13 神様は気まぐれ
1学期の期末試験は、7月の頭に組まれていたので、席替えはテストが終了してから、ということになった。試験は、出席番号順の座席になって受けることになっているのだ。試験が終了すると、解放の歓喜さめやらぬ中でくじ引きが行われた。
「あ、ども」
「あ、よろしく」
机と椅子を引きずって、それぞれの居場所に引き移り、陽佑は梅原とあいさつした。陽佑は顔が笑ってしまわないよう注意しての無表情だったが、新たな隣人の表情は明らかに硬かった。理由はすぐにわかった。彼女のすぐ前の席で、大野が、鋭利な視線を梅原に突き刺していたのだ。
うわ、と陽佑は内心でのけぞった。いやいや、うわと言いたいのは梅原の方だろう。
このところ梅原は、目に見えて無口になっていた。彼女が何か話すと、大野がずかずかやって来て「うるせえ、黙れ」などと非難するので、梅原は口を閉ざしたのだ。そして休み時間になるとさっさと教室を出て、次の授業ぎりぎりに戻ってくる。もう、教室が居心地悪いと感じるようになっているのだろう。
そのタイミングでこの座席か。神様がいるなら、ちょっとヒドイんじゃないかと陽佑は思う。せっかく梅原と隣になれたというのに、うきうきしてもいられなさそうだった。
〇
定期試験の後の授業では、答案用紙が生徒たちに返却され、そのまま試験問題の解説という流れになる。今回の期末試験で、最初に答案が返されたのは数学だった。陽佑は平均点を上回る結果を出せたが、自信満々で解いた最後の問題に計算ミスが発覚し、浮かれてジャンプしたが着地で足を捻挫した、ような気分を味わった。梅原はあまりよろしくなかったのか、不本意そうな表情をしている。
先生の説明が始まった。順に問題をひとつひとつ挙げ、板書しながら解き方を解説していく。生徒たちの表情は悲喜こもごもだ。説明を聞くうち「そっちか!」などと、でかい悔恨の念をもらす者もいる。
不意に陽佑の隣で、梅原が体をびくつかせ、答案を引いた。陽佑がさりげなく目を向けると、――大野が不機嫌そうな顔をしながら振り返り、梅原の答案用紙をのぞいているのだ。じろじろと眺め、ほどなく前に向き直るのだが、次の問題の解説が始まると、また梅原の答案をのぞく。梅原は不快そうに用紙を引くのだが、解説を聞く以上、しまいこんだり裏返すわけにもいかず、いちいち大野にのぞかれてしまう。
――見ているだけで、陽佑までむかむかした。
2時間目の地理、3時間目の英語でも、ほぼ同じ光景が展開された。
「……のぞかないでくれる?」
地理の時間、梅原は不快そうに小声で、大野に抗議した。大野は小さく「フン」と言って顔をそむけたが、次の問題の解説が始まるとやはり、梅原の席を振り返り、他人の答案をじろじろとチェックすることをやめなかった。該当する回答欄をペンケースなどで隠しても、ほかの回答欄をじろじろ見ている。
3時間目の英語では、梅原の答案に採点ミスがあったらしい。先生の解説が終わった後、採点ミスを発見した生徒がそれぞれ先生に訂正を依頼するのだが、教壇から席に戻りかけた梅原が通りかかると、突然大野は牙をむき出すようにして自分の答案を裏返し「見んなや!」と怒鳴りつけた。
異様だった。
陽佑は盗み見たつもりはない。自身の座席のすぐ近くで起こったことなので、はっきりと見えてしまったのだ。
助け舟を出しかねた。どう言えばいいのだろう。仲のいい者同士なら無論、「ヒドイ」とか言いながら、笑いあって答案用紙を見せ合うのもアリだろう。だが梅原は明らかに嫌がり、拒否しているのに、大野はやめようとしない。そして自分の答案は絶対に公開しようとしない。
「――卑劣、じゃないか?」
陽佑が具体的に口にしたのは、帰宅後、部屋でくつろいでからだった。
あの、なめるような大野の目つき。……気色が悪い、という表現しかできない。
たいがいの生徒は、返された答案用紙の点数の部分を折り曲げ、隠している。ぱっと見られた程度では点数はバレない。梅原もそうしていたし、誰かが通りすがりにちらっと見る程度なら気にした様子はない。梅原が大野ののぞき込みを嫌がっていたのは、のぞき方が執拗だったこと、やめるように言ってもやめてくれなかったこと、そのくせ自分は絶対に見せようとしないこと、そもそも行為者が普段から嫌がらせをしてくる大野その人であったこと、なのだろう。
