41 祖母が亡くなった

 木曜の放課後、陽佑ようすけはハイペースで歩道を進んでいた。自宅は徒歩通学圏内とはいえ、走りきれるほど近くはない。


 6限目の途中で、母親から職員室に電話が入ったらしい。祖母が亡くなったという。支度があるので一刻を争うというほどではなく、終礼が終わってからでいいが、道草せずにまっすぐ帰ってくるように、ということだった。それでもふうふう言いながら帰り着くと、玄関のドアは開いていた。両親がもう帰宅していて、クロゼットやら洗面所やらをひっくり返している。姉もそのうち帰ってくるらしい。数日泊まれる用意をしておきなさいと言われ、自室のベッドの下から大きなバッグを引っ張り出した。着替えやら身のまわりのものをあちこちからかき集めつつ、陽佑は祖母のことを思い返していた。


 幼い頃は、両親に連れられて毎年遊びに行くのが楽しみだった。山に囲まれた、けっこうな田舎だった――少なくとも、陽佑の日常生活の物差しで見るなら、田舎といっていいだろう。最寄りのスーパーまで車で30分以上かかるのだ。祖父は陽佑が物心つく前後に亡くなっているそうで、まったく思い出せない。実子たちもそれぞれ離れた地域に生活の拠点を築き、祖母はひとり暮らしだった。訪問すると、時期的に、年の近い従兄弟たちと会うことが多く、祖母宅やその近所を走り回って遊んでいた。祖母はいつもにこにこしていたし、食事もおやつもどっさり用意されていて、おこづかいもくれた。去年かおととしくらいからか、なんとなく行くのがおっくうになってきた。行っても従兄弟に会うことが少なくなり、従兄弟と遊べなければそこは退屈な場所にしか思えなくなってしまった。去年の夏はとうとう行かなかった。姉はもっと前から行かなくなっている。ばあちゃんが寂しがるかなと後ろめたい気もしたが、「退屈」の方がもっとわかりやすくのしかかってきた。日帰りで帰省してきた両親から、祖母からだといっておこづかいを受け取った。少しばかり、後ろめたさが増殖した。今年の正月には仁義を通すために会いに行ったが、やはり退屈に感じてしまったことは否めない。


 ……ばあちゃんが、亡くなった。もう、会えない。


 洗面用具を回収した。そうだ、制服を持って行けと言われていたんだっけ。学生服の内側は、カッターシャツでないとダメだろうか?


 ……亡くなるって、どういうこと、なんだろう。

 もう二度と、会えなくなること。そりゃそうだ。亡くなるっていうのは、平べったく言えば死ぬってことで、それはつまり、この世からいなくなるということだ。会えるわけがない。遠い外国に離れて、帰ってこないようなものか。

 いや、違う。外国から戻ってこないとしても、連絡はとれるじゃないか。通信アプリもメールも、電話もある。テレビ電話だっていい。古典的だが手紙という手段もある。いなくなってしまうと、それもできないのだ。

 それが、……死ぬということなのか。


 衣類をパッキングして、バッグに詰め込んでいく。暇つぶしの本も。スマホは持って行ってもいいがあそこは圏外だよと言われ、持って行くのはやめようと思った。連城れんじょうと祖母の話をしても仕方がないし、通信ができないなら持参する意味もないし、紛失したら目も当てられないし、ホテルで使えたとしてもあまり意味はないだろう。ゲームはスマホではなくゲーム機でやろう。ならゲーム機もいるな。――淡々としているのか、動揺しているのか、自分でもわからない。


 そもそも俺、……悲しんでいるのかな。


 ばあちゃんのことは、……子どもの頃は好きだったと思う。でも、会いに行くのに気が進まなくなったというのは、好きではなくなった、ということなのか。

 悲しいって、こういう感情だったっけ?

