09 爆弾

 中間試験が終わったあたりから、気候はゆっくりと「暖かい」から「暑い」への衣替えを開始したようだ。夏服への移行期間が始まり、半袖の生徒も増え始めたが、陽佑ようすけ個人はまだ少し早いように感じている。

「七分袖制服ってないのかな」

「ないだろ、めんどくせえ。袖めくれよ」

 しょうもないことを話しながら、合服の陽佑と夏服の連城れんじょうは並んで帰路についていた。

 ……心なしか、連城が微妙に、ふさぎこんでいるように見える。

 朝は普通だったような気がするが、今日の間に何があったのだろうか? ……思い起こしてみたが、連城が不機嫌になったエピソードは、思いつけない。


 不意に……ぽつっと、連城が口走った。

「梅原って、いい奴だよな」

 ずいぶんと、唐突だった。

「ああ、あいつな」

 やや面食らいながらも、気軽に同意しつつ陽佑は、連城の口調がどことなくいつもと異なっているような気がした。


 ……やや重い間をおいて、連城が続けた。

「おれ、あいつ好きかも」

「あ、そう…………えっ?」

 陽佑は喉から脳天まで突き抜ける異音を発してしまった。思わずしげしげと連城を眺める。身長差があるので、見上げる、といった方が正しい。彼はどうも笑ってなさそうだった。顔色は夕日のせいばかりではないように見える。

「いや、まだ確信ねえんだけどさ」

 その語尾は、通りかかった車のエンジンに吸い込まれて消えた。

「……そう、なんだ」

 つとめて軽い口調で、陽佑は応じる努力をした。なんだろうか、この……ほい、と気軽に渡された爆弾を気軽に投げ捨て、至近距離で爆発するのを呆然と眺めた後のような、どこかがスパークしてしまった煙たい心境は。


「なんか、あいつ、不思議な奴なんだよな」

 連城は能天気な口調に転じた。「よくできました」の桜の形のスタンプが、陽佑の脳裏に踊った。

「女子女子してない、っつーか、なんつーか、男子の延長、みたいな感じでしゃべれちまうんだよ」

「あ、それ、わかるな。さっぱりしてるよな、梅原は」

 いやいや、女子一般がべとべとしているってわけじゃないぞ。……誰かに言い訳しつつ、陽佑は同意した。連城の言うことは分かるし、共感できるのだ。陽佑自身が感じていたのと同じことだから。一方で、「梅肉のさっぱり煮」なんて、わけのわからない料理名が脳裏にちらついたのはどういう脈絡があってのことか、自分でも理解しかねる。

「すげー不思議なんだけど、あいつと直接顔合わせて、しゃべってても、全然、その……何とも思わねーんだよな。どきどきしないんだ。けど、あいついないときに、なんかの拍子であいつのこと思い出すと、なんか、落ち着かない、つーか」

 気まずそうにあちこちへ視線を放りながら、弁解のように連城は話す。

「あ、わかる」

「で、あいつがほかの男子としゃべってんの見ると、不快になるんだよな。邪魔したくなる」

「うん、わかる。俺もそうだ」

「いや、話す相手が女子でも嫌だな」

「わかるわかる。俺もそうだな」


 ……角ばった沈黙が、ふたりの間を転がった。


「…………えっ?」

 連城が、くりっとした目に驚愕を満たして、陽佑にそそいだ。

「…………えっ?」

 ほぼ同時に陽佑は、自分自身を指さしてしまっていた。


     〇


「……なんだ、お前もあいつ好きだったんか」

 どのくらいの間立ち止まっていたのか、もう計りようもないのだが、再び歩き出してからだいぶ経って、ぼそっと連城はつぶやいた。

「いや……」

 陽佑は必死で、脳内の語彙をひっくり返した。頬が熱い。熱いような気がする。ただ体質的に、外見はあまり赤くなっていないだろうけれど。

「お前、確信ない、って言ってたろ。俺だって……たった今、お前の話聞いて、やっと……その……」

 まずい。陽佑の心も体も、まずいという焦りでパンパンにふくらんでいる。しかもそれが高速でぐるぐる回転を始め、止まる気配がない。こんなに動揺したことが、今までの人生であっただろうかというくらいに、全身が爆発しそうな予感があふれている。

「……ごめん」

 何も言いようもなく、陽佑はどうにか、それだけを口にした。

「……謝ることじゃ、ねえだろ」

 ぼそぼそした連城の答えは、解読するのに数秒かかる難易度だった。

「……でもさ」

「謝られても、どうにもできねえよ。ああそうか、しか言えねえ」

「……いや、その」

 今度は陽佑が、落ち着きなくきょろきょろする番だった。連城と一緒にいて、こんなに居心地の悪いのは初めてのことだった。


「実を言うとさ」

 一度視線を地面に落とし、背中のリュックを揺すりあげて、連城はふっきった口調を作った。

「おれも、ああ思ったのは、さっき学校を出たあたりだったんだ。どうも最近、梅原に関わると、おれ変だな、って気がついてさ。だから……」

 そこで陽佑に向けられた連城の表情は、不快さと関連づける方が難しい性質のものだった。

「ほとんど同時だよ。おれと、お前が、その……」

 陽佑の体内で「まずい」の無限ループが、失速した。


 ……ああ、うん。そうか。


「お前もそうだって聞いて、驚いたけど、驚いたけどさあ、その、……なんつーの? ……嫌な気持ちにはならなかったんだよな。ああそうか、まあ無理もないよな、みたいな。……少し安心した、みたいな」

「えっ?」

 陽佑は戸惑って、連城を見返した。ただ、受けた戸惑いが案外小さかったのは間違いなかった。


「おれ、変だよな」

 連城は所在なさそうに、がりがりと頭をかいた。

「梅原が、ほかのヤツと話してんのは不快なのに、お前と話してんのは特になんとも思わねえんだ。お前相手には、そういう感情が起きねえんだよ。……変、だよな」

 陽佑は、目線を連城から地面に落とした。狙ったようなタイミングで、自転車通学生が数人、彼らを追い越していく。

「それは、梅原と俺が話しているのは、お前も自然に加われるから、じゃないのか」

 思案の後、陽佑は分析結果を提示してみた。同時に、連城と自分の立場を置き換えた仮定を、検証してみる。梅原が誰かと話している場合。梅原が連城と話している場合。それぞれに対する、自分の感情を。

「ああ、そうか!」

 ぽかっ、と天井を突き破ったような表情で、連城が目をまんまるにしながらおかしな声を上げた。

「なるほど、そうか。そうだな」

「俺も正直、梅原の話し相手がお前だと、嫌な感情は起きない」

 シミュレーション結果を、陽佑は最後まで報告した。そうでなければ、フェアではあるまい。

「……俺も変なのかな」

「わかんねー」

 ぼーっとした表情を、連城は夕空へ投げ上げた。


「けどさー」

 連城の声も、ふわっと雲のようにのぼっていく。陽佑はごく自然に、連城と同じ方向へ意識を放り投げた。

「梅原って、やっぱ、いい奴だと思う」

「うん、俺もそう思う」


 青と白と赤が混在する空間は、どこまでもどこまでも、広がっていた。

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