第13話
窓の外には、大きな入道雲と青い空が見えていた。暦上の夏が訪れてから、すでに1か月余りが経過している。ガラス越しにかすかに聞こえ始めた蝉の声が、まだしばらくはこの暑気が続くことを予感させた。出勤時に感じたアスファルトから立ち上る熱気が、否応なしに思い出された。
白を基調とした執務室は、捜査対象となる専門分野ごとにフロアが分かれていた。一人ひとりのデスクが対向するように配置され、端には上長の席が据えられている。事業所でよく見られるいわゆる「島型」のレイアウトだった。
各部門ともに、自席にいる人はまばらだった。皆、実験室などで鑑定業務に従事したり、来訪した捜査員の対応をしたりしている。あるいは、捜査に支障のない範囲で順番に夏季休暇を取っている者もいるはずである。デスクにいる者が目に留まった。鑑定書類の作成に追われている。自身の「島」の部下たちもおおむね同様の状況だった。
麻美は、再び画面を眺めた。そこには週刊誌の一ページが表示されていた。見出しには「連続不審死か」という文字が仰々しく踊っている。健康上問題のない人の突然死が相次いでいるという内容だった。
もし部下がこのような類のものを職務中に見ていようものなら、透かさずたしなめるだろう。思わず自嘲の感情を抱きそうになったところで、自身は職務上の関係でやむを得ず参照していたと思い直した。誰も見ていないと知りながらも、まるで自身の正当性を誇示するかのように、ため息交じりに画面を切り替えた。そこには、今しがた見ていた突然死を起こした対象者の情報が表示されていた。種々の情報が、華美な外観を排斥した操作体系とともに整然と並んでいる。
「誤検出の可能性も否定できない、か」そうつぶやいてみたが、本心では今後の対応方針に苦慮していた。情報を再び丹念に追っていく。フリーランスのCGクリエイター、SNSインフルエンサー、会社員というように、表示された対象者らの職業に共通点はなかった。現状明らかなことは、どの対象者も健康上問題のなかった突然死を起こした後、「事件性なし」と処理されていたということだった。すると、聞きなれた男性の声が後方から聞こえた。
「これが、例のシステムか」
麻美は、思わず応じようと声のした方向へ振り向いた。見慣れた姿を認識したものの、彼が画面をのぞき込んでいたのは、想定外だった。振り向きざまに、思ったよりも近くで相手の顔を視界に捉えた。思わず胸の高鳴りを感じたが、平静を装い不自然に視線をそらさないように気を付けた。うまくごまかせたのか、
本郷は、麻美と同期の刑事で、この科学捜査研究所へも度々顔を見せていた。職務上要求されるたくましい体つきと端正な顔立ちに、短髪がよく似合っていた。機動捜査隊出身ということもあり武術にも長けている一方、科学捜査研究所の職員の話を冷静に聞き理解する明晰さも持ち合わせている。
「ええ。相談したい件はこれ」視線を本郷の顔から外しつつ、言葉に応じた。不意に彼の指元が視界の端に映った。前に会った時と変わらず、そこに指輪は無かった。妙な安心感を覚える自分自身の感情を嘲笑的に否定するのは、もう何度目だろうかと思った。風の噂によると、離婚経験者らしい。さりげなく同期の集まりで本人に訊いた時に「懲りて当分仕事に打ち込みたい」と冗談交じりに応じた本郷の姿が、脳裏に浮かんだ。
「システムの検出結果は、この3人の突然死に何らかの介入があったことを示唆しているの」自身の邪念を振り払うかのように、言葉をつづけた。麻美の「何らかの介入」という言葉のところで、本郷の眼差しが鋭くなったのを知覚した。
「気を悪くしないで欲しいんだが、このシステムはどの程度信頼できるものなんだ」やや低めながらも、投げかけられた本郷の質問は冷静だった。実際に捜査に当たる立場であれば当然浮かぶ疑問だった。麻美は「そうね」と応じながら思案を巡らせていた。
このシステムは先端技術機構の開発した「潜伏変数検出器」を、科学警察研究所が応用し実現した。
事象の関係性には「因果関係」と、「相関関係」が存在する。原因と結果の構図が、因果関係である。一方、相関関係は必ずしも原因と結果の結びつきとは限らず、事象同士に何らかの関係性があれば成立する。
ところが、本来は相関関係にない事象同士が、まるで相関しているかのように推測されてしまうことがあり、これを疑似相関という。疑似相関は、潜伏変数と呼ばれる「見えない要因」によって生じる。先端技術機構は、潜伏変数を一定の信頼性のもとに検出する技術を開発したのだった。
そして科学警察研究所は、これを犯罪捜査に応用した。各医療機関の電子カルテ、行政機関の各システム、警察の管理する各データベースを統合したうえで、解析が行われる。未認知の事件検出や事件同士の関与の発見が、理論上可能とされる。同一犯の余罪捜査に役立てたり、未解決事件解決の糸口としたりすることが期待され、試験運用が始まっていた。
「少なくとも、ネット上の匿名の告発よりは確実、と言ったところかしら」麻美は、システムに対し疑念は抱かないが、妄信するわけではないとでも言うように控えめに答えた。ただ内心は、言葉以上にシステムへ期待を寄せていた。検出した内容が、一部メディアで報じられている不審死の対象者と一致したことを、偶然という方が不自然であると感じた。
「システムが、具体的な情報を提供するようになれば良いのだけれど」麻美は、自身の抱いている所感をためらわず口にした。実際、試験運用かつ開始して間もないとはいえ、当該システムには致命的な欠点が存在した。それは、潜伏変数の存在を検知できても、潜伏変数自体の詳細情報を得るには至っていないという点だった。
今回の件も、潜在変数Xが3件の死亡事案に介入したということをシステムは示しているが、潜在変数Xが人物なのか、現象なのか、物なのかということさえ明らかではなかった。それは、システム稼働後も事件解決のためには、捜査員の手による潜在変数Xの特定が必要であるということを意味した。科学警察研究所も、改善すべき点として認識しているようであった。
「対象者の詳細な死因に共通点はあるのか」少しの間を置き本郷から出た質問は、より具体性を帯びているように感じた。麻美は、循環器の塞栓症であることは把握しているが、詳しくは医療機関の情報を取り寄せる必要があると応じた。
科学警察研究所からは、システム運用のフィードバックを随時報告するよう要請されている。本件を報告するにあたり、いずれにせよ検知結果の妥当性の検証は必要なことであった。そのうえで、死因を検証するのは本郷へ抱く感情を考慮せずとも有益に思えた。
すると、彼は画面を見ながらメモを取り始めた。
「俺の方では、3人の交友関係からあたってみるよ」メモを終えたのか、顔を上げた本郷と目が合った。続けて、「いつも助けてもらっているしな」と言葉を口にする彼を見据えた。控えめに口角を上げた彼の顔に、どこか頼もしさを感じた。それが、ともに犯罪捜査に当たってきた戦友としてのものなのか、それとも男性の魅力としてのものなのかは、判断がつかなかった。
「また来る」と言ってフロアを後にする背中を、ちらりと捉えた。頼もしさを感じた要因が、どちらだったのかは曖昧にしておこうと思い直し、麻美は再び画面へ視線を戻した。
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