26 埋火(うずみび)
この中学校は、運動会はあっても文化祭はない。文化系クラブは、それぞれ発表の機会を独自に企画することになっている。美術部は作品展示期間を設けているし、演劇部の発表会は先日の午後、全校生徒を体育館に集めて行われた。そして今日の4時間目は、コーラス部とブラスバンド部共催による音楽発表会である。
文化系のクラブ入ってる奴って、どんなことしてんのかが見えづらいんだよな……ずいぶんと失礼なことを、
そんなこと言うなら体育会系だって、球技大会や運動会とクラブの内容が違うじゃないかとは理屈では思うのだが、それはなぜか納得がいかない陽佑である。
演劇部の発表会はなかなか興味深かった。金色夜叉の一部を取り扱ったもので、見知っているはずの生徒がまるで別人になってしまう世界には、圧倒されるものがある。あれで、その後行われた演劇コンクールでは敗退してしまったというから恐れ入る。
音楽発表会ではまず、コーラス部が先に歌うことになっていた。女子の
次いでステージに椅子や譜面台が並べられ、ブラスバンド部が登場した。こちらも、梅原をはじめ、佐々木、宮野、1組の
顧問の先生の指揮のもとで演奏が始まった。この曲も陽佑のわからない曲だ。ブラバンのコンクールはすでに行われ、市の大会は突破したが県の大会で敗退してしまったという。3年生は今日を最後に引退するということだ。
見慣れない楽器を知らない顔つきで演奏する友人たちを見ていると、不思議な感情にとらわれる。あいつ、こんなことできるんだ。上級生と並んで、トランペットを誇らしげに吹き鳴らす佐々木。いくつかの打楽器を掛け持ちして、演奏中にステージを移動しながら落ち着き払ってこなしていく宮野。チューバで低音のリズムを安定してつむぐ川槻。そして、――運動会で握りしめた、あの細い指を器用に動かして、金属製のフルートを奏でる梅原。いつもと全然違う表情で、曲の一部をそれぞれ担当して、ひとつのものを織り上げていく友人たち。……いや、コーラス部だって演劇部だって、体育会系含めたほかのクラブだってそうなのだろう。陽佑が絶対にできない表情で、必死に練習して、ひとつの成果へと力を合わせて行く。それでもブラスバンドがことさらに気になってしまったのは、特別な女の子がそこにいるから、なのだろうか。
陽佑は、小学生の頃にサッカーのクラブに入っていた。男子の多いクラブがサッカーと野球しかなく、ほとんどみんなどちらかに入っていて、ほぼ強制状態だった。仕方なく入部したが、もともと球技はさほど好きではなかったし、上達もしなかったので、あまりうちこめなかった。どうやらうちこめる性質ではなさそうだと、自分で見切りをつけた。それでも所属していないと、孤立してしまうのだ。小学生対象のクラブだったので、引退と同時に、中学校ではクラブに入るまいと決めた。たとえ文化系であってもだ。自分が何かにうちこめるとは思えなかった。今ステージにいる彼らと同じ表情で、何かを作り上げる一員になれるとは思えなかった。何もできなくていい、ただひたすら地味に――エキストラでいい、無難にやりすごせれば、それでいいと思っていた。
それなのに……今、胸の内でぴりぴりと痺れるような痛みを放っているものは、何なのだろうか。
1曲目が終わった。ブラバン部員は楽譜を取り換え、2曲目に取り掛かる。梅原をはじめとするフルートのイントロで始まる。たぶん今、俺のことは眼中どころか、頭の中にもないんだろう……梅原の目は、楽譜と、指揮と、そしてどこかをさまよっている。曲の世界なのか、あるいはもっと遠くか。
どうして梅原にこんな感情を持つようになったのか。彼女ばかりを見つめてしまい、陽佑の考えはステージからも音楽からも離れて、過ぎ去ったはずの1学期へと漂っていく。初めて梅原に出会ったあの頃。女子の割にさっぱりした話し方や物腰。誰からも聞いたことのない、ちょっと変わった着眼点。大野の攻撃に固まった表情ながらも耐え抜いたしなやかさ(これについては、もっと早くどうにかすべきだったという反省点が、陽佑にはある)。……目だ、と陽佑は思い至った。梅原の目は、大きくて澄んでいる。そしてまっすぐ相手を見据える。時として直視に耐えられない場合があるのは、自分の中に弱みというべき感情があるからなのだろうか。――彼女の瞳はまるで、太陽を反射した海のようだと思う。太陽そのものではない。きらきらと夏の太陽を反射してきらめく、海水浴場の波。そして、冷たい月の光に照らされはしても反射はせずに吸い込んでしまう、何かを隠した夜のうねる海面。明るく相手を見つめる瞳と、思い悩んでどこかへ放られている暗いまなざしと。
不思議な女の子だ。
演奏が終わると、一旦退場していたコーラス部がブラスバンド部員の後ろに並び、1曲共演することになった。誰の提案なのか、校歌であった。
「――どーした?」
音楽会発表会が終了し、教室へ戻る途中、どことなく打ち沈んでしまった陽佑が気になったのか、連城が声をかけてきた。
「いや……」
歯切れの悪い回答しかできない、陽佑だった。
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