第24話
学園の構内にそびえる木々の葉の色は、まるで衣替えを済ませたかのように装いを新たにしていた。頬を撫でる風は、ようやく本来の心地よさを取り戻していた。つい一か月前は、肌を刺すように感じていた日差しが、近ごろは丸みを帯びているためだろうか——松木は、知覚した情報を取り留めもなく解釈した。
大門寺が発した「すぐに会えるかもしれない」という言葉の意味を知るまでに、そう時間はかからなかった。夏休みが明け、再開した学園の講義で目に入ってきたのは、講師として教壇に立つ大門寺の姿だった。立ち居振る舞いからは、これまでに同様の役割を幾度も果たしてきたことが、伺えた。あどけなさがまだ残る顔立ちとは裏腹だった。目が合うや否や、大門寺は、まるでいたずらを思いついたかのような屈託のない笑顔を、松木へ向けてきた。
再会を果たした後、わかったことがあった。大門寺が、一般的な高校生という属性のほかに、芸術家という側面を併せ持っているということだった。初回講義での自己紹介では本人から多くを語らなかったが、ネット検索したところ、活躍は国内にとどまっていなかった。海外での展覧会で取り上げられたり、コンクールで受賞を重ねたりと、言葉通り「新進気鋭」だった。端末に表示された彼の作品には、見覚えがあった。松木が、夏の時期に国立図書館へ入り浸っていた頃、エントランスで遭遇した展示作品だった。
「次回からは、新しいテーマに入るっすね。CGを使って表現していくんで、教室の場所が変わります!」
次回予告し、講義を締める大門寺の声がした。まるで合図だったかのように、いつの間にか抑制されていた自身の思考が再開されるのを、松木は認識した。講義中は、不思議と他の事から意識がそらされているようだった。
当初は、講師が同年代ということに抵抗感を感じていた面々も見られた。だが、まだ数回しか実施していないにもかかわらず、今では受講者から一定の受容が見て取れた。要因は、端末から得られる彼の背景情報によるところではなく、講義自体の内容だった。単に大門寺が話す内容にとどまらず、しぐさや表情に至るまで、不思議と彼へ意識を向ける状況が空間内に醸成されていった。
松木自身が、彼と顔なじみであると言う個人的な理由によるところではないことは、ほかのメンバーの様子からも明らかだった。講義が始まった直後は隠れて端末を操作したり、ほかの教科の学習に興じたりしていた者も、その不思議な魔力の適用対象から漏れることはなかった。
前回の予告通り、今回以降、普段の講義場所から変更となっていた。開始まで少し時間があったため、松木は、何気なく周囲を見まわした。各座席には、端末とともに、広い画面が据えられている。高負荷な処理を賄える専用構成の端末であることが、周囲の会話から聞いて取れた。
別のクラスが既に使用していたのだろうか——端末の電源はすでに入っており、ログイン画面が表示されている。前回講義の後に展開された事前準備として自身のアカウントで認証を済ませた。
「それじゃ始めていくっすよ」定刻を迎え、室内に大門寺の天真爛漫な声が響いた。
寸刻ののち、松木は奇妙な状況を知覚した。
突然、ほぼ同時に室内の各端末の画面に黒いウィンドウが表示された。ほかのメンバーは大門寺に注目しているためか、気付いていない様子だった。次々と表示される文字列を視認することはできたが、何を意味しているのかは見当がつかなかった。これまで学園内の端末を使用することはあり、ログイン直後に時々同様の表示を目にすることはあった。だが、今目前でとらえている内容は、既知のものと異なっているように直感した。
「なんすかこれ!」
大門寺のややすっとぼけた声が、在室している松木以外のすべてのメンバーにて異変に気付く合図となったようだった。
端末の画面は、つい数分前までのたたずまいとは打って変わり、奇抜な様相を呈していた。表示領域の全面が単色で塗りつぶされた状態で、赤・黄・緑・青と次々と切り替わっていく。派手な原色が不整な周期で繰り返し表示され続けていた。多少心得のある者がキーボード操作を試みるのが見えた。ただ、思惑は外れたようだった。据え付けられたすべての端末が、一切の入力を受け付けず、電源を強制的に入れなおしても状況は変わらなかった。結局、講義内容は座学に切り替えられ、CGの実技は後日開始されることとなった。
「最初は驚いたんすけど、端末の画面に無作為な色が表示されまくるのも、アートとしてなかなか興味深いすねぇ」自身の講義が予定外に中断されたにもかかわらず、大門寺はあっけらかんとし、居合わせた不可解な事象を評していた。
大門寺の無垢な様子とは対をなすように、松木は不可解に感じていた。単なる故障とは思えなかった。何らかのシステムのアップデートで一斉に失敗したのだろうかと思いネットを当ってみたが、そのような情報は得られなかった。当夜の明晰夢の中で、直前に表示されていた画面や文字列は当然再現できたが、内容を解釈するだけの知識を持ち合わせていなかった。松木は「足りなければ補えばいい」と思い直し、翌日、国立図書館へと足を運んだ。
もはや、国立図書館は、在りし日に生じた負の認識を想起しないほど、自身に馴染んでいた。暖色に変化した葉を携えた木々を横目に、松木は、ガラス張りのエントランスを抜け、影山のいるフロアへと向かった。
