口頭でいくつか、確認の意味で質問させていただきます」

 ――来た。

 なぜこのステージを実現させたいと思ったのか。陽佑は音を殺して、大きく息を吐いた。そして質問に答えていく。同級生の、そしてまだよく知らない生徒の、普段見られない顔を、知ることができる機会がほしい。誰にも見せたことのない特技を、披露する機会がほしい。ステージという場を借りてそれを実現させることで、知らなかった者同士が、新たに刺激し合って、新しい化学反応を起こす効果が見込めるから――。


 いくつかの質疑が途切れたとき、コーラス部の部長が発言を求めた。3年生の女子である。

「従来ですと、我々のクラブの校内発表会がそれぞれ、単発で行われます。まあ、うちとブラバンさんは合同ですけど……。それを全部まとめて文化祭ステージにするという趣旨のようですが、従来のこのやり方に不満がある、ということでしょうか」

 あとふたりの部長が、やや落ち着かなげに陽佑を見る。どうやら3人の部長は事前に話し合い、コーラス部の部長が代表して意見を述べることに決めていたようだ。

 ――彼らを否定してはいけない。陽佑は、事前に練り上げた想定問題集を、頭の中でめくった。皮肉なことだが、これを用意させてくれたのは、林の嫌味たっぷりのツッコミだったのである。そうか、この言い方はそう取られてしまう可能性があるのか――。林の言動からいろいろ考えた陽佑は、発言する際の表現にも気を配るという着地点を見出した。言い方ひとつで話し合いが険悪なものになってしまうというのは、合唱大会前の4組とのもめ事で、身をもって学んでいる。

「それなんですが、実は僕のほうこそ、この場をお借りして、部長さんたちのご意見をうかがいたいと思っております。僕の意見は今言ってしまったので、今度は部長さんたちにお聞きしたいです。発表をこういう方式で行うことについて、どうお考えでしょうか」

 ――部長たちを説き伏せようと思ってはならない。むしろ、積極的に意見を聞きたい、という姿勢を見せろ。クラブを引っぱってきた責任者たちには、力量もプライドもある。そこに傷をつけてしまったら、いい結果は絶対に出ない。それに、もし許可が下りて実際に開催されることになれば、正式な責任者は生徒会長だ。それを肝に銘じろ。自分はこの企画で命令を下すボスではない、ただの発起人で世話役だ。――これが、陽佑の今回の基本戦術であった。

「どうお考え、ったって……私らはずっとこの方式でやってきたから……思いもよらなかったし……」

 3人の部長は顔を見合わせた。いきなり懐に飛び込まれるとは思っていなかったのかもしれない。

「ぶっちゃけ――」

 演劇部の部長が発言した。3年生の男子だ。

「――自分個人としては、このステージの企画には賛成です。面白そうだし。ただ、部長として言わせていただくと……ブラバンさんもうちの演劇も、となると、ステージの配置転換とか、それなりの時間を食いますよね。なおかつ、一般生徒の参加ともなると、従来の文化部の発表会を全部合わせたよりも、長時間かかる催しになるわけです。それって結局、学校が予定している授業時間をより一層圧迫することになるのではないかと――」

「あ、そこはちょっと、学校と協議しないと、具体的な数字が出てきませんから、ここではちょっと」

 生徒会長が制止した。副会長が、ご意見は学校との協議で必ず提出します、と言い添える。陽佑はノートの端に、演劇部の部長の意見を走り書きした。


 結局のところ、ブラスバンドと演劇の部長が、陽佑の企画に賛成の意見を表明した。コーラス部の部長は反対ではないが、文化祭ステージで発表する際のイメージが思い浮かばない、積極的賛成ではないが、試しにやってみる程度に経験してもいいのではないか、という意見だった。なお、事前に生徒会長から各クラブの部長たちに打診があり、部長たちが各部員たちに意見を募ったところ、文化祭ステージに賛成という部員は、コーラス部とブラスバンド部で6~7割に達していた。演劇部では4割程度で、反対意見が多かった。これは、発表の機会をまとめてしまうことで、必然的に演劇部の持ち時間が短くなり、演目の選定等に支障をきたす、という論拠である。しまった、と陽佑は頭をかいた。そうか、そういう観点があるわけか。やはり自分ひとりの頭で考えられることなどたかが知れている。各クラブの部員最低ひとりずつに、聞いてみればよかった。アンケートにそうした意見は書かれていなかったのだが。もしかすると、部員たちはアンケートには軽い気持ちで記入したものの、部長に質問されてリアルに気がかりになってきたのかもしれない。やはり、直接聞いてみないとわからないものだ。陽佑は、それは気がつきませんでした、お話しいただいてありがとうございますと、意識して部長たちに礼を述べた。


 どうやら文化部所属の生徒たちは、概算だが過半数が賛成のようである。では、と生徒会長がまとめに入った。

「ひとまず、学校側と協議してみましょう。これが物理的に可能かどうかを確かめないことには、どうにもなりませんから。仮にそれをパスできれば、……最終的に、生徒総会にかけることになります」

 おおう、生徒総会。陽佑は内心で大きくのけぞった。これってやっぱり大ごとなんだなと、今さらのように思う。

「そのどちらも、発起人の桑谷さん、それと、現時点の文化委員長、ふたりとも出席していただきます。当然ながら発起人には、事情説明が要求されることになりますので、そのつもりで」

「はい」

 より一層低くかすれた声で、陽佑はかろうじて返答した。背骨にぴしりと一撃が入る。が、とりあえず第二の関門を突破できたらしいことは、理解できた。


「やれやれ、えらい目に遭いどおしだぜ」

 生徒会室を出ると、ほとんど何の労力も使わなかったはずの林は、陽佑にそう言ってくれた。

 陽佑は少しだけ考えて、ものは試しに、こう返してみた。

「……ま、もしうまくいったら林先輩は、企画立案時点での文化委員長として名前が残るんでしょうね」

 ちらっと見ると、林の表情があからさまに変化していた。

「……まあ、そういうことになるかな。うまくいけば、の話だけどな」

 危惧しているような言葉だが、口調もさっきまでに比べれば、うわついているのが明瞭だ。

「うまくいかせればいいじゃないですか」

「おう、頼むぞ、桑谷」

 べし、と肩を叩かれた。2学期にこの人がどうするのか知らないけど。

 ――俺、スレてきたのかな。内心で苦笑する陽佑だった。

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