第12話
「機械は人間と様々な対決を行ってきた。チェスに始まり、囲碁や将棋と言ったボードゲームを経て、マシンは次第に成果を示した。人々の期待と失意を繰り返しながら、アルゴリズムは人間を相手に熱戦を繰り広げるまでになった。一方、両者の対峙は『自然言語処理』においても新たな一面を切り開くようになった」
「それが、クイズ番組での対戦、だったな……確か」
松木は、真っ白な地面に寝ころびながら呟いた。目前に見えるのは、やはり真っ白な光景だった。室内のような天井は無く、まるで空が続いているかのように先はかすんでいた。
予習範囲で覚えた内容をそらんじていた。クイズ番組と自然言語処理に関する分野は、予習範囲に記載のあった「ディベートする機械」よりも、前のページで扱われていた。
クイズ番組では自然言語処理を最大限に活用する必要がある。その最も重要な課題の一つが、「何が問われているのか」ということを機械に理解させるという点だった。
一般的に、質問はその答えのタイプにより「オープンクエスチョン」と「クローズドクエスチョン」の2つに大別される。
オープンクエスチョンは、応答者が言葉の形式にとらわれず自由な回答が可能な質問である。単語や文章を問わず言及できることから、情報の密度を自身で決めることができる。対して、クローズドクエスチョンは、あらかじめ用意された選択肢を回答者に選ばせる。情報の密度は固定される。
さらに、この観点とは別に質問の形式は「ファクトイド型」と「ノンファクトイド型」の2つに大別される。
ファクトイド型とは、端的に言えば、単語や数値で答えられる質問である。郵便ポストの色は何かという問いに対する「赤色」という回答だったり、富士山の標高を問う文章に対する答えが「3,776メートル」という数値だったりというような構図である。
一方、ノンファクトイド型は、文章でなければ回答ができない形式——例えば理由や経過、手順、具体的な方法の詳細というような「単語や数値のみでは回答が表現できない」質問である。このうち、機械が参戦したのは、オープンクエスチョンかつ、ファクトイド型の質問が出題されるクイズ番組であった。
一見すると、ウェブサイトの検索エンジンのようにネットに接続し、情報を引っ張ってくることで、容易く実現できるように思える。しかし、実際は一筋縄ではいかない。質問の仕方により、答えるべき情報が変わってくるためである。
例えば、「標高が世界一の山」に関するクイズが出題されたとする。この時、問われている対象は「エベレスト」に関する情報である。しかし、質問が「何を」訊いているかに応じて、回答する情報を切り替えなければならない。
訊いている事項が、エベレストの「存在する国」なのか、「標高」なのか、そもそもエベレストという「名称」なのか——。何らかの手段で「エベレスト」に関する情報を抽出できたとしても、答える「情報の型」が質問と合致しなければ、クイズに正解することはできない。人間の有する「何を問われているか判別する能力」を、アルゴリズムとしてマシンに丁寧に実装する必要がある。
自室で学習していた予習範囲の内容が、独りでに意識の中で流動するのを感じていた。記憶した出来事が想起される様を、どこか俯瞰的に眺めていた。
「融通の利かない無機質な声も、クイズの解答者のように聞かれたことへ端的に答えてくれれば良いのに」と、冗談交じりに思った。その瞬間、何かがひらめいたように直感した。
「この仕組みを応用できないだろうか」
想起したのとほぼ同時に、視界の端で控えめに表示が現れたのを認識した。
「変更を適用しますか」
表示された文言に対してとっさに警戒した。今自身が何を想起したのかを、慎重に再認識した。
「無機質な声が、クイズ番組の解答者のように、質問へ端的な回答を行うようにする」
自身の思考が想定通りであることを顧みたのち、変更の適用を実行した。
「構成の変更を実行中です」
無機質な音声が再び聞こえた。先程は頭の中に直接聞こえていたのだが、少し不自然に思っていたところ、空間内に響くように聴覚を戻すことができた。試行錯誤の末、「仮想内耳」も仮想網膜投影と同様にブレインマシーンインタフェースにより操作が可能であることが分かった。
「標準入出力の一部を、対話インタフェースとして実装しました」
無機質な声は、自身を新たな機能として呼称した。
結果として、目論見はうまくいった。対話インタフェースは、松木の疑問へ答えを明示するようになった。
想定外だったのは、対話インタフェースが答えられる分野が、多岐に渡っていたということである。松木がこれまでに身に着けてきた知識をもとにクイズを出すと、対話インタフェースは立て続けに正答を提示した。問答を続けるにつれ、「こいつを打ち負かしてやりたい」という気持ちが湧き出てきた。