大野のことは、梅原の問題さえなければ面白い奴だと思っていた。機転の利くジョークが言えるというのは、頭の回転が早いということでもある。盛り上げるツボもよく知っている。いつもにこにこと明るい。何をすればウケをとれるかを本能的に察知する。パーティではさぞかし大活躍するだろう。けれど……二面性の落差が大きすぎるようだ。あんなことをほかの生徒の前で堂々としでかす人間性が、陽佑にはもう気持ち悪い。いったいどういう心理で、たったひとりにだけ、あんな卑劣な態度がとれるのだろうか。
人間には相性というものがあるから、どうしても好きになれない、嫌いな相手がいるのは仕方のないことだとは、陽佑にもわかる。「みんな仲良く」とは結局理想にすぎない。それなら、嫌いなら嫌いで、関わりを極力減らしたくなるのが人情ではないだろうか。同じクラスにいるのだから、完全に関わらないというのは不可能としても、回避できるものはいくらでもあるはずだ。そして必要最低限の関わりの中では、はりぼてでもいいから、守らなければならない礼儀があるということも、陽佑は頭ではわかっているつもりだ。小学生の人間関係にも、それなりに教材はあったので。
大野はおそらく梅原が嫌いなのだろう。では、なぜ大野は、梅原との関わりを少なめようとしないのだろうか。梅原のところへ自分から近づいて罵声を浴びせる。梅原のテストの答案用紙を勝手にのぞき見る。嫌いなら放っておけばいいのに、なぜそうしないのか。梅原は現に、大野を避けている。大野はそうしない。なぜ嫌いな相手にわざわざにじり寄るのか。陽佑にはそれがどうにも理解できない。
気持ちが悪い――今日の答案のくだりを見てしまうと、陽佑はもう、大野のことが、得体のしれない化け物のように思えてならなかった。ほかの生徒の前で見せる、上機嫌の調子に乗った明るさが、上っ面の空虚な茶番にしか思えなくなった。
梅原は、あんな気色悪い奴に目を付けられて、春からずっと気味悪くて苦しい思いをしてきた、ということになる……。
〇
翌日の1時間目、国語の授業でも、大野は執拗に梅原の答案用紙をチェックすることをやめなかった。
「……なあ、この問題、これじゃだめかな」
陽佑は、梅原の気分を少しでも上向きにさせたくて、小声で話しかけ、容赦のないバツをくらった文章問題の回答欄を見せた。梅原はきょとんと、陽佑の答案をのぞいた。これは別にかまわない。陽佑の方から、見てくれと差し出したのだから。さっと見たところ、梅原の方が明らかに、陽佑よりマルが多い。国語は得意のはずだ。
「……順番に、って言葉を入れないと、だめじゃないかな」
「だめか」
やや大げさに落胆すると、梅原がちょっと笑った、ような気がした。
……この子は、笑ってないと、もったいないな。陽佑はそう思って、少々もじもじした。大野のじろじろ光線は無視した。
チャイムとともに、陽佑は答案をさっさと机に押し込み、後方の
「梅原」
呼ばれた彼女は足を止めた。表情の選択に困った表情をしながら、近づいてくる。泣きそうには、見えなかったが。
「……なに?」
「その」
陽佑は、少し言いよどんだ。うまい表現ではないかもしれない。でも、うまく表現することよりも優先しなければならないことが、ある。
「……俺ら、味方、だから」
「お前は何も悪くないって」
陽佑も連城も、稚拙な言い方になった。教室では絶対に言えない。なまじ好意など持っていると、とにかく気恥ずかしさが先に立って、いろいろなものを削りすぎてしまう。けれど、どんなに削り方が下手であっても、鉛筆は芯をむき出しにしてさえあれば、書くことはできるのだ。
「……ありがとう」
久しぶりに、梅原の笑顔を見たように思う。ぶきっちょな削り方で、がたがたになってしまった鉛筆の芯だが、梅原の心に何かを書きこむことには、成功したようだった。たとえ細く短い線1本であろうとも。
「……顔赤いぞ」
梅原が立ち去った後、きまり悪そうに顔をそむけた連城に、陽佑は少しばかり意地悪を言ってみた。
「うるせー、お前の体質がうらやましいよ」
向こうを向いたまま、連城は負け惜しみを言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます