第25話
成果を発揮する日は早々に訪れた。端末は、物理的な損傷ではなく、またUEFIファームウェアの汚染も認められなかったため、OSやソフトウェアの再導入で済んだとのことだった。修繕が完了し、延期されていたCGの実践講義が再開されることとなり、当日を迎えていた。
前回と同様に、大門寺の「始めるっすよ」という言葉を号令としたかのように、事象は姿を現した。デジャブの如く、室内の各端末の画面上に、黒いウィンドウが表示され始めた。
松木は、行動を開始した。
目前に文言を表示し続けている不審なコンソールとは別に、自身の操作用コンソールを端末で立ち上げ、静かに目を閉じた。圧縮された明晰夢の世界で、期待通り目を閉じる直前の周囲の状況が、自動的に再現されていることを認識した。
精密に構築された、視界の中心にとらえた端末の画面に、意識を向けた。表示されている文字列を解釈していく。続けて、想定される対処コマンドを打ち込み、応答内容を再度検証していく。再び覚醒時の世界に移行した際に、最適解のコマンドを即実行するための入念な準備工程だった。
白昼夢による明晰夢への移行は、回を重ねるたびに、より洗練されていくのを実感していた。発動までの時間はさらに短縮され、時空間進展で引き延ばせる時間は、「虚構の一生」に臨んだ当時よりも、着実に増えていた。数日前に、計測したときは、なんとなしにした瞬きのさなかに、明晰夢の世界でほぼ1日を過ごした。
明晰夢を解除し、開眼した。直前まで視認していた状況と差異のない実体の端末にて、最適解としてのコマンドを正確に打鍵し、実行した。
期待通り、不審なコンソールウィンドウの根源であるプロセスを特定した。応答結果を視認するや否や、ふたたび瞼を下ろした。白昼夢を介した「夢と覚醒の往来」は、日常の呼吸に近い水準で行えるようになっていた。プログラミングやスクリプトの学習用途で端末実機を夢の世界で再現するために、途方もない回数を繰り返してきた帰結だった。
「講義の中止」という収束に向かい既出をなぞってきた事象が、違う兆しを見せ始めていた。
室内の各端末に表示されていた「予備動作」のような、得体のしれない黒々としたコンソールは消えていった。前回は、講義の場としてそぐわない激しい色の主張に占拠されていた室内の各端末画面は、その運命が上書きされ、乱れることなく平静を取り戻していた。
松木は、視界の端でほかの端末の異変が解消されたことを確認した。
大門寺が、異変に気付いたらしい。やや戸惑いの表情を携え、近づいてくるのを認識した。
同時に、周囲の視線が自身に向けられ始めているのを感じた。本来であれば、いまだ講義の序盤で端末操作をする場面ではない。はたから見れば、立て続けにキーボードを打ち込んでいる姿は異様に映るだろうと想起した。しかし思考とは裏腹に目前に表示され続けるコマンドへの対処を、継続していた。
対峙している攻撃は、要所で自動化されている模様だった。こちらが無効化に成功するや否や、裏で別々のプロセスを作成し、次々と手法を変え、攻撃を続行してきた。
松木はすぐ隣に来た大門寺へ「後で説明する」と告げた。
彼は素直に「わかった」と応じた。大門寺の声色や態度から、苛立ちの痕跡は読み取れなかった。端に移った表情とも矛盾はなく、むしろ何が起こっているのか興味津々というように、松木が対峙している端末の画面へ体を前傾させていた。
今や、不審なコンソールが表示されているのは、松木の目前にある端末の画面のみとなっていた。広い画面の中で、複数のコンソールが現れては消えを繰り返していた。打鍵音の途切れる頻度がより少なくなっていった。
「すげぇ」
「松木って端末に詳しいんだ——」
自身に向けられた批評の声が、呼応するように膨らむのを感じていた。ただ、振り回される気はなかった。ところが、意に反し一瞬「負の情念」を拾い上げた。限られた空間内から源泉を特定することは、たやすかった。
視界の端でとらえたのは、
中嶋がクラスの中で特定の誰かと一緒にいる様子を、松木は目にしたことが無かった。会話する機会も未だ無かった。
彼も、キーボードを操作していた。表情から読み取れたのは、「焦り」と「苛立ち」だった。
松木は、最後のコマンドを入力した。対峙していた脅威が、すべての端末から除去されたことを見届けた。
自席にて、様子をうかがう者がいた一方で、松木は、周囲に人だかりができているのを改めて知覚した。見向きもされなくなった復学当初から、少しずつ周囲の認識が改善されていることの裏付けだった。
隣で見守っていた大門寺へ、講義を中断したことを詫び、事情を伝えた。彼のあどけない表情が、口をすぼめたり頬を膨らませたりと、表情豊かに移り変わるのが妙に印象に残った。
最終的には、無垢な顔に妥当な笑顔が浮かび「俺の邪魔をしてたやつを、逆に邪魔しかえして、ぎゃふんと言わせたということっすね」と納得と礼の表明があった。
一連のコンソールの表示は、ログとして保存していた。松木は、攻防時の流れを改めて確認していった。根本の原因となった脆弱性を特定し、端末で情報収集を試みた。しかし、当該の脆弱性はいまだ報告されていないことが判明した。
「ゼロデイエクスプロイトか——」松木は内言として生じた仮説をつぶやいた。
学園内の端末は、システム部門により管理・保守され、国内有数の大企業に引けを取らない態勢が敷かれている。セキュリティの観点においても厳重に対策されていることは、いましがた経験した攻防のさなか、端末から収集してきた情報からも見て取れた。ただ、この一連の攻撃は、その対策を嘲笑するかのように、巧みなものだった。
それでも、幾重にも偽装された発信元のIPアドレスとMACアドレスを解釈し、エクスプロイトを企てた端末を特定することに成功した。情報が示唆していたのは、今まさに松木自身のいる室内から攻撃が行われていたということだった。
当該端末の設置されている場所へ視線を向けようとした。
やや低く湿った音が、すこし離れた先のほうから鳴るのを知覚した。松木の視野にて対象者をトレースするのと、ほぼ同時だった。音の源泉と対象端末は同一だった。認識したのは、うつむいて座っている中嶋だった。表情はちょうど死角になり読み取れなかった。ただ、やや粗く震える肩が、在りし日に自身が体感した「憤り」を想起させた。松木の他には、誰も気づいていない様子だった。
モルペウス::胎動 @13n-Ls_23vi
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