39 第一関門
「文化祭ィ…………?」
文化委員長を務める3年3組の林は、声を裏返した。
「いや、完全復活までさせなくていいんです。とりあえずステージだけ」
5月あたまの連休が明けて気がつくと、陽佑の声変わりはほとんど終わって、喉の痛みもなくなっていた。そのかわり、声の重心がかなり落ちたようだ。自分でもまだ聞き慣れない。
「だけ、っていっても……」
林は、副委員長の増田と顔を見合わせた。彼の顔には油性ペンではっきりと「めんどくせえ」と書かれている。対して増田はまだ、話が飲みこめてなさそうだ。
各クラスでは、校内合唱大会に向けての準備と練習が、着々と進められていた。学年ごとの課題曲のほかもう1曲、自由曲を選び、計2曲ずつ歌う。2年生の課題曲は、名曲ぞろいのかの映画「サウンド・オブ・ミュージック」から「エーデルワイス」とされていた。陽佑のクラスでは自由曲は、世界的な人気アニメ映画のテーマソングに決まった。アニメのテーマといっても、アメリカの一流ミュージシャンによる本格的なもので、映画そのものだけでなく曲としても大ヒットを飛ばしている。指揮は男子の土田、ピアノ伴奏は女子の
実は自由曲を最初に決定する際に、4組と曲がかぶってしまったことがわかり、双方のクラス委員と文化委員で話し合いを持ったのだが、この席で少々もめてしまっていた。どちらも違う曲を選びなおすということで決着したものの、現在2組と4組の間には険悪な空気が流れている。4組の文化委員である池田という男子は最初からケンカ腰だった上に、2組のクラス委員である菊田が挑発に乗りやすい短気な奴だった。あとのメンツはむしろふたりの激高を抑えるのに振り回され、陽佑は話し合いの建設性にはあまり貢献できなかった。今日こうして、文化委員会の席で池田と顔を合わせると、ふん、という感じで顔をそむけられる。陽佑としてはため息を押し殺すしかない。
委員会の席で、合唱大会の具体的な運営のための役割分担や各種打ち合わせが行われ、意見や質問はないかとたずねられたときに、陽佑は挙手して、文化祭のステージを復活させることを提案したのである。神経を使う打ち合わせの後だったから、委員長が露骨に疲れを見せたのも無理はないかもしれない。
「今、学校の文化部は、それぞれで校内の発表会を開催してますよね。それを、1日にまとめられないかと思って。演劇部も、ブラスバンドも、コーラスも。で、せっかくなんで、ほかに何か特技を披露したいって生徒何組かに、ステージで発表してもらう、という趣向にしたいんですが」
ええー、と小さな声が聞こえた。3年生がはっきりと、やめてくれ、という顔をしている。陽佑は素早く見回した。1年生は逆に、興味を示す表情だった。2年生は――まちまちだ。梅原は軽く両目をみひらいているが、面白そうかも、という上向きの感想を、陽佑は読み取った、ような気がした。
「……いつ、やる気なの」
「そうですね、文化系クラブの発表会とあんまり変わらない時期にした方が、支障が少なくてすむかなと。10月か11月くらいでしょうか」
「2学期だな」
あ、と陽佑は小さな声を上げて黙り込んだ。……我ながら、間抜けなことである。
「お前、2学期の文化委員から恨まれるぞォ。セッティングに大風呂敷広げて、実行は2学期の委員に丸投げ、なんてなあ」
委員長はにやにやしながら、陽佑を嘲るように見やった。陽佑は言葉につまった。
が……自分が間違っているとは、どうしても思えない陽佑だった。たぶん、2学期に自分がもう一度文化委員になってから動き出しても、きっと間に合わない。恒例行事ではないものを企画しようというのだから、準備や認可に時間がかかるのは当然だろう。ならばやはり、1学期から動いておかなくては、いつまでたっても実現にはこぎつけられない。
「これって、学校の予定を変更しなきゃいけないから、生徒会経由で先生方にも話通さないといけないでしょう。あと、生徒総会で審議と議決が必要になるだろうしね」
副委員長の増田は、首をかしげ、考え込みながら、委員長よりも建設的な意見をくれた。
そうか、と陽佑はまたしても小さな声を上げた。そうだ。学校の予定を変更してもらわなくてはいけないのだから、けっこう大ごとだ。なんでそんなことを、連休の間に想定しておかなかったのだろう。
「ちょっと聞くけど、この提案、文化委員会として請け負ってもいいって人、いる?」
半ば嘲笑するような口調で、林は文化委員たちにたずねた。3年生は、8人中3人だけが挙手した。逆に1年生は、5人が挙手。2年生で賛成は6人。過半数である。予想外の反応に、委員長は一瞬黙り込んだ。陽佑は少し驚いて、委員会の席を見回した。まさか今の段階で、こんなに興味を持ってくれる委員がいるとは思わなかったのだ。梅原は小さく笑って、委員長の「はい、いいです」の合図で手をそっとおろした。
「けど、いくらここで賛成が多くたって、実働は2学期の文化委員になるわけだからなあ」
林はまだ半笑いのまま、陽佑を見下ろしている。
そんなことは陽佑もわかっている。だが、今の段階で2学期の文化委員が誰になるのか、わかるはずもない。陽佑は、しょうがないな、と腹をくくった。
梅原が、あのバンドを見たいというなら……俺が、ステージを用意する。
「では、俺……僕が、2学期も、文化委員やります。で、この企画については、僕が責任持って進めます。それでいいでしょうか」
……林の顔から笑みが消えた。
「い、いいでしょうか、って……2学期のことは、おれは知らないよ」
増田は無言のまま林を見ていた。ひどく冷たい、氷のような視線に、陽佑には思えた。
「それに、1学期には直接関係ない行事なんだから、その準備に1学期の文化委員を動かすことは、認められないな。今のうちに準備したけりゃ、自分でやりな。こっちは合唱大会のことが最優先なんだから。2学期はお前の好きにすりゃいいけどさ。けど、2学期の文化委員に、余計な仕事増やして総スカン食ったって、おれは知らないよ、お前の責任だぜ」
確かにその通りなのだが、そんな言い方をしなくてもよさそうなものだ。しかしこれで陽佑は、委員長から「好きなように進めていい」という言質を取ったのである。
「わかりました」
陽佑は着席した。第一関門は突破した。もう頭の中は、次のステップに入っている。……文化祭とかステージに関して、生徒の意識調査のようなアンケートでも取ってみようか。もしそこで、好意的な反応が多ければ、それをまとめて生徒会に話を持って行く、という形ではどうだろうか。
いやいや、その前に、合唱大会から手を抜いてはならないのだ。
考え込む陽佑の顔を、2年1組の女子がさりげなく見つめていた。
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