2学期
19 二学期が始まった
8月下旬、2学期が始まった。
新しい委員の決め直しがある。入学直後の1学期、右も左もわからないまま委員を務めるというのもなかなかのプレッシャーだったが、2学期は運動会という行事もあり、これもたいへんである。
「1学期があれだけ濃厚だったんだ。何だろうとどーんと来いってヤツよ」
一方の陽佑は、図書委員の仕事から解放され、とりあえず2学期は委員会に所属せずにすむことになった。気楽な身分というわけだが、実はクラス委員に関しては危なかった。どうしたわけか、陽佑もかなりの票を集め、次点という結果だったのだ。直前の「どーんと来い」発言が効いたのか、僅差で連城という結果になったのである。一方で、放課後の図書当番でブラスバンド部の練習をぼんやり聞く、という楽しみもなくなった。少し寂しい。一緒のクラブに入ればよかったのかもしれない。でもクラブ加入の時期にはまさかこうなるとは思ってもいなかったし、そのために今さらわざわざ後追い入部するのもな、とも思う。第一、転校生でもないのに今さら入部したって悪目立ちするだけだ。梅原にしても「え、なんで?」という気持ちになるだろう。そもそも……陽佑自身、音楽や楽器の素養はない。
悪いことばかりでもなかった。大野は夏休み前に引き続いて、梅原に近づかないようにしていた。陽気なキャラクターそのものは変わっておらず、今日も元気に冗談フルスロットルで、同級生たちをげらげら笑わせている。ああいうのも才能というか素質というか、陽佑は自分が絶対に持ち合わせない部分なので、局所的にうらやましい気持ちがないでもない。それなのに人というやつは、なかなか完全にはいかないものだ。同級生の大野を見る目も、少し変わったようだ。挨拶や雑談くらいはするし、面白いことを言われれば笑う。けれど、静かに一線を引く者が増えた。大野との付き合いを変えないのは、男子では例の山下たち、女子では金津とか、メンバーがかなり少なくなって固定化されてきている。それはそれでスゴイなと、陽佑なぞは若干皮肉気味に思う。
「類は友を呼ぶんじゃねーの」
連城は、もっと遠慮のないことをつぶやいていた。大野も取り巻きたちも、梅原に極力関わらないようにしているのが丸わかりだ。それでも女子の金津たちは、ときおり梅原に声をかけはするが、気合いをいれてからおそるおそる話しかけてるなあ、ということがよくわかる。大野や山下たち男子は、梅原と口もきかない。まるでいないもののように扱っている。それは無視というやつではないか、それはそれで問題だろうと陽佑は思う。
しかし、「遠慮のない」発言をする連城にくらべて、「容赦のない」ことを言う奴もいる。
「よーす、ひと夏の経験はあったか?」
などと挨拶をしながら、もそもそと歩いて来て、陽佑の後ろの席に勝手にどかりと座り込んだ。梅原が離席して、女子が周りにいないタイミングを見越して言ってくるあたりが、下ネタを頻繁に挟んでくる男のコンタンを表している。
「ばあちゃんの田舎に帰省しないっていう経験を初めてしたよ」
陽佑がすまして(いるように見える顔色で)応じると、
「そーじゃねーよ、オンナのことに決まってんだろ」
双川はさらにニヤニヤして、中学生にはキツすぎる冗談を押し込んでくる。
「そーゆーお前はどーなんだよ?」
連城が真っ赤な顔で反撃すると、双川はすっとぼけて、
「いんや、まだだね。経験したんならいろいろご教示願おーと思ってたんだけどよ」
と、わけのわからない方向へ片づけてしまった。
「大野のヤロー、ちっとカド取れたんじゃねーの」
見ないようにして、双川はのんびりと言った。どうやら陽佑たちが何を思っていたか、お見通しの様子である。
「さあね、もう基本的にどうでもいいけど」
陽佑はさりげなく防御態勢に入ったが、双川はくっくっと笑うと、あのヤローも厨二病全開だよな、とのたまって、ふたりを愕然とさせた。
「厨二病かな」
「厨二病だろーよ。クラス全員からもてはやされるオレ、ってキャラ作ろうとして、ハタンしてんじゃねーか。1学期のモメっぷりから見りゃ、キャラだってーことはよっくわかんだろ?」
「……なるほど」
「あれがねえ……」
そんな大野の、梅原に対する現在の態度を、双川が例のニヤニヤ笑いで分析するところによると、
「なに、ありゃ、今さら謝ったりすんのがキマリ悪くて、苦肉の策さ。むしろ大野の方が、イタタマレネーって心境だろーよ」
……だそうである。
「双川、お前、何か事情知ってるの」
「さーてな。あ、ションベン行ってこ」
双川はけだるそうに立ち上がると、のそのそ歩いて行ってしまった。
「なんだよ、双川がなんか関係あんのか」
「わかんね」
陽佑は正直に、連城の疑問に答えた。
「なんか知ってる気がしないでもないんだけど、アイツ知ってても絶対言わないような気もする」
「まーなぁ」
「けどさ」
一旦頬杖の腕を机に横たえて、陽佑はつけ加えた。
「必要なことなら、ちゃんと話してくれるよ。話さないってことは、俺らが知る必要がないってことだと思う。……もしくは、本当に何も知らないか」
俺の勘を信じないでくれよ、と陽佑は注釈を忘れなかった。
悪いことばかりでもないもうひとつは、完全に陽佑の個人的事情だ。あとほんのしばらくだけ、梅原と隣の席でいられるようになったことである。7月下旬の終業式でこの席次もおしまいかと思っていたが、夏休みはおよそひと月で、8月は10日間ほどの出席日数となる。中途半端になるので、席替えは9月になってからとされ、8月は7月次の席順がそのまま流用されることになったのだ。
「いいなあ」
小声で連城にうらやましがられた。といっても、隣の席でできることもそうあるわけではない。すぐ近くの大野からの攻撃をフォローする必要もなくなったし、梅原にも気軽に話せる女子の友だちが見つかったのだし、隣の席だからと盛り上がるのは、今になって気恥ずかしくなってきた。それでも……無理なく挨拶できるし、ちょっとしたことを小声で言い合うくらいのことは隣席同士で誰でもやっていることだし、授業中ずっと隣に座っているわけだし……隣というのはやはりいいことだ、うん。
幸いといおうか、残念なことにといおうか、運動会に向けて嵐の接近が感じられたものの、1年2組そのものは平穏な情勢が川底に敷かれ、受け止める体勢は整ったかに見られる。そうして8月は嵐の前の静けさに満ちた平和な村、といった空気に過ぎ、陽佑は寂しい気持ちで席替えのくじを引くことになったのだった。
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