15 好きなんだろ?

 あやうく、ロッカーに地図帳を放置したまま帰るところだった。廊下の壁に並ぶロッカーから、無事に回収してリュックに入れる。連城れんじょうが待っていてくれたので、リュックを背負い直して歩き出し、数歩行ったところで呼び止められた。

「ちょっと、いいか」

 大野だった。意地悪くニヤついた表情を見れば、嫌な用事であることは一目瞭然だ。しかも背後に、山下、野村、三島ら、いつもの大野の仲良し男子が「控えて」いる。盛り上げ役の大野と一緒にいることで、自分たちも盛り上げ役だと勘違いしているお調子者だ。陽佑ようすけと連城は、やれやれ、と小さくため息をついた。

「見ての通りチョー多忙なんだけど、なにか用か?」

 よくない雰囲気を察した連城は、あえてセンスのない冗談で、勢いよくゴングをたたく。

「ひとつ確かめておきてえんだけど」

「モノによるな」

「お前ら、梅原のことが好きなのか?」

 どっと笑い声が起こった。明らかに冷やかしだ。


 ああやっぱりな、と陽佑は内心でため息をついた。フィクションでよくある展開だ。かばう相手が異性だと、こういう攻撃をされがちである。言われた側は動揺し、思ってもいない暴言を吐き出して、かばっていたはずの異性を傷つける結果になってしまうことが多い。一番悪いのは、己のしたことを棚に上げて、話をすり替える奴なのだが。


 これって、やる側は意識してやっているんだろうか。それとも無意識なんだろうか。ちょっと面白い問題かもしれない。――考え込んだ陽佑の腕を、連城が肘で小突いてきた。またこいつは、急場にそぐわない思索にはまりこんでるな、とでも思われたらしい。事実だから弁解はできない。


「バカバカしい」

 連城が眉間にしわを刻んでたたきつけた。こんなに機嫌の悪い連城は初めて見る。

「お前らのやってることは、ハタから見てても気分ワリいんだよ。――おい桑谷くわたに、行こうぜ」

 わざと、立ち去ろうと促す。陽佑が体の向きを変えようとした時、大野の手が陽佑の肘をつかんだ。

「お前はどうなんだよ? 梅原に、ホレてんの?」

 陽佑は男子では背が低い方だが、大野はさらに低い。下からにやにやと睨みつけてくる。意地が悪そうだけれども、何か別の感情が混じっているようにも見える。怒り、なのか……違う。似ているけれど違う。苛立ちとか焦りとか、そういうものだろうか? なぜ。何に対して。


 この人数で殴りかかってこられたらまずいな、と陽佑はちらっと思った。腕力に訴えるケンカは苦手だ。殴り合いにすらならず、一方的に殴られるだけだろう。その場合、連城も頼りになるとは言いがたい。二人そろって殴り倒されるのがオチだ。だが……大野の日頃の動向から見て、そうはならないだろうと陽佑は予測した。大野は女子に騒がれるのが大好きなお調子者だが、男子が嫌いというわけではなく、それなりの付き合いはしている。いけ好かない男子を力づくでどうにかしようという発想はないだろう。第一、学校の廊下で殴りかかるという行為がいかに割に合わないか、大野にもわかるはずだ。


 陽佑は腕を引き、大野の手をもぎ離した。

「俺は、いじめをする人間より、しない人間の方が好きだ。お前らは――してるよな」

 しまったと陽佑は思った。最後のひと言は余計だったかもしれない。大野は、それこそ殴られたような、びっくりした表情になって硬直した。陽佑はリュックを揺すりあげて、連城の後を追って歩き出した。



「よー」

 ぽかんと無言で立ち尽くす大野は、背後からぽんと肩をたたかれ、びくんと反応した。

「ああっ、お、お前か」

「お、驚かしたか、ワリい」

 あまり悪いと思ってなさそうなニヤニヤ笑いで、双川ふたがわは軽く両手を挙げ、戦意のないこと(?)をアピールした。

「ちっと、おもしれーモン見せてやろーか。おい、おめーらも来いや」

 大野の肩に腕を回しつつ、双川は、山下などの取り巻き男子にも声をかけた。おもしろいものって何だという疑問に、双川はいつものニヤニヤ笑いを濃くして、こう答えた。

「エロ本よりおもしれーモンだよ。童貞ドーテーにはちっと刺激が強いかもしれんけどな。時間はかかんねーから、まー見てけや」


     〇


「――きつかったかな」

 どれくらい無言を続けてきたか、ふたりとも感覚が狂っていた。ようやくぽつりと陽佑は、気になっていたことをこぼした。

「あのくらい言わねえとこたえねーよ、あいつは」

 意外にも、連城は支持してくれた。

「……けどお前、本当、動揺が顔に出ねえな。顔色も変わんねえし、言い方も淡々としてたし」

「そうかな」

 陽佑は軽く、首を右にかたむけた。

「けっこう不快だったんだけど。俺、顔色あんまり変わんないらしいんだよね。自分で顔が熱くなってるなと感じるときでも、人から見て変わってないんだって。色が白くてそのまま顔色変わんないって、どういう肌してんだって自分で思う」

