第22話

 暦上は夏が過ぎていたが、外から漏れ聞こえるセミの鳴き声は夏の残響のように感じられた。空調のきいた室内にいることを忘れ、額が汗ばむのを感じた。つい数十分前まで日差しの下を歩いていたのだから、体がまだ順応していないのだろうと結論付けた。ふと鳴き声の源泉へ目を向けた。夕暮れの予感にはいまだ遠かった。ただ、少し低くなった日差しはどこか何気ない日常を感じさせる。

 本郷ほんごうたつひろは、科学捜査研究所にいた。ややまぶしくなってきたため、窓から視線を外し、室内を見回した。デスクが並んだ各島には空席が目立つ。夏盛りに休暇を取り損ね、しぶしぶ駆け込みで夏季休暇を消費しているのだろうかと思いを巡らせると、再び麻美の方へ向き直った。

 目前の彼女は、端末の画面を真剣なまなざしで見つめていた。今日は、連日の連続不審死に関し判明した情報があると麻美から連絡を受け訪問していた。さきほどまで受けていた報告内容を、今一度自身の中で整理することとした。

 潜伏変数検出を応用したシステムにより検出された「一連の連続不審死者」には、麻美が先に見出していた「死因が塞栓症である」という共通項について、より具体的な検証が進められていた。各対象者の受診していた医療機関から電子カルテを取り寄せ、精査が行われた。

 塞栓の起きていた箇所はまちまちだった。生化学血液検査では、虚血による組織損傷により、CPK(クレアチンフォスフォキナーゼ)やALP(アルカリフォスファターゼ)の高値が認められた。塞栓症の一種である血栓症を疑い確認したが、関係のあるLDLコレステロール値の顕著な上昇は、どの該当者においても認められなかった。加えて、どの者もこれまで血栓ができるような基礎疾患を持っていたわけではなく、いたって健康だったことが判明していた。

 当時の医療機関においても死因に関し検証が必要と判断されたためか、Ai(死亡時画像診断)が実施されおり、CT検査にて、血管内に空栓が発見された。しかし、当該者は直近で穿刺関係の医療行為を受けたことはなく、ガスを発生させるような疾患もなかった。

 一方、空栓と別の共通事項として、体内からとある組織が検出・摘出されていることが分かった。数ミリ大の重層扁平上皮組織で、本来体内には存在しない皮膚組織だった。

「すまないな、該当者らの人間関係を洗いなおしているのだが、まだつながりが出てこない状況だ」本郷の本心から出た言葉だった。

「気にしないでよ。こちらからお願いしていることなんだし」と、麻美は、向き直って応じた。他意の無い言葉であることを、長年の同期としての関係性から感じ取った。

「それより、時間大丈夫——今日は確か」彼女の声を受けて、時刻を確認する。確かに忠告通りそろそろ移動の頃合いであった。

「でも、国内有数と名高い学校とはいえ、インターンシップで機動隊の警察官と模擬戦させるって、ちょっとやりすぎよね」あまり根詰めても集中力が持たないと思ったのか、麻美は画面から目を離し、少し伸びをしながら話した。

「ああ」とあいまいな返事をしながら、もう一つの用件のことが頭をよぎった。とはいえ、インターンシップが重要事項であることに変わりはない。機動隊OBとして、学園の生徒らの相手をすることは、ここ数年、恒例となっていた。それとなく付け加えるように「あとは、今夜予定している作戦の最終打ち合わせをしておきたくてな」と続けて応じた。

 麻美に礼を言い、科学捜査研究所を後にした。本郷の「今夜」という言葉に、麻美が少し反応していたような気がした。去り際に、「そうよね、刑事っていそがしいもの」とつぶやく声は、空耳にしては明瞭に感じた。

 訓練所につくと、すでに数名の機動隊員と、5名の学園の生徒が集まっているのを視界にとらえた。軽く挨拶をし、機動隊員の横に並びあたりをゆっくりと見回した。学園の生徒らは、どの者もやはり年齢にしては屈強な体つきをしている——と思っていた矢先、一人の学生に目が留まった。彼は、周囲の者とは異なり、体格はほかのものと比べて決して大きくはなかった。しかし引き締まった体つきには、既視感を覚えた。それは機動隊在籍中に目にしていた、実戦経験を重ねてきた隊員らに認められるものだった。国内有数の学校とは言え、学生に似つかわしいものではなかった。

 どうやら彼が、一人の隊員と模擬戦をするようである。単位認定のための技能試験の内容を反芻する。今年は、例年と比べより難易度が増している。学生が、攻撃を1度でも当てることができれば、合格を得る——大幅なハンデがあるとはいえ、それでも無理難題な基準であると今更ながら思った。

 次の瞬間、自身の目を疑った。視覚にとらえたのは、学生が現役機動隊員を制圧している光景だった。無駄のない、効果的な動きだった。今、地面に這いつくばっている隊員は、肉弾戦を得意とした先鋭の一人だったはずである。

 本郷は、おもむろに上着を脱ぎ、足を進めた。ちょうど判定員が、彼に「合格」を認定したところだった。

「ぶしつけだが、私とも一戦願えないだろうか——」高圧的にならないように注意しながら、目前の彼に申し出た。純粋に彼の力量に興味を抱いた。目前の学生は、一礼し、承知した。

 対面して感じたのは、やはり本来の学生が持ち得るはずのないものだった。静かではあるが、そこに幾ばくかの「狂気」を内包しているかのように、感じずにはいられなかった。

「下手をすれば、やられるかもしれない」

内言として生じた言葉は、学生相手の模擬戦であることを認識したうえでのものだった。

 本能的に危機感を抱く自身をなだめた。

 眼に映る相手を見据えた。

 光景から得る所感が想定と一致しないことを、思慮する余裕はすぐに無くなった。

「引き分け」に持ち込むのがやっとだった。

 互いに一例し、一歩引きながら、本郷は再び前を見据えた。——ただ、それは「訓練としての話」である。これがもし実戦であったとしたら——一般人であるはずの彼を制圧しきれる自信は無かった。

「ありがとうございました。己の至らなさを痛感しました」礼儀正しく挨拶する彼の声で、我に返った。平静を装い「こちらこそ」と応じる一方で、彼が善良な者か否か確かめておきたいと感じた。

 これまでの経験上、負の感情に実直に行動してしまうものか、踏みとどまれるものか、かぎ分けが必要な場面は多々あり、直感を妄信するわけではないが、時として被疑者の特定の糸口となる場合もあった。

 ただ結論から言うと、懸念していたような情念の痕跡を目前の彼から認めることは無かった。職業柄で対峙してきた者とは明らかに異なる、礼儀正しい学生という印象を持った。

「松木健人」と名乗った彼の模擬戦を終えた後のたたずまいが、強烈に印象に残った。現役の刑事と互角にやりあったのだから、誇っても良さそうなのものである。だが、彼からはなぜか「自戒」という言葉の印象を受けた。

「本郷さん、今夜のことでお話が——」別の隊員の声だった。

「ああ」と言いながら、対象者の画像を端末で表示させた。一連の想定外の出来事の影響を受けていたのだろうか、意に反し、端末が手元から滑り落ちる感触を得た。

「大丈夫ですか」

 端末がたたきつけられることを予感したが、松木が阻止していた。表示していた対象者の画像を見ていないだろうか。礼を言い端末を受け取りながら、一瞬勘ぐったが、彼が明らかに画面を凝視した様子は認められなかった。

「また、機会があったらよろしくな」

 他意は無かったが、やや形式的な挨拶になってしまったなと思いながら、本郷は隊員とともに訓練場を後にした。

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