第21話
システムは、明確に答えを示した。オープンクエスチョンかつファクトイド、ノンファクトイドについて、あらゆる形式の質問に対して応答することができるようになった。そればかりか、状況に応じて、自発的に発言し質問者の意図を掘り下げ、新たな着想を得るためのきっかけとなるような問いを投げかけることもあった。
しかし、手放しで喜んだわけではなかった。松木は、初めて対面した際、反射的に懸念を覚えた。システムが、幻覚を見る——ハルシネーションが生じる可能性への危惧だった。
GPTをはじめとした自然言語系の生成AIは、人間の作成した文章に遜色ないレベルでの文字列を生成する。一方で、そのもっともらしい答えの中には、事実としては存在しない虚構を含むことがありうる。概念の論理的評価ではなく、単語・文脈の確率的な評価に基づくことによる制約であった。
学園から過去に出題されていたレポート課題の中には、ハルシネーションを低減するための代替手法を提案するというものがあった。力を入れて取り組んだこともあり、高評価を得ていた。先生から発せられた「良く書けている」という言葉が不意に想起された。しばらく遠のいていた称賛を次第に受ける機会も出てきてはいたが、妄信的に受け取るつもりはなかった。
寸刻の後、思考に意図的に声が割り込んだ。システムの音声は以前にもまして自然な抑揚を感じさせた。ブレインマシーンインタフェースと統合されているためか、今しがた抱いていた思念に反応するように、先方は言葉を発し始めた。
「懸念を抱くのは当然ですが、杞憂であると結論付けます。根拠として、あなた自身がその解決策をすでに想定しています。ハルシネーションに対する耐性は獲得済みです」懸念や疑念の認識に寄り添いつつも、冷静に情報を伝達するという立場を念頭に置いた声色だった。
それからしばらく、システムと会話をつづけた。少なくとも松木の認識している情報内においては、ちぐはぐな返答が返ってくることは無かった。どうやらシステムの主張は、ある程度耳を貸す程度には尤もらしいと判断した。
松木が、「自然言語で対話可能なインタフェースが作れると、もっと早く気づけばよかった」とぼやくと、今度は少したしなめるようにシステムの解説が始まった。実際のところ、夢の世界での操作を行うためには、可能であることを「知っている」だけではなく、「当たり前の様に行える」と確信を超えた認識を持っている必要があるとの話だった。
クローズドクエスチョンへ対応できるシステムを構築した時点では、松木自身での認識として、人工知能の様に人間と会話できる存在をまだ想定していなかったことを指摘された。仮に当時、同様の質問をクローズドクエスチョンとして質問しYESの答えを得ることはできたとして、今回の帰結とは異なっていただろうという見立てだった。当時のままでは、汎用的な自然言語での応答機構の構築を目論んだとしても、叶わなかったということを意味していた。人間と真に会話できるような人工知能のシステムについて、知っているだけではなく、「実現可能であると確信を有する」ようになったことで、実装条件を満たしたと、システムは順を追って説明した。
直面していた疑問が一通り解消したところで、本来の目的を思い返した。松木は質問を投げかけた。
「最短で最も格闘で強くなるにはどうすればいい」先ほどよりも自身の声が重く響くのを、耳で感じた。
単語や数値、肯定や否認でしか応じられなかった頃とは雲泥の差だった。システムはこれまでになかったほど流暢に答えを明示した。論理立った構成の主張とともに、目前には説明を補足する図が表示された。
システムによると、要件を実現するためには、新たに2つの能力を獲得する必要があると見解が示された。そのうちの一つは、松木の抱えていたこの明晰夢の世界の謎に直結するものだった。
「この世界において、自身の認識と分離してふるまう事象やオブジェクトを生成するためには、並列処理能力が必要となります。これは、対人戦に限らずあらゆる事象へ対面した際の訓練を行うためには不可欠です」
システムの主張は、自身の意識とは別に操作する対象ごとに、意識を模したプロセスを動作できるよう、「思考を分離する技能」が必要ということを意味した。
松木は、この世界でこれまで生物や人物を出現させたときに、はく製や、ろう人形のようにピクリとも動かなかったことを、思い起こした。確かに、自律的に動作するということは自身の認識とは別の何らかの動作プロセスが必要になるというのは合点がいく。
