叫んで五月雨、金の雨。
中田もな
uno
全知全能の神・ゼウスは、自らの姿を黄金の雨に変え、青銅の地下室へと舞い降りた。恐ろしい神託により、幽閉された美女・ダナエを、完全を以って誘惑するために――。
「金がない」
それは、二十一世紀も始まったばかりの、とある五月の中日だった。練習を終えたその夜は、薄暗い曇天に覆われている。こげ茶色のグラウンドに、垂らしたような雨粒が染み込んだ。
「結果を出そうが、金がない」
目の前の青年は、俺と瓜二つの格好をしていた。褐色を帯びる高い背丈に、色素の薄い二重の瞳。墨のように黒い髪は、生ぬるい風に揺らされて、両肩の上を泳いでいる。
「この雨が黄金だったなら、いくらでも降って欲しいものだが……。それこそ、神の贈り物だな」
小さい頃に読んだ、ぼろぼろの本を思い出す。母が路地裏商売で拾って来た、ひどく汚いものだったが、内容こそは神々の話で、華やかな物語が描かれていた。
「迂闊に愚痴を漏らすな」
俺が釘を刺すと、ヤツは不満をぶつけるように、ピッチャーマウンドの土を蹴った。砂埃は小雨を含み、重たそうに落ちていく。
「俺たちはエイデに通って、ここまで成り上がった。それは全て、この国の教育システムのおかげだ」
エイデ。それは、十五の州に設置された、国営のスポーツ養成学校。貧困街に住んでいた双子の俺たちは、とあるスカウトに声を掛けられ、二週間ものスポーツテストに合格した。競技は野球。この国が最も力を入れている、人気の高いスポーツだった。
「分かるだろ。野球が好きなだけの、ただのバカだったら、俺たちは一生、日陰者のままだった」
野球に対するあらゆる支援は、全てエイデが賄ってくれる。選手はただ、野球のことだけを考えていればいい。食料に悩む必要もない。住む場所に悩む必要もない。全て、この国が支えてくれる。
「金がなくても、厚遇される。不自由なことは、一切ない。これ以上、余計なものを望む必要が、一体どこにあるんだ」
ヤツはしばらく、黙っていた。鍛え抜いた左腕をさすり、染みる雨粒を眺めていた。
「……決まっている。俺は、金が欲しい」
他の選手はクールダウンを終え、早々に引き上げてしまった。バッテリーの俺たちだけが、濡れたグラウンドに残されている。
「どんなに勝とうが、優勝しようが、貰える額は決まっている。アスリートだろうが何だろうが、国が全部、金を均す」
「それでも、他のやつらよりは貰っているだろ」
俺が静かに反論すると、ヤツはこちらを鋭く睨んだ。ある意味では頑なで、またある意味では憤怒だった。
「逆に聞くが、おまえは満足しているのか? はっきり言って、俺たちは正当に評価されていない。どう考えても、額が少ないだろ」
「それは……、仕方ないだろ」
社会主義体制のこの国では、いくら目覚ましい活躍をしようと、報酬の額は極めて少ない。アスリートは国家公務員であり、収入は全て給与という形になる。多額の現金を受け取ることなど、決してできないのだ。
「いいか、よく聞け。俺たちには、野球の腕がある。だから、どこでもやっていける」
ヤツはいつになく、真剣だった。マウンドで球を投げる以外に、こんな表情をするのは、久しぶりのような気がした。
「アメリカでもアンドラでも、どこでもいい。実力で金が貰える国へ、俺は行きたい」
――そして、いつか必ず、メジャーリーグに行く。
右手に馴染んだグローブを鳴らし、やつは俺の耳に口を近づけた。……告げ口のように話されたのは、メキシコでの海外遠征を利用した、亡命計画の一端だった。
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