「……なんか苦労してそうだな」

 連城は、なんともいえない、という表情になった。陽佑の口調に、やるせなさを感じ取ったのかもしれない。実際に陽佑は、自分の肌の白さという話になると、嫌な記憶をつい想起してしまう。


「正直、あんときお前が口火切るとは思わんかったな」

 そう連城が続けたので、陽佑の意識はぐいっと引き戻された。

「あんとき? ……さっき?」

「いんや、休み時間のあれ」

「ん……」

 陽佑の眉が少し寄った。

 あれか。大野に、やめろ、と声を上げた、あのとき。

「ちょっと、……自分でも、どうかしてたかな」

「なんで」

「いや……」

 リュックの肩ひもを軽く引いて、陽佑は吐息を小さくこぼした。

「大野に腹立ったのは本当なんだよ。ああ言ったことそのものは後悔してないんだ。けど、……ああいう感情にまかせて何か言うって、……性に合わないんだなって」

 連城は歩調をゆるめるという仕草で、続きをうながした。

「後悔してないけど、怒るとか、嫉妬するとか、そういう感情って、疲れないか? 俺だけなのかな? すごく――」

 適当な言葉というのは、どうして適当な時に出てきてくれないのだろう。

「――自分が、嫌なものになっちまう気がする。怒るっていうのは自然な感情だから、それ自体はどうしようもないけど、それに支配されて引きずり回される自分が嫌だ、っていうか」

「なんか、トラウマでも、あんのか」

「……ないと思うよ。トラウマってほど深刻なものはね」

 陽佑は肩をすくめた。


「けど、怒ったり泣いたりした後って、体もだけど、心がすごく疲れるし、なんであんな風に取り乱したりしたんだろうって、後悔でいっぱいになるし、恥ずかしくて、相手と顔合わせる自信なくなるしさ。さっきの10秒間はなかったことにって、願えるものなら願いたくなる」

 ぷっと連城が吹き出した。

「なんだよ」

「いや、さっきの10秒間は忘れてくれって頼んでるお前想像したら、笑えて」

「するなよ、想像」

 言う途中から陽佑自身もおかしくなってしまった。


「話、戻るけどさ」

 連城は、陽佑から視線を外して、首をのばすように上空を見上げた。

「お前が、大野に、やめろって言った話。おれあのとき、いい加減にしろって言おうとして、お前に機先制されたんだよな」

「あ、ごめん」

「いやいや、文句言ってんじゃなくてな。桑谷って、話す前に、あれこれ考える性格だろ。どうかすると、話してる最中にも考え込むよな」

「……ま、ね」

 図星だ。

「だからあのとき、珍しくなにも考えずにするっと、やめろって言ったな、って思った」

「うん、……あのときは、つい、ちょっと」

「だから……えーと」

 今度は連城が、己の語彙をひっくり返す番だった。

「おれあのときは、怒ったというより、あきれてたんだよ。よくもあんなみっともないこと、毎度毎度人前でできるなって。しかも梅原ばっかり。いい加減にしろっていう気にもなるよ。けど、あのときおれが、あーあ、って感じで文句言うより、お前のあの、やめろ、って言い方の方が、奴らには響いたんだよ、きっと」

「そうかな」

「たぶんな。おれのあきれた声より、お前の怒りの方が」

「あんまり怒った感じでもなかったろ」

「……こう言っちゃアレだけどよ。おれらって、……男子でも、地味な方だろ」

「まあね」

「だから、ああいう空気で、お前が怒ってああ言ったのは、すげー効果があったんじゃないかな。お前が怒ってるってのは、みんなに伝わったと思う」

「そうかな」

「だから……なんつーか……こーゆー言い方がいいのかどうかわからんけど」

 連城は何度もまばたきして、そわそわした。

「感情にまかせた言い方とか行動でないと、伝わらないものって、あるかもしれねーぞ。心が疲れるってのは、それだけのエネルギーを感情に乗せて放出して、表現してるってことだからさ。だから、……んーと、怒ったことを後悔するのはいいけど、怒った自分自身を嫌わなくても、いーんじゃねーかと……違うか。うまく言えねーや。んーと」

「いや、わかったよ。なんとなく」

 陽佑がちょっと笑い、連城は足を止めて振り返った。

「そーか?」

「たぶんね」

「……そーか」

 連城はこまかく何度もうなずいた。


「俺、そんなに、自己嫌悪に見えた?」

「多少な。お前、のんびりして見えっけど、もしかして、自分の感情にカギかけてんのかなーって、ちらっと思えたりしてさ。……ま、とりあえず梅原が助けられたんだから、今日の10秒間はなかったことにすんなや」

「ああ、そうだな。……けど、……あれで、大野たちがかえってエスカレートしないか、それが心配でさ」

「ああー……」

 何か言いかけて、連城は言葉を切った。否定しきれない、ということなのだろう。


「……けどな、連城」

「なんだよ」

「……途中から、告白みたいだったぞ」

「おいやめろぉ!」

 連城が真っ赤になって怒鳴り、陽佑はたまらず笑い出した。

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