自身の思考が制止するのを見計っていたのだろうか。システムは、いつの間にか止めていた話を再開した。今しがた表明された主張は受け入れることができた。ところが、続けて示されたもう一つの内容は、あまりにも突拍子がないように感じられた。
「もう一つは、時空間の制約を限りなく低くすることです」システムは、さも当然であるように、見解を述べた。システムの判断では、松木の現状の学習速度を前提とした場合、模擬戦の結果は壊滅的であるとのことだった。攻撃を当てるだけとはいえ、インターンシップの単位認定試験合格に必要な水準に達することは、不可能であることを意味していた。思わず松木が反応しようとしたところ、今度はあえてその態度に呼応せず、システムは言葉をつづけた。
「そこで、時空間を制御します。時空間も操作可能な対象です。時空間への操作体系を、時空間進展として確立することが求められます」
その言葉を聞き、ようやく合点がいく事象を松木は見出した。明晰夢の世界は、現状でも覚醒時の世界と比べて時間の流れはゆっくりである。この進み具合を制御できるようになり、さらに引き延ばすことができれば、現実世界での時間経過を意識せずに好きなだけ訓練に時間を充てられる。しかも、前述の思考分離を応用することで、対戦相手や訓練のシチュエーションすらもランダムに生成するよう意識から分離できる。結果的に、得られる経験の「数」と「質」の両方を高められるということを認識した。
2つの能力を獲得するための訓練の方法についても、システムは順を追って何度も説明してくれた。これが本物の人間に対して質問していたのであれば、躊躇してしまうほどの回数を重ねたが、システムが負の感情を向けてくることは無かった。加えて感覚的な情報が必要になる場面では、声だけでなく、完全再現されていた身体感覚にフィードバックしてくれることが、より理解を促進した。先の仮想網膜投影での図示もさることながら、マルチモーダルとはこのことかと感心してしまった。
試行錯誤を経たものの、一度感覚をつかんでしまえば、そこまで時間はかからなかった。覚醒時の世界でいう数日後には、並列処理も、時空間進展も、明晰夢の世界における操作体系の一つとして、言葉を発する程度には使えるようになっていた。
システムへ、どのようにこれら2つの能力を活用するか助言を求めようとしたときだった。在りし日の橘との会話が思い浮かんだ。
「一夜で一つの人生を経験した者の話」
獲得した並列処理や時空間進展の能力が、どこまでできる代物なのか純粋に興味を持っていたという面もあった。明晰夢の世界では、臆する必要はない。気になることは、何でも、何度でも試すことができる。それに——一瞬のうちに、これまでの惨めな経験が頭を駆け巡った。やるなら徹底的に極限まで突き詰めたい。脆弱な自身を変えるために必要な工程であると思われた。
システムによると、現在の明晰夢の操作の修練度合いを鑑みれば、覚醒時での世界での1秒を、明晰夢の世界では8時間程度にまで引き延ばせるとのことだった。これを並列処理として自身の意識と分離すれば、処理系統も分離されるため、明晰夢を見ている松木健人自身の肉体が生命活動を継続する限り、進展継続時間に制約はないとのことだった。
一連の処理や必要な条件を、シナリオとして設計・定義した。自身の心が折れ途中で投げ出したくなることを想定し、中止や離脱はできないようにした。シナリオ実行中は、明晰夢の操作能力も行使できないように制約した。痛覚は、序盤の無痛状態から期間が進むごとに徐々に上げ、覚醒時水準を経てより増強するようにパラメタを設定した。また、致死性の損傷を負った場合は、無制限でその少し前のランダムの時系列、場所から再開するようにした。
体験する世界観・シチュエーションや場所については、あらゆる状況下での経験を多く積むという観点から、一定期間でランダムに変わるように実装した。シナリオ設計に当たっては、これまでに収集した格闘や戦術をはじめとしたあらゆる知識が大いに役に立った。
すべての準備が整い、目前には、システムからの問いかけが表示されていた。
「シナリオを実行しますか」
戦いに身を置く虚構の一生を終えるころ、自身のありようが提示する変化に想いを馳せる間もなく、松木はシナリオを開始した。
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