第11話

 目前には、どこまでも続く真っ白な空間が広がっていた。夢の中であると自覚してはみたものの、感覚は現実と遜色なかった。松木は、赴くままにしばらく歩き回ってみた。地に足をつけ、けり出す感覚が感じられた。

 今まで見てきた夢では、妙に体が重くなり体の自由が利かなかったことを思い出した。対して、今この瞬間は、随意的な行動ができ、感覚の制約は無いように思えた。一方、自身の意思とは未だ無関係な事象は続いていた。無機質な声は、止むことなく言葉を発し続けていた。

「アディショナルインタフェースの構築を開始します」

 声がどこから鳴っているのかは、見当がつかなかった。感覚としては、空間全体に響き渡っているように感じた。まるで空港の自動音声アナウンスのように、声は規則正しく流れ続けていた。

 突然、視界にブロックノイズが走ったように感じた。モザイク状に崩れた視界を目の当たりにし、焦りを感じた。しかし、数秒も経たないうちに、再び視界は元の状態に戻った。ただ、視界の端辺りに奇妙な模様が現れたことに気づいた。

 はじめは、実際に真っ白な空間のその場所に模様が現れたと思っていた。ところが、視線を動かしても、模様の表示されている位置は一定だった。さらに、この模様は視界のどこに視点を置いていても、まるで中心に見据えているかのように明瞭に視認することができた。視界の端にあるにもかかわらず手に取るようにわかる感覚が、少し気味悪く感じた。

「仮想網膜投影構築プロセスを実行中です」

 無機質な声が情報を告げるのを聞き取った。その瞬間、奇妙な模様が消えた。その代わりに、今度は黒色の背景に文字の表示された画面が、視界に重なるように表示された。画面自体は見覚えのあるものだった。日常の中で、端末を操作している際に見たことのあるものだった。

 問題は、今目前に表示されている情報を表示するための装置がどこにも見当たらないということだった。少なくとも、端末は所持していなかった。また、情報を表示するようなディスプレイ装置は、見回した限りこの場所にはなかった。

 この画面の表示も、先ほどの模様と同様に自身の視点に関係なく常に明瞭に識別することができた。そういえば、声は網膜投影と話していた。この画面は今自身の視界に直接描画されているということだろうか。あまりに突然のことで、戸惑わずにはいられなかった。自身の思考がまとまる前に、声は次の情報を告げた。

「仮想内耳構築プロセスを実行中です」

 先ほどまで空間に響くように聞こえていた声が、突然自身の頭の中に直接聞こえるようになった。音の反響は完全に消失し、より明瞭に聞き取れることを感じた。声は小難しい言葉を立て続けに発していた。

「ブレインマシーンインタフェース構築が完了しました。環境構築が完了しました」

 声は、この言葉を最後に沈黙した。はじめの頃は煩わしいと感じていたが、しばらくすると音の鳴っている状況が当たり前であると慣れてしまっていたことに気づいた。声は止んだが、視界には依然として画面が表示されていた。正直なところ現実では経験したことのない視認方法に戸惑うばかりだった。

「この画面少し邪魔だな」率直な感想を抱いた。すると、不思議なことに、先ほどまで視界を覆っていた大きさよりも、表示されている画面が小さくなり、また視界の端に移動した。特に、何か操作をしたわけではなかった。唯一思い当たるとすれば、それは文字通り「思った」だけであった。

 しばらく歩きながら、考えを巡らせていた。先ほどまで騒々しかったのとは打って変わり、今は静寂が漂っていた。周囲には相変わらず真っ白な空間がどこまでも広がっている。正直、真新しい光景は無かった。

「何か、今得られる情報は無いだろうか」口にはしなかったが、おもむろに考えていた。すると突然、目前に透過表示されていた画面が変化した。

「要求を実行します」

 控えめなメッセージが一瞬映ったのを捉えた。少しの間を置き、再び表示が切り替わった。しかし今度は、視覚のみではなく、聴覚でもその差異を認識せざるを得なかった。

 先ほどまで黙りこくっていた無機質な声が、再び聞こえてきた。しかしその様子は一定の調子だった先程までの様子とは異なっていた。早口で何かをまくしたてている。しかも、その声は一つではなく、何重にも重なっていた。

 一方、目前には膨大な文字列が、視野を覆いつくすように敷き詰められて表示されていた。そればかりか、視界の文字はあわただしく切り替わり続けている。記述された情報をくみ取ることは、何一つ不可能だった。

 目をつぶっても、視界の文字は消えなかった。耳をふさいでも声は鳴り響いていた。圧倒的な情報量を前に反射的に拒絶感を覚えた。

「止まれ——」思わず叫びそうになったその時、突然異常は消失した。視界は元の目前の景色を映すのみの状態となり、狂気を帯びた声は止み周囲は再び静寂に包まれた。

 不可解な現象を目の当たりにし、しばらく立ち尽くしていた。しかし意識は自然と柔軟に流動していた。

「ブレインマシーンインタフェース」という言葉に覚えがあった。脳と機械を接続し実現される操作体系——いわゆる考えるだけで操作できるという技術である。予習をしていた時に目にしたものだった。

 一方で、不可解な現象の直前と直後の自身の行動を顧みた。要求を実行する旨表示されていたということは、要求がなされていたということである。そして、ブレインマシーンインタフェースが「思考により情報を扱える」という点を組み合わせた結果、一つの仮説が浮かび上がった。

「俺の思考を検知しているということか」

 飽和量の情報に晒された際、思わず拒絶を表明した途端、その光景が消失したこととも矛盾しない仮説だった。膨大な情報が表示される直前、自身は何を要求していたのだろうかと思いを巡らせた。

 しばらく記憶をたどり、自身がこの世界についての情報を求めていたということを思い出した。とすれば、視覚や聴覚を飽和させた情報は、この世界に関する何らかの情報であるという結論が導かれた。

 苦痛の記憶と好奇心がせめぎあった結果、再び膨大な情報に接触した。しかし、結果は散々だった。文字は目で追おうとする間も無く切り替わり、音声は早口なうえ何重にも重なり聞き取ることは、やはりかなわなかった。

 率直に苛立ちを覚え始めた。正直なところ、ここは夢なのであるから必死になる必要はないと自覚してはいた。しかし、何故か今この現象に対処することが重要なように思えていた。苛立ちを単純にぶちまけそうになるところを、一歩引き、思考に意識を向けた。

 腹立たしさの原因は、融通の利かないこの世界のブレインマシーンインタフェースの「仕組み」にあった。思考するだけで情報が得られるというのは、便利なように思っていた。しかし現状は、ただ自身の意向を単純に拾い上げて、脊髄反射的に全量の情報を返すのみだった。

 いくら有用な情報でも、求められた意図に沿っていなければ、時として価値のない「ノイズ」でしかないと思った。

 とある言葉の意味を調べるために、辞書を先頭から逐一読み進めるだろうか。あるいは、何らかの機器の使い方が分からず直ちに知りたいとき、取扱説明書を先頭から読み聞かせさせられることを、許容できるだろうか。答えは否だった。

 内側から湧き出るような情動は夢の中とは思えないほどくっきりとしていた。自身が就寝中であるという事実を思わずあやふやにするほど、現実感を伴っていた。

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