第4話

 喫茶店を後にし、2人は国立図書館へと向かった。松木が事前に端末で調べてくれていたおかげで、開館時間の5分前には無事に到着した。叶は周囲を見渡した。建物の入り口前は広場になっており、木々が等間隔に植えられていた。ところどころにベンチが設置され、都会の一角にあるとは思えないほど落ち着いた雰囲気を醸し出している。建物の入口には、すでに何人か利用者と思しき人たちが集まっていた。

 歴史のある施設と聞いていたが、建築物は緩やかなカーブのかかったガラス張りでできていた。打ちっぱなしのコンクリートが所々に使われ、比較的新しい施設のように見える。開館時間となり、2人は他の利用者らに続き館内へと入った。

 目前には、外から窺い知れないほどの巨大な空間が広がっていた。上端までは、少なくとも10メートル以上はあるように見受けられた。吹き抜けとなっている空間から上階のフロアが見えた。一部はガラス張りになっており、快晴の空を捉えることができる。上方から降り注ぐ柔らかな光が、館内の空間をより一層明瞭にしているように感じた。

「先に用事を済ませてくる。少し待っていてほしい」松木の声が聞こえた。思わず承知の言葉を返すと、彼は歩いて行ってしまった。叶は、初めて来た場所に自身が少し浮足だっているように感じた。場の雰囲気に慣れようと周囲をゆっくりと眺めることにした。

 透明な天井と自身のいる地上階との間には、まるで上階のフロアからせり出たかのような迫力感のある本棚が、整然と並んでいた。この書庫はシンプルなフレームの組み合わせで構成されたデザインだった。電動式で自動動作する代物らしい。外で待っていた時に松木が、意気揚々と解説してくれたことを思い起こした。ガラス張りから見える晴天と相まって、まるで空から本棚が釣り下がっているかのように体感した。

「俺はもう貸し出し手続きを済ませた。事前手続きもしていたし」松木の声で、叶は我に返った。どのくらい時間が経ったのだろうかと端末で確かめると、まだ5分ほどしか経過していなかった。顔を上げると、松木の得意げな様子がそこにあった。

 一方、叶自身はそのような手続きをしていなかった。受付カウンターにいた職員へ訪ねたところ、館内備え付けの検索用端末で本を探すよう促された。目当ての書籍は、上階のフロアの書庫にあることが分かった。松木へ、探してくると言い残し向かおうとしたところ、一緒に行くと約束したからと、同行してくれるとのことだった。

 探していた本は、ちょうど吹き抜けの近くの場所にあった。入館時に見上げていたフロアから、今度はちょうど見下ろす形となっていた。叶は自分の端末を取り出し、念のため保存してあった入学前課題のデータを開いた。目的の書籍で課題に十分対応できるかを今一度、確認した。

 ちょうど時刻は10時を過ぎていた。開館時間から少なくとも30分以上は経過したことになる。地上階の入り口付近へと視線を落とすと、利用者が開館直後よりも増えているように見えた。

 すると、突然金属がこすれるような音が、エントランスから吹き抜けにかけて響いてきた。叶はあたりを見回した。一方、松木は吹き抜けから出入口のあたりを見ているようだった。

「妙だな、出入口のシャッターが下りてきている」松木のつぶやく声が聞こえた。すると彼は自身の端末を取り出し操作した。叶から少し離れた場所へ静かに移動するなり、階下の様子をうかがっている。彼自身の視線と同じ先へと端末を向けているのが見えた。

 松木の言う通り、奇妙な出来事だった。開館したばかりであるから、閉館時間ではないのは明白だった。叶が、故障かなと言いかけたその時、鋭い怒号が図書館の静寂を切り裂いた。

「ここからは誰も出られない」

 野太い男の声は、高圧的だった。叶は思わず、体がびくりとなった。

 突然の出来事に不安を感じ、地上階の様子を窺う松木を見つめた。すると、音をたてないように叶の元へ戻るなり、自身の口元に指をあて、身振りで吹き抜け側とは反対の書庫へ移動すると伝えてきた。

 叶は、状況が掴めていなかった。しかし彼の顔が、入館前に見た得意げな様子とは少し異なり強張っていることを見逃さなかった。奥の書庫へ行くと、松木が小声で話し始めた。喫茶店での話声とは真逆の必要最小限の声だった。

「覆面の奴らが、職員に何かを突き付けていた。それから、人が倒れていた」松木はそう話しながら、自身の端末を手元に表示させた。そこには、彼の言葉通りの光景が映し出されていた。どうやら端末の撮影機能を使っていたようである。端末は、無音に設定されており映像のみの動画だったが、緊迫した状況を余すことなく伝えていた。全景から映像がズームされ、覆面の男のそれぞれの様子を捉えていった。3人の覆面の各々の顔が鮮明に捉えられていた。一人の覆面の目の周りから複数の「ほくろ」がちらりと見えた。しかし当然ながら、素顔は隠されたままだった。

