22 運動会開幕

 運動会の前日は小雨にたたられたが、夕方にはすっきりとやみ、当日は無事に開催されるはこびとなった。ただ、湿った土はダイエットが間に合わなかったらしい。


 開会式直後の競技は徒競走で、これは全員が入れ代わり立ち代わり、走らなければならない。ごまかしようのない競技だ。特に1年生はいの一番の出番である。女子が先に走るのだが、男子もその後ろでスタンバイしなくてはならない。さらにその後は滞りなく2年生の徒競走となるので、招集は同時だ。応援席にいるのは3年生ばかりとなり、彼らも1年生の出番が終われば速やかに移動することになる。

 体育の授業で陽佑ようすけが見る限りでは、梅原は短距離走はけっこう速いと思う。ただぶっちぎりというほどではないし、クラスのトップは他にいる。速い方の集団にいる、という感じだ。陽佑自身は男子の中で……真ん中へん、くらいじゃないだろうか。運動会の徒競走では、4人ずつ走ることになるのだが、梅原は組み合わせの妙か、2位に終わっていた。気づくともう男子の出番が迫っている。

 ……ま、コケなければいいや。緊張感のない陽佑は、そう思った。

 そして陽佑はコケずにすんだ。これも組み合わせ運というやつだろう。1位こそ取れなかったが、2位でゴールに入り、面目はなんとか保つことができた。


 1年生の徒競走が終了して応援席に戻ると、3年生に徒競走の招集がかかる。1年生はいきなり自分たちだけで応援をしなければならない。学年応援代表の大野には、さっそく見せ場がやってきた。体育委員もクラス委員も、各クラスから供出される審判などの係員も、落ち着いて応援席にいることはできない。だから学年応援代表が設置されているのだ。確かに大野にとっては天職かもしれなかった。緑組の応援席は、どこよりも盛り上がった……騒がしかった、と紙一重かもしれないが。炎を吐き出す丸々としたグリーンドラゴンの巨大看板を背に、小さな体躯の大野が巨大な緑の旗を振り回し、1年2組は先輩たちへの声援を送り続けた。その甲斐あってか、全員の徒競走が終了した時点で、わずかとはいえ緑組は他の3組をリードする展開となった。

 しかし、この得点表を応援席で喜んでいた1年生はひとりもいない。なぜなら彼らは、学年種目「多足リレー」のスタンバイに入っていたからである。


 多足リレーは、ムカデばかりではない。第1走者はひとりで普通に走り、第2走者が二人三脚、第3走者は三人四脚。この後はムカデとなる。第4走者が4人、第5走者が5人……という具合である。

 コケるな。……これにつきる。

 陸上部の布村ぬのむらという女子が第1走者としてスタートした多足リレーで、緑組は徐々にリードをつめられていく。陽佑を含む第5走者にバトンがわりのタスキが渡された頃には3位に転落しつつあった。それでも陽佑らはなんとか2位に食らいついたままタスキをつないだのだが、男子ばかりのアンカーが派手に転倒し、最下位が確定してしまったのである。ケガ人がいなかっただけまだ幸いであった。

 ほどなく、総合得点のトップは赤組に奪われた。



 プログラムは進行した。梅原の出場した障害物リレー、連城れんじょうが参加したかぶりもの競走、その他もろもろ、実質的に午前中最後の競技となる玉入れを経て、エキシビションのクラブ対抗リレーがある。組に関係なく、各クラブ4人の選手を出して走らせる。得点も順位もなんら関係ないお祭り企画だ。4人しか出られず、1年生の出番はまずない。ユニフォームを着たりおかしな仮装をすることも、このリレーでのみ認められる。演劇部のアンカーは、フランス革命まんがの主人公の仮装をするのが恒例らしい。剣道部のアンカーは無謀にも、防具一式を着用して参加し、ゴールした後救護班が駆けつける事態となった。ブラスバンド部は参加していない。なぜならこの直後、彼らによるマーチングバンドが披露されるからだ。それぞれの楽器を手に、演奏しながら行進する。

