32 桜を待ちながら

 生徒会主催による3年生の送別会、そして卒業式が行われたのは、ホワイトデーよりも早い日程だった。ひとつの大きな節目が、自分たちにも近づきつつあるのが実感される。もうすぐ今の学年も修了なのだ。


 陽佑ようすけ、梅原をはじめ各クラス委員は、生徒会執行部の指示を受け、これらの行事の手配に参加した。といってもそうたいへんなことはない。たいがいのことは執行部が直接やってくれていたからだ。当日の流れを各教室で同級生らに説明したり、会場に椅子を並べたり撤収したりする作業の指揮とか、そういったことだ。少々手間ではあったが、基本的に言われたことをやるだけなので、運動会とかそういった行事よりは気が楽だと思う。何より梅原と一緒にできることなら、何であろうと楽しかった。ただ卒業式は、ブラスバンド部は校歌を演奏するため体育館後方で待機しなくてはならず、梅原はけっこう忙しそうだった。彼女のフルートが卒業式にも聞けるなんてお得だな、と思ったのは、約2名の男子だけかもしれない。


 期末試験の結果を返された陽佑は、思わず声を出しそうになった。総合28位。数学が15位で貼り出されたほか、理科が23位、社会が30位。国語と英語はぴりっとしないが、それでも多少順位が上がった。これまでにない結果だった。

「ああー、おれもクラス委員やってた時は成績上がった。なんでかは知らんけど」

 家庭科のディフェンディングチャンピオンは、うんうんとうなずきながら述懐した。しかしその割に、総合61位である。クラス委員をやめてからも、1学期ほど低くはない。

「もしかしたらおれら、何か忙しくしてた方が、かえって勉強の集中力上がったりして」

「……ありうるな」

 陽佑は同意した。もちろんそうでない人もいるのだろうけれど。


 修了式そして退任式とともに、1年生が1年生である時期は終わりを告げた。形式上、3月いっぱいはまだ1年生として扱われるけれども、いよいよ終わったのだ、2年生だという実感が、誰の胸にもある。ただ心配なのが、進級時に行われるクラス替えである。せっかく仲良くなれた顔ぶれの、単純計算で4分の3とは、お別れすることになるのだ。別のクラスのあいつと同じクラスになれたらいいな、という期待も当然あるけれども、今同じクラスにいるあいつらと離れるのは嫌だなという気持ちの方がリアルに迫る。特に、彼女と。


 最後のお楽しみはあった。春休みに、新しく入学してくる現小学6年生の学校案内と物品販売が行われるのだが、そのアシスタントを生徒会執行部と、現1年生のクラス委員が担当することになり、招集がかけられたのだ。打ち合わせは3学期中に行われた。いつもなら面倒な行事だなどと思ってしまったかもしれないが、今回ばかりはつい熱を入れてしまう。春休み中にたった半日、けれど貴重な半日、陽佑は学校で梅原と再会した――もちろんふたりきりになったわけではないが。その日、校内は小学生と保護者でごった返し、教科書をはじめ大荷物を抱えた人々が右往左往していた。


「去年俺らもこうだったんだよな」

 小学生と保護者を体育館へ案内する合間に、陽佑は梅原に話しかけた。

「そうだね。あのときは誰が誰やらわからなかったけど」

 梅原は小さく笑った。そう、去年の今ごろはまだ、みんな同学年だとわかっていたのに、誰が誰だかわかるはずもなかった。たった1年でもう、同学年の顔はだいたい覚えた。名前知らないけど4組の奴だよな、くらいは言い当てることができる。女子であってもだ。


 ふと梅原が笑みをおさめて、陽佑をながめた。

「……桑谷くわたにくん、背、伸びた?」

「ん? …………あれ、そうかも」

 陽佑と梅原は余計な感情を抜きにして、見つめ合った。去年の春は間違いなく、梅原の方がはっきりと高かった。陽佑は男子でも小柄な体格だったのだ。しかし今や、目線の高さがほぼ一緒である。……まだほんのわずか、陽佑が低いか。


 すみません、と呼びかけられ、梅原は急いで近づいて行く。ほとんど同時に陽佑も、お手洗いの場所を聞かれて案内に向かった。……たったの1年。濃密な1年。自分は地味に無難に過ごすんだろうなと思っていたのが去年の春。連城れんじょうと親しくなったり、そいつと好きな女子がカブったり、エッチな話への耐性が多少上がったり、嫌がらせをやめさせるのに首をつっこんだり、騎馬戦で予想外の勝ち星を挙げたり、どさくさ紛れに梅原と手をつないだり、マラソン大会でけっこう頑張ったり、声変わりが始まったり、クラス委員になったり、梅原からチョコレートをもらったり、お返しをしたり……球技大会で、みんなとハイタッチして喜びを分かち合えるくらいの絆を実感したり。そして年度の最後の最後、梅原と一緒に仕事をこなしている自分がいる。それだけの間に、彼女との身長差はほとんどなくなっている。

 いろいろなことがあったのは確かだが、果たしてそれらを糧にすることができているのだろうか。自分は少しでも成長できているのだろうか。今自分が案内をしている小学生には、頼もしい存在に見えているのだろうか。わからない。わからないけれど、2度目の春はすぐそこまで迫っている。いったいどんな新しい1年間が待っているのか、まだ誰も知らない。知らないけれど逃げ出すことはできない。誰ひとりとして、立ち止まることはできないのだ。


「桑谷くん、ちょっといい?」

 向こうで梅原が呼んでいる。はい、と返事して、陽佑は足を速めた。とりあえず今は、今すべきことに専念しよう。梅原と力を合わせられるという幸運を噛みしめながら。



 桜のつぼみは、ゆっくりと力をたくわえながら、中学校を見守っていた。

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