「強盗なの」必死に絞り出した声は、か細かったが、松木には聞こえたようで「おそらく」と頷くのが見えた。叶は、ようやく事態を飲み込めてきたように感じた。

 すると、遠くのほうで軽い悲鳴が聞こえた。少し年齢を感じさせる女性のものだった。

「騒ぐな」乱暴な声が再び聞こえた。エントランスからは死角となっていて距離のある2人の居所でさえ、体に響く感覚を叶は感じた。ただそれが、建物の構造によるものなのか、声の主である強盗犯の凶悪性によるものなのか、理由はわからなかった。

「通報しなきゃ」叶の中で咄嗟に浮かんだことだった。あまりにも衝動的だったので、心に留めていただけなのか、実際に口にしていたのか自覚が無かった。「そうだな」と応じる松木の様子からして、どうやら発話していたらしいと気付いた。

 叶は、通話している松木を見守った。必要最小限の声で、一つ一つの問答を短時間に抑えながらも事実を端的に述べていた。彼の有能さを浮かび上がらせる口ぶりは、気が動転しそうになっていた叶の状況理解を助けることにも役立った。

 一通り会話を終えたのか、松木は端末をしまった。

「どう、だった」不安を紛らわそうと、叶は松木に問いかけた。

「警察が駆けつけるまで隠れておくように言われた」と松木は手短に答えた。

 ところが言葉とは裏腹に、松木は最初に階下を見ていた場所へと歩き出した。程なく定位置につくと、先ほどの続きとばかりに様子をうかがい始めた。しばらくして戻ってきた彼の発した言葉は、予想外のものだった。

「今なら犯人を制圧できるかもしれない」松木の言い分に、叶はあっけにとられた。そのまま松木の顔を見つめる。そこには「俺なら当然できる」とでも言いたげな表情があった。警察から言われた通りに行動する気など、さらさら無いことは明らかだった。

 彼によると、当初3人いた強盗犯が2手に分かれたのが見えたという。一方は2人組で松木らのいるフロアとは反対方向に向かって建物奥へと消え、今や階下を掌握している強盗犯は残りの1人となったとのことだった。

 松木が再び見せた端末に視点を移した。現在の階下を撮影したと思われる映像には、1人の強盗犯と、近くに集められた「布袋を被った人々」の様子が記録されていた。皆、両手を後ろで括られた状態で、地面に座っていた。少なくとも10人以上はいるように見える。

「視界を奪うことで、人質の抵抗を阻止しているのだろう」松木がこの奇妙な格好をしている人々について、見解を述べた。叶は、言葉に対して妙に納得した一方、恐怖を感じた。確かに普段状況判断に頼っている視覚を遮断されれば、為す術はない。そのような状況下で隙を見て逃げ出すことは、事実上不可能であると容易に想像できた。

「行ってくる」と言いながら松木は立ち上がった。叶は、制止できなかった。自身が松木に進言したところで、彼の意思は到底崩せないことが過去の経験で予見された為だった。松木を説得できないということは、叶は一人で身を隠すことになる。2手に分かれた強盗犯がいつこの場所にやってくるかもわからないと不安が押し寄せてきた。次の瞬間、叶は自分でも驚く言葉を口にしていた。

「私も一緒に行く」自身の発した声にもかかわらず、どこか他人の声のように聞こえた。どう受け取られたのか定かではないが、松木は軽く頷き進行方向を示しながら動き出した。

 2人は、細心の注意を払いながらエントランスへと向かった。松木の勇敢な姿を後ろから視界に捉えながらも、なぜか胸の内に引っ掛かりを感じていた。自ら恐怖へ近づくことへの拒否反応かと自身をなだめた。

 なぜか最初に見た強盗犯の覆面の光景がひとりでに思い出されていた。妙な既視感を感じ、原因を探った。目元を何度も想起しているうちに、そう言えば「ほくろ」が特徴的だったと思い返した。そう、まるで今朝の喫茶店で見かけた男のように——。

「ここで待っていてくれ」落ち着き払った松木の声で、意識が現実世界の知覚へと呼び戻された。2人は、「恐怖」のすぐ近くまで来ていた。幸運にも、ちょうど強盗犯の背後を捉える形となっていた。

 次の瞬間、叶は嫌な予感を覚えた。離れていく松木の背中が、ゆっくりと動いているように見えた。視覚とは別に再び意識は自身の中へと向いていた。

 強盗犯も、喫茶店で見かけた集団も共に3人組だった。だが、両者が同一とすると、疑問が生じる。今朝最後に見かけた「サングラスをかけた男」の存在だった。彼は、後から集団に合流していた。一味と思しき「第四の男」の所在が、いまだ不明であることに胸騒ぎを覚えた。同時に、目前に広がる光景にも違和感を得た。視界を奪われている人質とはいえ、10人以上もの人々を1人で監視し続けられるものだろうか。

「外に見張役がいるのかな」自身を落ち着かせるため見解を口にしてみた。分析とは程遠い根拠に乏しいものだった。

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