思いつくままに次々とクイズを出題した。いつしか、時を忘れ対話インタフェースとのやり取りをどこか娯楽のように楽しんでいた。夢にしてはよくできていると自身のことながら感心してしまうほどだった。
どのくらい時間が過ぎたのだろうか、とふと我に返った。結局、対話インタフェースを打ち負かすことは、かなわなかった。ただ不思議と不快ではなかった。
対話インタフェースは何処までも実直に答えを返し続けた。それは日中に経験した表面上を取り繕った陰口や嘲笑のような「自身への悪意」とは対極にある態度そのものだった。そもそも、こいつは人間ではないのだからと思い直し、そろそろ朝になるのだろうかと少し気がかりに思った。
夢ならいつかは覚める。そう思って悠長に構えていた。しかし思惑とは外れ、しばらくたった今も、まだこの真っ白い空間にいるままだった。少しずつ焦りを感じ始めていた。
「いつ、夢から覚めるのか」
対話インタフェースへ訊ねてみた。しかし、その答えは予想外だった。
「期限なし」
対話インタフェースは端的に答えた。
「期限なし」とは、どういうことだろうかと思った。つまり、ここから出られないということだろうか——流動している意識の質が、焦りへと徐々に変化していく様子を感じた。一方で、何故か対話インタフェースとやり取りしていた問答のことが、自然と思い起こされていた。
対話インタフェースは確かに立て続けに正答を示したが、例外がいくつか見られた。それは、オープンクエスチョンやノンファクトイド型の質問に対しての応答だった。
単語や数値のみで答えられないような質問に対し、対話インタフェースは正答を返さなかった。原因や理由を問うクイズや、経過を答えさせるような質問へは、軒並み「例外が発生しました」と機械的な定型メッセージを返すのみだった。対話インタフェースが、オープンクエスチョンやノンファクトイド型の質問へは答えられない可能性を示唆していた。
一方で、対話インタフェースへ投げかける「質問文」については、制約が無いように思われた。例えば、単純な質問文ではなく、問うていることをより明確にするための条件や前提を付け加えたような、ある程度入り組んだクイズを出題したことがあった。それでも、ファクトイド型の質問へはすべて正答で応じていたことを思い出した。
「応答可能な質問の種類は何か。ただし、質問の形式をファクトイド型か否か、オープンクエスチョンか否かという観点から分類したものとする」
松木は、真っ白な空間に向かって声を発した。声に出さなくてもブレインマシーンインタフェースで質問は認識されるのだが、話し方を忘れてしまうのではないかと一瞬よぎったためだった。一蹴したものの拾い上げた疑念は、やはり杞憂だった。問題なく自身の声が空間に広がり、聴覚として聞き取ることができた。
「クローズドクエスチョン、ファクトイド型質問」
結果は予想通りだった。対話インタフェースが、端的に応答した際、「クローズドクエスチョン」という単語から、再びひらめきが生じた。クローズドクエスチョンを利用すれば、提示された質問に対する真偽が得られるのではないだろうか。思考するままに、浮かんだ質問を投げかけた。
「いつ夢から覚めるという質問に対して期限なしと回答したが、それはここから出られないということか」
「いいえ」
対話インタフェースは、明確に回答した。
「どうすれば、ここから出られるか」反射的に質問をした後に気づいた。対話インタフェースの「例外が発生しました」という音声を聞きながら、この聞き方ではだめだと再び思考を始めた。
少なくとも質問に対する真偽を得ることができる。仮説を立てそれが正しいのか否かを知ることはできるのである。出られないのかという問いに対する「いいえ」という先の明確な否定が、自身の思考をより冷静にさせる効力を発揮していた。
自らの置かれた状況を整理しながら、仮説が正しいか否かという形で質問を続けた。一つ一つではあるが、仮説が「いいえ」と否定されるたびに、言及されていなくても求めている情報が浮き彫りとなっていくように感じていた。
「ブレインマシーンインタフェースの適用範囲は、この世界において例外があるか」
いくつ質問をしたか数えるのをやめたころだった。対話インタフェースは「いいえ」と回答した。これまでと変わり映えのしない返事だったが、答えを聞いた時、何かが繋がるような感覚を得た。自然と口が動いた。
「つまり、『夢から覚めろ』と意図すれば、夢から覚めるということか」
「はい」
肯定の声を聞いたかと思った次の瞬間、我に返った。見覚えのある天井だった。少し遅れて、自身が仰向けになっていることを理解した。背中には、柔らかなベッドの感触があった。まるで、見知らぬ地からの帰還の成功を、称えているようだった。
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