05 読書の時間
今日の1時間目は、全校あげて読書の時間である。各自で、漫画ではない1冊の本を持参し、それぞれ読書に集中する時間だということだ。学期ごとに1回の割で行われるらしい。電子書籍は不可だ。教室では朝から、どんな本を持ってきたかの話題でもちきりだった。大野は、アメリカのベストセラー作家の最新作を原書で読むのだと言って、洋書と英和辞書を振り回し、女子に騒がれていた。普段読書をしない
「
「俺、これ」
陽佑は、1冊の文庫本を示した。表紙にはファンタジー風のタイトルとともに、空想の世界に住む不気味な魔物のイラストが精緻に描かれている。
「ファンタジーものですか……あれ、これ」
ぱらぱらとページをめくった梅原が、小さく驚いた。
「これ、どういうこと?」
「ゲームブック、っていうんだって」
中身は、番号のふられた細かい章に分かれている。見開き2ページで5つも6つもの章になっているところもあるほどだ。だから全体で数百もの章がある。ただし、これをすべて順番に読んでいくわけではない。冒頭部分から読み進めていくと、選択肢が登場し、どれを選ぶかによって「○章へ進め」と分岐しているというわけである。分岐した先の章で、また選択を迫られる。これを繰り返して、ゴールに当たる章までたどりつけるか、という遊びなのだ。当然、読まずに終わる章もけっこうある。
陽佑の持つこの本では、随所でモンスターと遭遇して、これと戦って勝利しないと先へ進めない。勝負を左右するのはほぼサイコロである。運が悪かったり選択肢を誤ったりすると、バッドエンドもある。このシステムはゲーム機やスマホのアプリで当たり前のように存在するが、それらが今ほど成熟していなかった時代には、本という形でも存在していたらしい。陽佑は先日この本を、物置で見つけたのだ。めくってみたらなんとなく面白そうだったので、本格的に読んでみることにした。どうやら父の、若い頃の愛読書だったらしい。もう処分したはずだったんだが、まぎれこんでいたんだなあ、と父は懐かしそうに目を細めていた。ゲームブックは合計2冊見つかり、陽佑は父の承諾を得て、それらを自分の蔵書におごそかに迎えたのであった。
「……サイコロ振って行き先を選べ、ってところもあるけど」
「うん。机にティッシュ敷いて転がせば、うるさくない」
陽佑は、ポケットからティッシュのパッケージを取り出しつつ答えた。ちなみにハンカチではサイコロがうまく転がらないことは検証済みである。
「万全だね」
「そりゃね」
「で、これ、1時間で最後まで行けるの?」
「わかんね。無理かも」
「ふーん……」
梅原は陽佑に本を返しながら、何かを思い出した表情になった。――しまった。つい語り倒してしまった。女子にはあきれられる話題だったか。キモイ奴とか言われるかな。こっちとしては、そんなマニアックな話をしたつもりはない。ちょっと反応してくれたから、説明しただけなんだけど。……でもキモイ奴判定って一瞬だからな。と陽佑が内心で防御態勢にとりかかったとき、梅原はものすごく予想外のことを口にした。
「こういう本って、江戸時代のすごろくみたいだね」
「…………はっ?」
陽佑は反応しそこなった。
「江戸時代のすごろくってね、今とは仕組みが違ってたの。大きな紙をいくつものマスに仕切ってね。最初はみんなふりだしからスタートなんだけど、サイコロ振って、1が出たら何番のマスに飛べ、3が出たら何番のマスに飛べ、って仕組みだったの。指示のない目が出てしまったら一回休み。で、指示された先のマスでもおんなじようにサイコロ振って、また指示通りに別のマスに移動するの。最終的に、この目が出たらあがり、の指示であがりに着くのが目的なの。すごろくにもよるけど、運が良ければ2回か3回くらいサイコロ振ればあがれるんだけど、運が悪かったらあちこちのマスを移動してばかりで、絶対あがれないの。けっこうキツイよね。なんか、その本って、そんなすごろくの延長みたい。そういうシステム、昔からあったんだね」
「…………あー、確かに、似てるな」
そこで始業のチャイムが鳴ったので、生徒たちはそれぞれに着席した。陽佑は、文庫本のページをぱらぱらめくって、斜め前方の梅原の背中を、ちらっと見た。
梅原は、馬鹿にしなかった。社交辞令かもしれないけど、陽佑の話にある程度の興味を示してくれた。そればかりか陽佑は、江戸時代のすごろくについての豆知識を習得してしまった。
……馬鹿にされるかと、思ったけど。
読書時間が始まった。教室から会話が途絶えた。ページをめくる。負荷をかけられた机がきしむ。咳払い。姿勢を変えた拍子に上履きが床をたたく。うっかり本を倒して、背表紙が机の天板にぶつかる甲高い音もする。誰なのか、「ふごっ」と、読書でないものに没頭している物音。ちょっと注意を払えば、静寂のはずの教室にはけっこうな音が響いている。
陽佑は、小さなメモ帳と筆記用具を使いながら、静かにサイコロを転がした。出目があまりよくない。彼はゲームブックの世界で旅の魔法使いになり、運悪く体力ポイントを限界まで削られながら、今ようやくモンスターを撃退したところだった。検証した通り、サイコロの音はページめくりの音ほどもしない。ふと顔を上げると、ちょっと振り向いていた梅原と視線がぶつかった。どうやらサイコロを振ったところを見られていたらしく、梅原は無言で笑った。あ、と思っていたら、梅原はこっちを見ながら、ぐっとこぶしを握った。がんばれ、の意味らしい。陽佑がこぶしを小さく振り返すと、梅原は自分の本の世界に戻って行った。首を動かした拍子に、連城が目に入った。小さく肩をふるわせている。よく見ると、本の内側にもう1冊本を重ねて読んでいた。おいおい、と内心でつっこんだ。
〇
部屋で陽佑は、リュックからゲームブックを取り出した。
結局エンディングまでたどり着けなかったかわり、バッドエンドにもならなかった。けっこうおもしろかった。続きは週末にでも読んでみよう。
リビングから回収してきたスマホが鳴った。メッセージアプリの通知だった。連城からだ。帰宅後、母親に読書の感想を聞かれてしどろもどろになり、あのヒロインの悲恋が胸を裂かれるように悲しくて印象的だったとでっちあげたら、さんざん怒られた……との旨が送られてきた。馬鹿野郎だ。
「せめてタイトルとの整合性くらい考えろよ」
と書き送った。
スマホを机に置き、かわりにさっきのゲームブックを取り上げて、本棚に戻す。
「……変わってんな、あいつ」
着替えて、ベッドにごろんと体を投げ出し、ふと口をついて出たのは、梅原のことだった。
……ゲームブックの話に、あんな風に反応してくれるとは思わなかった。
あいつは……江戸のすごろくの話なんて、どうして知っているんだろう。そういうことに興味があるのかな。
陽佑は起き上がると、スマホを再び取った。連城の「しまったー」という返事はとりあえず放置した。江戸時代のすごろくについて検索してみる。確かに梅原の言ったとおりではあったが、当時からすごろくにもいくつかの種類があり、必ずしも今日聞いたルールのものばかりでなく、むしろ現代のすごろくに近いものもあったことがわかった。つまり梅原は、あの知識をネットの検索で得たわけではないのだろう。
なんというか、あいつは……ほかの女子とは少し違う、ような気がする。
少しだけ……梅原という女子が、興味深く思えてきた。
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