 よくわからない。自分の行動を、意識がいつもより離れたところから、ぼんやりと監督しているような気がする。気もそぞろな監督だ。半分寝ているのだろうか。小説を読んでいると、登場人物が悲しみに押しつぶされそうな心情が表現されていることがある。俺は、少なくとも今のところ、押しつぶされてはいないんだよな。悲しんでいない、ということなんだろうか。今までで一番悲しかったことって……なんだっけ。ガキの頃、気に入っていたおもちゃを友だちに失くされたことか。おつかいに行ったら物が値上げしていて、母親に返すおつりがいつもより少なくなり、買い食いでもしたんだろうと決めつけられて、言い分を信じてもらえなかったことか。やっぱり、小学校の時、女子に陰口言われていたことかな……あれは、悲しいと言うより、傷ついたというべきだろうか。けれど、そのどれとも、今の感情は違う気がした。というより、「ぼんやり成分」が多すぎて、本来の味がわからなくなっている、というのが近いように思う。それとも、気持ちの芯がすぽんと抜き取られていて、何もかもがどこか嘘っぽく感じられてしまう、という方がもっと近いだろうか。

 少し早目に夕食をとって出発しましょう、と母が呼びに来た。姉がいつ帰ってきたのか、まったく気づかなかった陽佑だった。


 そのあたりから数日間、陽佑のいろいろな感覚が全体的に痺れたような違和感が忍び込んでいた。全身まるごと薄い膜に包まれているような、中途半端な隔絶感。見えて聞こえているのに、脳にきちんと届いてこない。考えることはできるのに、系統立てて組み立てることができない。


 一家4人は、それぞれ大きなバッグやトランクを車に積み込み、父の運転で出発した。死因はなんだったの、と姉の美陽みはるが問うた。母が言うには――祖母は田舎のひとり暮らしで、近所の人が時おり様子を見にきてくれていたが、今日の昼前頃、祖母が台所で倒れていたのが発見されたそうだ。すでに呼吸していなかったという。大往生だろうと思われた。いつしか口数は減り、運転席の父と助手席の母が小声で話す程度になり、夜の景色も魅力的には思えず、陽佑は後部座席でうとうとと舟を漕いだ。祖母の家に着いたのはほぼ真夜中だった。親戚は入れ代わり立ち代わりで来ていたらしく、このときは陽佑一家のほか、3人ほどしかいなかった。奥の部屋に布団が敷かれていた。いなくなった、と定義づけるより、眠っているんじゃないかと判じる方が自然そうな顔で、祖母はいた。けれど、鼻の穴に詰められた綿が、やはり尋常な事態ではないことをこっそり訴えている。父が声を出さずにすすり泣くのを初めて見た。ひとまず対面だけすませ、陽佑らは祖母の家から車で30分ほど離れたホテルに引き取った。寝ぼけながらシャワーを浴び、ベッドに潜りこんだ。空腹のはずなのに、どうでもよかった。


 金曜日の朝は制服を着た。ホテルから祖母の家まではまた車で30分かかった。親戚や従兄弟たちも集まりつつあった。地域がらか、近所(といっても、隣家との間には非常に豊かな農地や木々や川や小道が横たわっている地域なのだが)から手伝いの人たちも来ていた。従兄弟に会うのは久しぶりだった。日中どう過ごしていたのか、後になっても陽佑はどうにも思い出すことができなかった。その日が通夜だった。子どもは休ませようということになり、引き取る人もあって、人数はかなり減った。母も、陽佑と姉を連れてホテルへ戻った。父はそのまま、昨夜に引き続き実母のそばで過ごすことになっていた。


