18 はじまりの終わり

 1学期は、なんとか無事に、終業式の日を迎えた。

 大野は、相変わらずのお調子者ぶりを発揮して、教室の中でにぎやかさの中心にいた。山下らが大げさに笑い、金津などの一部の女子が高い声で騒ぎ立てている。だが大野たちは、さりげなさを装いつつ、梅原を視界に入れないようにしていた。


 結局あれからどんな結末を迎えたのか、陽佑ようすけ連城れんじょうも知らない。1年2組は、何もなかったような日々を続けていた――本当に何もなかった。大野たちが梅原に謝罪したのを目撃した者はいなかったし、急遽席替えが行われることもなかった。当事者たちの保護者まで話が行ったのかどうかもわからない。多少気にはなったが、もう自分たちには関係のない次元の話だと、陽佑もわかっていた。不破ふわ先生が自分や連城に説明してくれるはずはない。場合によっては梅原にも口止めがされているだろう。……そもそも、こんなこと梅原に質問したくもない。戸惑わせてしまうのがオチだ。


 陽佑が梅原と隣り合っていられるのも、ひとまず今日限りとなった。7月は下旬から夏休みになってしまうので、出席日数はほかの月より十日ばかり少ない。せっかく隣の席になったのに。でも、並みの月より数倍、濃縮されていたような気がする。期末試験は今月の初めだったのだ。先月まで、梅原が苦しんでいることに気づきながら手をこまねいていたのに、試験が終わった後からいろいろなことが急激に動き、20日足らずで、1学期いっぱい引っ張った騒動がほぼ終息しつつある。

 いや……終息といっていいのか。2学期になって、大野たちが梅原に、改めて何か仕掛けてきたら。そもそも、大野たちは今どんな心境なのだろう。悔しがって、リベンジを狙っているのか。本当にもう二度と手を出さないつもりなのか。夏休みの間に心境が変化することもありうる。しかし、これはもう、今から心配しても仕方のないことだった。起こるかもしれないけれど、起こらないかもしれない。新学期を迎えてから、相手の出方を見ないとどうしようもないことである。


 期末試験の結果は、当然とっくに出ている。陽佑は、中間試験よりごくわずかに順位が上がり、学年で42位となった。もっとも不破先生によると、初めての中間試験で思ったよりいい成績を上げた生徒は、直後の期末試験を舐めてかかり、順位を落とすパターンがとても多いという。それが本当なら、中間試験とたいして変わらない準備をしていた陽佑は、成績が上がったわけではなく、周りが勝手に下がった、と評した方が正しいのかもしれない。現に、中間試験で個人名を貼り出された生徒たちは、梅原の国語15位を除いて、大半が転落している。ひとり気を吐いたのが連城だ。今期で彼は学年中の注目の的だった。家庭科でただひとりの満点を叩きだして、科目単独では当然ながら文句なしの1位を獲得し、ジャイアントキリングを達成したのだ、1科目とはいえ。これが大きくものを言い、総合順位も67位に上がったらしい。

 陽佑の通知表は、まずまず、といったところだった。数学は思ったよりいい評価をもらえたが、「うっかりの計算ミスが多い」という指摘は予想通りだった。


 梅原は、戸倉とくら斯波しばといった女子と一緒にいることが多くなった。凝固した無表情でいることはほとんどなくなってきている。あるいは、不破先生に直接相談を持って行った女子というのは彼女たちかもしれない。これからは彼女たちと仲よくしていくのだろうか。それがいいのだろう。いいのだろうけど、……少し寂しい。でも仕方がない。梅原だって、女子と仲よくできるならその方がいいに決まっている。今までが異常事態すぎたのだ。こうなってくると、陽佑も連城も、梅原に話しかけるのに気恥ずかしさのハードルが一気に上がったように感じられてきた。そもそも中学生という年代は、異性に話しかけるのにそれなりの度胸が必要というデリケートな時期である。陽佑と連城がそれを今までねじ伏せていられたのは、梅原が落ち度がないのに無理やり孤立させられているという、理不尽な状態に置かれているのを見ているに忍びなかったからだ。梅原自身、あんなにいい子で、おもしろい子なのに。さらにその根底ということになると、陽佑も連城も、梅原に対して感情的にゴニョゴニョという事情があるわけで……。


 いいじゃないか。中学生活は、まだ序盤が終わったばかりである。自分たちと梅原のことだって、2学期が始まってからでないと、どうなるやらわからない。夏休みは、濃すぎた1学期の骨休めに当てたい。どうせ夏休みに梅原に会えることはないだろうし。


