37 消えていくもの

「……学校で、バンドの演奏ができる機会?」

 連城れんじょうは、目だけでなく顔全体をぱちくりさせて、まじまじと陽佑ようすけを見つめた。

「あるわけねーと思うけど」

「だよな」


 昼休み。例によって、2組の教室、廊下との境目の窓辺で、陽佑と連城はしゃべっていた。2年生の男子は、昼休みによく校庭でサッカーをして、陽佑たちも時々参加することがあるが、今日はあいにく雨模様で、サッカーはない。だから校内では、発散できないエネルギーを持て余した奴らがうろついて、非常にやかましい。


「あ、梅原」

 陽佑が呼びかけ、連城が片手を上げる。たむろする中学生たちをかわしながら歩いていた梅原は、にこっと笑って近づいてきた。

 ……不思議なものだ。去年は、女子に話しかけることに気恥ずかしさを感じていたはずなのに、今は何とかして話しかける機会をうかがっている。別々のクラスになってしまった焦り、だろうか。窓とはいえ、壁1枚へだてて立つことで安心するのだろうか。それとも連城と一緒だからか?

「今日は何の話で盛り上がってるの?」

「こいつがさー、学校でバンドの演奏ってできないだろうか、って言いだしてな」

 連城の指につられて、梅原は陽佑へ瞳を向けた。

桑谷くわたにくん、バンドやってるの?」

「まさか、俺の話じゃないよ」

 陽佑は軽く手を振って否定した。

「ちょっと意外な奴がやってるらしくて。見てみたいなって思ったんだ。せっかくだから、観客が多い方が、喜ばれるんじゃないかと思っただけ」

「なるほど、そうだね」

 梅原はうんうんとうなずいた。

「ブラスバンド部は、秋にコンクールがあって、その後校内で発表会があるけど、どうせなら観客がひとりふたりより、もっといてくれた方がありがたいしね」

「梅原もそうだけど、佐々木とか川槻かわつきとか、普段あまり縁がない楽器を普通にこなしていて、なんかすごいなと思ったのを覚えてるよ」

「そーだよな。やるじゃん、って思った」

「でもね。あたしたちは学校の公設のクラブだから、コンクールも学校の名前で出られるし、校内の音楽発表会でも披露できるし。有志によるバンドじゃ、そうもいかないね。たとえば軽音部みたいなクラブがあったとして、そこの部員になれば、音楽発表会も合同で参加して、演奏が披露できたかもしれないよね」

「軽音部か」

 陽佑は首をひねった。それが一番、王道の手順のような気もする。欠点は、間に合わないかもしれない可能性だ。たとえば、今すぐに軽音部の結成を目指して行動を起こすとする。部員になってくれそうな人数を集める。生徒会と学校に申請を出す。スムーズにいったとしても、1学期の間に認可が下りるかどうか。そこから本格的に部員を登録し、曲を選んで練習し、秋の音楽発表会に間に合うかどうか。――しかもこれは、最速のペースですんなりことが運んで、と仮定した場合だ。クラブさえ成立すれば、音楽発表会への参加は来年からでいい、という見方もあるだろう。しかし、クラブ活動として成立できるほど人数が集まらなかったら? 山岡のバンドなら丸ごと囲い込めるかもしれないが、その場合山岡はサッカー部を、宮野はブラスバンド部をやめることになるのか? それは……彼らが本当に望んでいる形なのか?


「へえ、宮野くんが? 双川ふたがわくんも? それならあたしもちょっと見てみたいかな」

 そんな反応を梅原が示したので、そうだろ、と陽佑はうなずいた。

「……音楽って、展示しておけないんだよね」

 梅原はまた、陽佑からも連城からも離れたどこかへ、たそがれに染まった海の色を宿した瞳を流していく。

「絵とか彫刻とかは、展示しておけば、いつでも好きなときに見られるし、しまっておけるけど、音楽はそうはいかないよね。一瞬一瞬、奏でるはしから消えていっちゃう。録音しておくことはできても、生で聴くのとは違うものになってしまうんだよね。美術作品を写真とか映像で撮影して見ても、光の加減とか質感とか、直接見る場合とは違って見えてしまったりするでしょう? あれと同じ」

 言葉を挟みかねて陽佑は梅原の、たそがれ色の目に引きつけられた。たぶん連城も同じ顔をしているんだろうと思いながら。

「そのかわり、音楽は、観客からものすごくダイレクトに反応がもらえる。その場で、すぐにね。つくる方も鑑賞する方も、一瞬の熱量だけなら、美術作品より大きいと思う。演劇もそうなのかな。……それはやっぱりステージで、消えていくものを作っているから、なのかな」


 ……消えていくものを作る……。

「ステージで、か……」

 ステージで。

 ステージで。


 陽佑は、伸びてきた前髪を軽く引っ張った。


「……あれ?」

 いきなり、梅原が陽佑をぴたりと見すえた。

「桑谷くん、背、高くなってない? あたしよりも……」

「え」

 陽佑は軽く驚いて、梅原と視線を合わせた。……梅原の方が低い。わずかながら、陽佑が彼女を見下ろす構図になっている。

「あ、本当だ」

 客観的にふたりを見比べられる連城も、認めた。陽佑の方が高くなっている。ひと月ほど前、春休みのさなかに会ったときは、ごくわずか、陽佑の方が低いと確認したばかりなのに。

「ええー、なんか、ショック。……そうなんだ」

 梅原にまじまじと観察されて、陽佑はなんだか、目の高さを比べるのがきまり悪くなった。

 ……この前は平気だったのに、なんでかな。

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