「調子どう」と、影山はいつもの調子でウィンクしてきた。我ながら当初の狼狽を、もはや思い出せないほど自然に応じられるようになったものだ、と内心苦笑した。
影山は「ちょっと」とおどけながら「今日は何をご所望かしら」とようやく司書らしい言葉を口にした。かいつまんで説明する言葉を、「うん、あらそう」と毎度の相槌とともに一通り聴いた後、「まずは基礎からよね」と本をリストアップし始めた。松木は、出来上がった数十冊の一覧を受け取り、礼を言った。
「改めて見ると、松木君なかなかやるわよねぇ、私が挙げたぜんぶの本をいつも体系的に取り込んでくれているみたいだし」影山は、いつの間にか司書モードから、おちゃらけた様子の通常運転に切り替わっていた。松木は、「こちらこそいつも助かっています」と重ねて感謝の言葉を述べ、その場を後にした。
「あなたも、面白い何かを、持っているのかしら」
背後でふいに聞こえた声の源泉へ、反射的に振り返った。影山が、手を振っていた。手を大げさに動かすコミカルな動きと並行し、なぜか脳裏には「あなたも」というところが残響していた。ただ、それ以外は普段と変わらない日常だった。影山へ再度一礼しフロアを後にした。
リストアップされたすべての本について、国立図書館の各フロアで内容を目視した後、家路についた。就寝後、明晰夢の世界へ移動した。覚醒時に得た内容で再現した書籍をもとに内容を修得していった。知識や理論に関しては、学園での学習の一連のプロセスとしてすでに確立していたこともあり、支障は生じなかった。
ところが、書籍に記載されたサンプルのスクリプトを実機で試す段階に来て、困ったことになった。夢の世界において、物質を再現することはもはや造作もないことだった。それは、物品としての端末も例外ではなかった。ただし、その再現した物品を実際に利用可能な端末として扱うこととは別であると、松木は気づかされることとなった。
再現した端末が動作するのは、自身の知っている範囲内に制約された。つまり、端末に当該スクリプトを入力したときに、同等の挙動を実現するには、覚醒時にその端末の挙動を、あらかじめ実際に視認し情報を得ておく必要があると分かった。
覚醒時と明晰夢のサイクルを数回繰り返し、少しずつ明晰夢の中で再現した端末の調整を重ねた。使える範囲は期待した通り広がってはいる。ただ、効率が頭打ちになっていると認めざるを得なかった。
松木自身、ボトルネックを認識していた。根本の原因は、明晰夢の世界へ行ける場面が、睡眠中に限られるという前提だった。学園に通う身分を維持するためには、睡眠の頻度を増やすことは現実的ではないことを認識していた。
「覚醒した状態で夢を見られないものだろうか」
冗談めいた調子でつぶやいた言葉に、対話インタフェースが反応した。
提示し言及したのは「白昼夢」だった。
「本来、白昼夢とはごく短い時間のみ生じるものですが——」対話インタフェースが枕詞に続けて言及したのは、すでに獲得している時空間進展を合わせることだった。
「覚醒時のわずかな一瞬を、明晰夢として極限まで引き延ばすことで、実用が可能」という見解に納得感を得たため、松木は試してみることにした。
対話インタフェースによる身体感覚へのフィードバックもあり、随意的に白昼夢を見る感覚をつかむことに時間はかからなかった。獲得した感覚を、覚醒時になぞることで、就寝時の明晰夢と同等のアクセスができることを確認した。時空間進展の効果も同様に働き、現実世界での時間経過が抑制されていることも想定通りで、結果は上々だった。
ただ、そこから先が一苦労だった。覚醒時に、白昼夢の感覚へもっていくまでに時間がかかるという課題だった。初めのころは白昼夢を見る状態になるまで、早くても15分ほど要した。
「ちょっと、ぼうっとした顔してなにしてるの」と肉親の思わぬ干渉を受けつつ、それでも繰り返し訓練を重ねた。功を奏し、白昼夢を見る感覚に至るまでの時間は徐々に短縮されていった。
とうとう、一秒程度目を閉じている間に明晰夢の世界で行動できるようになったころ、この新たに獲得した能力が、実益として効果を発揮し始めた。
覚醒時に、端末実機のコンソールに当該のコマンドを打ち込む。
結果が表示された瞬間、目を閉じる。
明晰夢の世界に移行する。
再現した端末にて、同じコマンドを打ち込む。
表示された内容が、覚醒時の実機と一致するかを確認する。
一連の、実機再現のための工程に要する時間が、より短くなった。
サイクルがより早く回り実機の再現スピードが格段に向上した。
伴って、プログラミング言語やコマンド、スクリプトといった実機での操作を要するスキルの習得がはかどるようになった。
期待した通り、白昼夢での明晰夢と、就寝時の明晰夢の間にも継続性があった。ただ、両者には、決定的な違いがあった。松木にとってみれば、うれしい誤算だった。就寝時の明晰夢では、真っ白な何も無い空間からはじまっていた。一方、白昼夢での明晰夢では、覚醒時の直前の周囲の状況が完全に再現された状態から開始された。
結果として、覚醒時に実機で打ち込んだコマンド結果を、意識的に再現するステップが省略され、シームレスに状況を確認できるようになった。松木の主観としては、まるで時が止まった中で自分だけが自由に行動できるような状況となっていた。
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