38 13年間

「文化祭……?」

 ご存じないですか、と陽佑ようすけにたずねられ、教頭の岩渕いわぶち先生は首をひねった。

「いや……いやいや、待てよ……確か……」

 岩渕先生は記憶を掘り起こしている。

「うん、うん……あったぞ、昔は。私がまだ教師になって間もない頃に、ここに赴任したことがあって……うん、やってたな、文化祭」

「いつごろ、ですか」

 陽佑は食らいついた。連城れんじょうが興味津々で、目を丸くして見守っている。彼はただ放課後が暇だから、陽佑につき合うことにしたようだ。陽佑が岩渕先生を選んだのは、アテがあったわけではなかった。教師としての経験が長そうで、声をかけやすかった、というだけだ。校長先生は校内をうろうろしているのをあまり見かけないし、副校長先生……よりは、岩渕先生の方がいいかなという心理には、大多数の生徒が賛成してくれるだろう。結果として、当たりくじを引くことができたと言ってよさそうである。

「うーんと……着任したのが、25年前だ。それから3年間、在任して、転属になった」

 指を折りながら教頭は答える。

「3年間とも、文化祭はあったんですか」

「あったね。途中でなくなったことはなかった」

「どんな感じ、でしたか」

 陽佑は文化祭というものを経験で知らない。事前にネットで調べて、雰囲気をなんとなくつかんだのが精一杯の予備知識だ。岩渕先生によれば、文化系のクラブを中心に、校内の展示、ステージでの発表、各クラスによる教室での企画、といったものがあったようだ。ステージにはクラブだけでなく、有志の生徒たちいくつかのグループによる参加も認められていた。中学校ゆえか、出店や屋台といったものはなかったらしい。

「じゃ、いつごろどうして文化祭がなくなったかは、先生はご存じないんですね」

「うん、わからない」


 礼を述べて、陽佑は連城を誘い、職員室へ向かった。途中で何人も、下校する生徒やクラブに向かう生徒やぶらつく生徒とすれ違う。資料室を閲覧する許可をとって、鍵を借りる。


 資料室は、校舎3階の隅にあった。中は薄暗く、壁面いっぱいに作られた書棚にぎっしりとファイルが並んでいる。

「すげー……」

 陽佑に続いて室内に首を突っ込んだ連城が、かすれた感嘆をもらした。陽佑は、学校行事が年度ごとに綴られたファイルを捜した。それは簡単に見つかった。年度が下るにつれ、ファイルはどんどん薄くなっている。やはり最近はデータベースが主流になっているのだろう。それでも紙の資料を廃さないのは、もしかすると年配の教職員への配慮なのだろうか。


 とりあえず陽佑は、岩渕先生から聞いた、25年前のファイルを捜した。連城には、最後の文化祭がいつだったのかを調べてもらう。今の3年生が文化祭の存在を知らないのだから、遅くとも3年前には廃止になっていたことになる。たぶん実際はもっと前だ。


「あった」

 もはや何色だったのかわからないほど退色したファイルをめくって、陽佑はいとも簡単に、文化祭の記録を見つけ出した。10月下旬だ。プログラムが一緒に挟まれていた。写真も添えてある。プリントがかなり不明瞭になってしまっているが、岩渕先生から聞いてイメージした雰囲気とほぼ同じ光景がそこにある。紙の資料も悪くないもんだなと陽佑は思った。指ですぐめくることができる。連城が横合いからのぞきこんだ。

「へえ、昔は文化系のクラブも多かったんだな。科学部なんてあるぞ」

「これ何だ……園芸部?」


 続けて陽佑は、岩渕先生が若き日に在任していた年度のファイル2冊を調べた。文化祭の記録はちゃんと残っている。年度によっては、開催時期は11月だったこともあったようだ。陽佑は小型のリングノートを開き、シャーペンを走らせてとにかくメモをとった。スマホが使えれば撮影して一発なのだが、中学校には持ち込み禁止だ。コピー機のあるところまで往復するのももどかしい。結局これが早いということになる。陽佑はそのまま、時代の流れにそって、ファイルをあさった。今から17年前の年度を調べていて、あっと陽佑は叫んだ。

「これか、噂の乱闘事件って」

 それは文化系クラブに代々伝わる噂らしい。生徒数人が、校内で乱闘騒ぎを起こし、学校がその制裁として、以後の文化祭を一切とりやめた、という説である。関わった生徒は文化系クラブの所属だったようなのだ。学校の中で乱闘を起こすなんていったい何が原因だったんだろうと思うのだが、真相までは不明であった。たとえば演劇部には、女子生徒をめぐる恋のさや当てが大きくなってしまったらしいと伝わっているようだけれど、これも「らしい」でしかない。

「どれどれ」

 資料の間にいくつか、当時の教職員による、手書きもしくは文字入力ソフトのプリントアウトによる、覚え書きが綴られている。陽佑が見つけたのはプリントアウトのものだった。

「えーと、……2年生男子9人による、校内での乱闘……負傷者……制裁が必要か……」

「そこで文化祭なくなったのか」

「……この年度は開催されてる。でも乱闘事件が、文化祭の後の12月なんだ」

 結局乱闘の原因は不明のままである。陽佑は手を伸ばして、次の年度のファイルを引っ張り出した。覚え書きの中には、生徒に見せていいのかと思われるような内容のものもある。おそらく現在の教職員がそこまで把握していないのだろう。