 チャイムが鳴り、礼とともに、1学期は終了した。家へ帰ろう。誰の顔も、夏休みへの期待に輝いている。帰ろーぜ、と連城がやってきた。


「桑谷くん、連城くん、ありがとね」

 にこ、と笑って、梅原が最後にそう言ってくれた。

「おう」

「2学期、またな」


 一緒に帰ろう、と戸倉に呼ばれて、梅原は夏服をひるがえした。……ずっと凝視するな。陽佑と連城は無理やり顔を見合わせ、リュックを背負い上げた。

 ……たったひとつだけ、謎が残った。大野たちに、梅原への攻撃を思いとどまらせた事情とは、何だったのか。

「うーっす、おつかれー」

 すぱん、と陽佑の肩をひっぱたき、双川ふたがわがのそのそと追い抜いていった。

「ああ……」

 陽佑は双川の背中を見送った。返事をしかけて、意識の何かが彼に引っ張られたような気がして、返事しそこなっていた。


     〇


 ……梅原を攻撃していた大野たちが、なぜ突然その意欲をなくし、梅原を避けるようになったのかは、当の大野たちを除けば、双川だけが知っている。

 あの日の放課後、陽佑と連城が、大野の挑発に乗らずに突っぱねて帰ってしまった直後、双川は背後から、大野に声をかけた。

「よー」

 ぽかんと無言で立ち尽くす大野は、背後からぽんと肩をたたかれ、びくんと反応した。

「ああっ、お、お前か」

「お、驚かしたか、ワリい」

 あまり悪いと思ってなさそうなニヤニヤ笑いで、双川は軽く両手を挙げ、戦意のないこと(?)をアピールした。

「ちっと、おもしれーモン見せてやろーか。おい、おめーらも来いや」

 大野の肩に腕を回しつつ、双川は、山下などの取り巻き男子にも声をかけた。おもしろいものって何だという疑問に、双川はいつものニヤニヤ笑いを濃くして、こう答えた。

「エロ本よりおもしれーモンだよ。童貞ドーテーにはちっと刺激が強いかもしれんけどな。時間はかかんねーから、まー見てけや」

 ……つまりエロ本ではないということになる。が、そんな表現をされたら反応してしまうのは、思春期の男子としてなんらおかしくはない。双川は、のたのたした動作で2組の教室に入っていき、大野たちはどことなく浮足立った様子で後に続いた。ここじゃナンだからと、双川は教室奥のドアから出て、校庭へ続くテラスへ誘導した。


 テラスの片隅にしゃがみこんだ一同に、双川は自分のスマホを差し出し、ある動画を再生した。双川自身が撮影したものだ。画面の中央に、固い表情の梅原が座っている。それを、大野たち自身が取り囲むようにして、意地悪く表情をゆがめ、興奮して、入れ替わりたちかわり罵り続けていた。音声ははっきりと、大野たちの発言をとらえている。身じろぎひとつしない梅原に、大野たちは勝ち誇ったようにますます罵声を浴びせる。優越、高揚、興奮、嗜虐の歪んだ喜びに、唇の端がめくれ上がり、歯をむき出して。目には異様としか表現できない、冷酷な熱がある。そこへ、陽佑と連城の抗議が、音声だけ割って入った。教師の席につけという声で、急に教室が騒がしくなり、画面が激しく揺れ動いて、録画はそこで打ち切られていた。


 動画を眺める途中から、大野たちは口をつぐみ、青ざめていった。彼らは、梅原を責める自分たちがどんな顔をしているか、どういう意味の言葉を人にたたきつけているのか、想像したことすらなかった。そして、他人の目にそんな自分たちがどう映っているのかも。あったのはただひたすら、絶対的優位に立ち、言い返してきそうにない相手に、勝ち誇った気分を思うさまぶつけ、さらに傷つけて、勝利に酔いしれる高揚感。かける言葉の意味などどうでもよかった。コイツが歯向かってこないことなどもうわかっている。おとなしい相手を踏みにじる感触――踏みにじり方ではない、踏みにじる感触そのものこそが、ほどほどに気持ちを満たしてくれる。でも完全には満足しないから、さらに続けるのだ。くり返し、くり返し。


 スマホの中から、第三者視点の映像が、無残な現実を突きつけてくる。まぎれもない自分自身が、まるで妖怪のような顔をして、呪いに等しい罵声を次から次へと吐き出している。……これは、本当におれが言った言葉なのか? でも、間違いなくおれが映っている。おれじゃないようなおぞましい表情で、まぎれもなくおれ自身の声で、今まで絶対に言ったことがなかったはずのひどい言葉を、機関銃のように。


 この姿を、クラスの全員が、見ていたのだ。


 動画が終了した。大野たちはほとんどゾンビのような顔色になっていた。双川は、スマホをポケットにおさめ、ただひと言だけをかけた。

自分テメーの言動を客観視するって、おもしれーだろ?」


 大野たちのことをほったらかし、双川はテラスから教室を通り抜けた。いつものもっさりした、どこかだるそうな動作で。トイレに入ると、先ほど大野たちに見せた動画を、さっさと削除する。もうこんなくだらないモンに用はない。あいつら、自分の姿に自分でドン引きしてたようだから、根は深くないだろう。あの動画を、ネットに上げるとか恐喝のネタにするとか、いろんな可能性を考えて疑心暗鬼になるかもしれないが、

「そいつぁー、憲法でいうところの、思想のジユーってヤツだな」

 おお、オレにしちゃよく覚えてたな。双川はご満悦の表情で用を足し、鼻歌を歌いつつトイレを後にしたのだった。



 ……そうして、1学期は終わった。夏休みが始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る