 土曜日は火葬場だった。今日も制服を着た。陽佑はまだぼんやりの中にいたが、祖母の姿が完全な骨と変わって出てきたとき、強烈な衝撃に胸をどすんと打たれた。どことなく現実としてとらえきれていなかった祖母の死がいきなり、それも文字通り露骨すぎる形で突きつけられたように思えた。そうだやっぱりばあちゃんは死んだんだという暗い認識と同時に、人の骨ってやっぱりこんな形なんだなと、脳内で冷静に理科の教科書をめくる自分もいた。祖母とどういう関係かよくわからない女性が号泣しながら、祖母の骨を拾っていた。そうこうするうちに陽佑にも順番が回って来て、箸が渡された。陽佑は、腰のあたりの、小さな小さなかけらの骨を拾った。もっと大きな骨を拾う役目は自分ではないと思ったし、大きな骨を拾うと祖母の形を壊してしまうようにも思えて、気おくれした。でも陽佑の遠慮を無視してことは進み、祖母は壺の中に収められてしまった。その後何があったか、また記憶が飛んで、気づけば陽佑は祖母の家に戻って、従弟と対戦ゲームをしていた。心ここにあらずの陽佑は、日ごろ絶対にやらない凡ミスを連発して従弟に一方的に敗北していた。従弟の勝どきもどこか空疎だった。午後は街へ出て――ホテルの近くで、つまり車で30分の距離だ――会館で葬儀が行われた。陽佑は襟のホックを締め直し、ただひたすらぼんやりしていた。ホテルに戻ると、荷物をまとめておくよう言われた。明日の朝、陽佑と姉は電車で帰宅することになっていた。月曜からは学校に行けということだ。祖母の家と墓と土地について、せっかく集まったので、実子たちで話し合いが持たれることになり、両親はもう一泊して、月曜の夜までには帰るということだった。高校生と中学生なら、1日半くらい自力でどうにかできるだろうと判断されたらしい。


 日曜の朝、ひとまず祖母の家に行き、仏壇に手を合わせた後、陽佑と姉は両親の車で最寄りの駅(40分かかった)まで送られた。母は姉に、洗濯機の説明書のありかを教え、いくらかのお金と自宅の鍵を渡した。コンビニ(街に出れば1軒あった)で昼食を買ってもらい、駅でバッグを抱えて降ろされた。普段はそれなりの地方都市で暮らしていて、ひとりで電車に乗る機会もそこそこあった陽佑だが、この線に乗るのは初めてだった。姉と話すことも特にないし、あちらもそう思っていたらしく、姉弟は微妙に離れて車内に座った。窓から見えるのは深緑の生きた絵画で、自動車から見るのとはまた違った迫力があり、陽佑はぼーっと見入っていた。途中で弁当を食べた。乗り換えて、さらにバスに乗り換え、帰宅したのは2時半少し前だった。洗濯ものがあればとっとと出せ、と姉に言われたのでそうした。連城に通信アプリでメッセージを送る。今帰ったということ、月曜の用意を教えてほしいということを送信した。荷解きをし、いろいろと片づけて、酷使された制服をハンガーにかけた。明日すぐ着るはめになったので、残念だが今から洗濯してもらうのは無理だろう。連城から返信があって、中学生なりの弔意と、明日の時間割と持参品と課題が知らされた。事情が事情だから課題はやっていかなくてもいいかもしれない。しかしどういうわけか気が向いて、陽佑は問題集の指定されたページを真面目に学習した。幸い量は多くなかったので、4時前にはもう明日の用意まででき上がってしまった。


 陽佑はぶらぶらと散歩に出た。1か月ほどもこの街を離れていたような勘違いをしてしまう。桑谷くわたに家に起こったことを、街は何ひとつ知らず、いつも通りの日常を刻んでいた。川のそばの土手に来た。あの先に桜がある、例の場所だ。今日は桜までは近づかなかった。妙にひんやりとした風が、陽佑の頬を撫でた。向こうの小さな橋を、車が渡っていく。家々の窓ガラスが、傾いた日光をきらりと反射する。何も変わっていない。変わっていないからこそ、自分の心の中が変わってしまったのだと気づかされる。


 悲しいかどうかわからない。でも、ぽっかりと寂しい、とは思った。

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