「…………いや、文化祭、あるな。乱闘事件は関係なかったのか。結局制裁としてそうなったわけじゃなかったんだな」

「あった!」

 連城が声を上げた。

「おい、最後の文化祭は13年前だ」

「ほんとか」

 陽佑は連城の手元へ首をのばした。

「13年前はこうやって記録が残ってる。で、その次の年度の行事について会議があったらしいんだけど、……ほら、年間予定表に書いてないんだ」

 1年間の行事予定表は、誰かの打ち合わせ資料だったらしい。余白に書き込みがたくさんある。中でも、10月のカレンダーの一部に、ボールペンで何重にも丸囲みがしてあり、矢印と「文化祭?」と書き添えられている。

「先生の割にきたねー字だな」

「なんだろ、この隅の数字の羅列」

「読めねー……えーと? 要領、改定……必修……コマ……?」

「もしかして……」

 陽佑は額を指でつついた。

「授業時間確保のために、文化祭を削らざるを得なかった、のかも」

「ああー……なるほど……」

 さらに余白の汚い字をたどっていくと、どうやら「文化祭をなんとかさせてあげたい派」と「文化祭を廃止するのはやむをえない派」で、激論が戦わされたと思われる走り書きがあった。しかし、「文化祭なんて無駄だからさっさとやめてしまえ派」がいたかどうかはわからない。

「もしかすると……文化系クラブが減ってしまったり、そういう影響もあるのかな」

「生徒数減ってるだろーしな」

「ああ、それもだな」


 陽佑と連城は手分けして、その後の資料を調べた。やはり文化祭は連城が見つけた年度が最後だった。生徒たちが文化祭を復活させようと動いた記録はないのだろうか……見つけられなかった。そうした動きはなかったのか。あったけど、記録が残っていないだけなのか。文化祭復活のための運動が、全校規模に盛り上がらなかったとすれば、記録に残っていない可能性は大いにあるが、記録がない以上はすべて憶測にしかならない。

「13年か。そうやって、文化祭は風化していったんだな」

 連城は腕組みして、そうつぶやいた。うん、と頷いて、陽佑は遠くへ視線を投げた。


 13年間。中学生にとって長いのか短いのか、微妙な年数だ。中学校での生徒総入れ替わりが4回起こっている。「中学生」の寿命は3年間しかないのだ。小学生が中学生になって、3年間で巣立ち、中学生ではないものに変わってしまう。そういう意味では、長い時間といえるだろう。しかし一方13年間といえば、子どもが生まれてからまさに中学生になるまでと、ほぼ同じ時間でもある。幼い頃に行ったことのある店やレジャー施設が、中学生になる頃にはなくなっていた、と考えると、寂寥感は否定できない。事実陽佑もそんな経験があった。それを身をもって覚えていられる年数なのだ。

「13年……」

 メモをとる手をふと止めて、陽佑は考え込んだ。これだけの年数が経っていれば、当時を知っている人など、現在の中学校にはいないだろう。歴史の証言者はこのファイルと、岩渕先生くらいしかいないということになる。

 だとすれば……。


     〇


 職員室に鍵を返却するとき、岩渕先生にまた会った。

「資料は見つかったかな」

 岩渕先生にたずねられ、とりあえずは、と陽佑は答えた。

「先生、当時の文化祭、楽しかったですか」

「うん、まあね」

 教頭は頷いた。

「我々教師は、生徒たちが楽しく過ごせているのが楽しい、という観点になるからね。そういう意味で楽しい行事だった」

「この学校に戻って来て、文化祭がなくなっていたとわかって、どう思われました?」

「うーん……」

 陽佑の質問に、岩渕先生は複雑な表情をのぞかせた。

「まあ、寂しくはあったね。これも時代の流れなのかなと。指導要領も変わってきているしね。けれども、時代の流れというのは、中学校の生徒の質にも影響しているんだ。パワフルでエネルギーの有り余っていた時代。無気力になり始めた時代。その時代時代によって、中学生も変わっているんだよ。文化祭がなくなったのは、日程が取れなくなった、ということのほかにも、別の事情があったかもしれないね」

 ……考えさせられる回答だった。あるいは、先生はわざとそう言ったのかもしれない。


「文化祭を復活させたいのかね」

 陽佑をのぞきこんで、先生はたずねた。

「まだ……わかりません」

 言葉を選びながら、陽佑はむしろ自分の考えを確かめるように答えた。

「やってみたいことがあって、それを実現させるために、文化祭という形式が一番近いのじゃないかと思って、参考にしたかったんです。まだ……どうするのか、決めてません。何らかの、形にできたらと思うんですが……文化祭という形式でいいのかどうか……迷ってます」

「……そうかね」


 もう一度礼を述べ、陽佑は連城を促して退室した。ふたりの男子の後ろ姿を、岩渕先生は横目で見送った。――あの目は、そう簡単にあきらめてなるものか、という目だな。さすがにベテラン教師は、陽佑の目つきからさまざまなものを読み取っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る