「……かっけー……」

 フルートを吹く梅原の姿をぼーっとながめ、連城がとても小さな声でもらしていた。



 昼食後は、それぞれの応援タイムを数分間挟んで、すぐ騎馬戦となる。この日は給食はなく弁当なので、男子はそれぞれ弁当箱を持ち寄って、騎馬戦の最後の打ち合わせに余念がない。陽佑ようすけもあまり自信はないが、作戦要綱を知っておかないと味方の足を無用に引っ張ることになるので、神妙に聞き入った。男子の戦闘ボルテージがこのあたりから一気に上がっていく。陽佑も高揚はしているものの、がっつくような戦闘意欲にはならず、まあ気をつけようっと、という程度である。


 こうしてついに、男たちの出陣のときがやってきた。まず緑組と青組の対抗戦を行い、次に赤組と黄組で争われ、それから三位決定戦、決勝戦という流れだ。いきなり緑組の出番である。「馬」の上で、陽佑は小さく深呼吸した。


 ――なるようにしか、ならない。


 緑組と青組の女子がそれぞれ、応援旗を手にトラックのすぐ近くまで移動して、見守っている。だがここからは男の世界だ。ピストルとともに雄叫びが轟いた。誰の顔つきも変わっている。闘争心に火がついているのだ。勢いそのままにつっこむ者。乱戦だからこそ状況を見渡して、隙を見つけて動く者。闘志を燃やしながらも、陽動やかく乱に徹する者。男の闘争本能がぶつかり合う。陽佑は――状況を見渡して動く、に近いだろうか。どうせ正面からかかっても無理なので、どこかの乱戦に乗じて横合いからハチマキを奪えないかと考えた。先日まではさっさとやられてしまえと思っていたが、やはりただではやられたくないという方角に気持ちが傾いている。周囲の男たちに感化されているかもしれない。

 すでに脱落者は出始めている。陽佑のチームは、闘争のダンゴのひとつに横合いから素早く接近した。これを警戒していたのか、割って入った青組がいる。つかみ合いたくはないが仕方がない。伸びてきた手を振り払うと、馬がとっさの判断で旋回し、両者は間合いを取ってにらみ合う。

「あ、右」

 反射的に陽佑は口走って、上体をできる限り縮めた。別の青組がハチマキを狙ってきたのを、かろうじてかわす。対応が遅れる。馬がぶつかり合う。バランスが崩れる。

「あ」

 つい伸ばしていた陽佑の右手に、引っかかったものがある。青いハチマキだ。青組の馬がバランスを崩した拍子に、向こうから陽佑の手にからみついたのだ。

「取れた」

 ちょっと驚いたように陽佑はつぶやいた。相手はかろうじて態勢を立て直したが、ハチマキがないので脱落決定である。

 取った。取れた。

 取ったというより、手の中に飛び込んできたようなものだが、結果は同じだ。

 感慨というよりぼさっとしている陽佑を乗せて、馬が動いた。対峙した1組目の青組がまだ残っている。が、相手は別の闘争に飲みこまれつつあった。陽佑は一旦退避しようと馬に合図したが、その瞬間にピストルが鳴った。終了だ。全員が速やかに陣地へ引き揚げる。

 陽佑はまだぼんやりしていた。

 ……生き残った。生き残ったのだ。しかも戦果を挙げて。

「やったな!」

 騎手よりも馬が、歓喜にわいていた。

 まさか陽佑の功績でもないだろうが、緑組の初戦突破が決定した。


 が。騎馬戦で望外のラッキーはそうそう続くものではない。緑組は決勝戦で赤組と激突したが、陽佑は初戦で運を使い切ったのか、早々にハチマキを奪われて脱落した。緑組も2位に終わってしまった。

 来年以降はああはいかないだろうな。どうしたらいいのかわからないが、とりあえず今年のもっとも気づまりな競技は終わったのだ。陽佑はいっそ晴れ晴れとした表情で応援席に戻った。闘争の中で引っかかれたのか、頬に傷が入ってひりひりしていることに、やっと気づいた。




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