第18話:まひろちゃんは褒められたい

 居酒屋の個室で まひろさん改め、まひろちゃんと抱き合っている。抱き合ったまま まひろちゃんの頭をなでている。姉弟だと思えば、微笑ましい光景かもしれない。


 しかし、少なくとも俺の認識では、まひろちゃんは大人の女性であって、一人の女性。頭では家族と分かっていても、どうしても女性として見てしまう。こういった本当的な認識ってどうやったら変わるんだろう。変えられるんだろう。



「ヒーくん、褒めて……褒めて欲しいの……」


「まひろちゃんは……」



 褒める言葉が見つからなかった。


 大人っていつ褒められるんだろう。

 学校の先生っていつ褒められるんだろう。

 女の人っていつ褒められるんだろう。



 大人はちゃんとしてて当たり前。学校の先生はちゃんとしてて当たり前。女なの人はちゃんとしてて当たり前。


 世の中、そんなにちゃんとした人ばかりだろうか。

 少なくとも、出会ったばかりの頃の まひろちゃんはそんなにちゃんとしていなかった。学校でのことは知らないけど、耳かきをなくしてよく なごみに聞いていたし、玄関のカギを締め忘れて なごみに怒られていたし、牛乳パックは逆側を開けてしまっていた。


 学校での「九重先生」は、実に評判も良く、しっかりした「美人教師」としての定評があった。美人だとは思うけれど、しっかりしているのは嘘だと思っていた。


 実際、学校での喫煙は禁止されている。生徒はもちろん、教師も。タバコを吸う教師は自分の車の中に行って吸わないと、敷地内禁煙なのだ。しかし、まひろちゃんは屋上でこっそりタバコを吸っている。本来、カギがかかっていて、出ることができない屋上で。


 俺が学級委員を引き受けたことで受け取った「恩恵」は屋上のカギだった。一応、屋上の掃除という大義名分はあるのだけど、いつでも屋上に出ることができるカギ。たとえ、まひろちゃんが外からカギを締めていたとしても、会いに行けるカギ。クラス担任の田畑先生、通称バタやんはどこまで何を知っているのか。



「まひろちゃん、頑張りすぎだ。たまには、弟にでも甘えてくれ」


「ぐっ……うっ……ぐずっ……」



 大人の女の人が声を殺して泣くのを初めて見た。正確には、抱きしめたままなので、顔のすぐ横だけど、見えてはいない。


 しばらくすると、まひろちゃんは眠ってしまった。流石にお開きだろう。ただ、涙でグズグズになった顔で意識がない女の人を抱きかかえて店から連れ出す絵面はいかがなもんだろう。


 幸い、まひろちゃんはちょくちょく目を覚ましていたので、会計の時はお金を払ってくれた。その時、席まで合計金額の紙を持ってきてくれたアルバイトと思われる女の人に「大丈夫ですか?どなたかお呼びしますか」とまひろちゃんに聞いていたあたり、俺に足腰たたない程 酔い潰されて、お持ち帰りされている正に最中だと思われていた可能性がある。


 しかも、会計は全部まひろちゃん持ち。全部の支払いを女にさせて、酔い潰されてお持ち帰りされる女、まひろちゃん。俺って傍から見たらすごく悪いヤツに見えるに違いない。もはや、犯罪臭すらする。


 しかし、ここで「この人は姉なんです」なんて聞かれてもいないことを言うのは悪手だ。そもそも全然似てないし、何かしらの身分証明書を出したとしても苗字だって違う。一般の人に信じてもらうことなどできるはずもない。


 店員さんは、二度と会うことはない人だし、俺は悪い男と思われたままでもいいと涙を飲んで決断し、まひろちゃんを支えながら店を出た。



 ***



 家までの距離を歩いて帰らせるのは無理と判断して、タクシーで俺の家まで連れて来た。会いたくない親戚が来ている家に、この状態で送り届ける訳にはいかない。近い距離だったので、タクシー代はなんとか俺の財布から払えた。


 最早、歩くこともできない まひろちゃんをお姫様だっこで俺の部屋まで連れていく。


 部屋に入ると、真っすぐベッドに連れて行き、寝かせた。

 こういう時のため(?)ベッドでよかった。布団だったら敷く間、まひろちゃんをどこに仮置きするのか悩むところだった。



「まひろちゃん、今日は俺んちに泊ってください。スポドリ要りますか?」


「ぎゅにゅう……」



 変な声が聞こえた。かろうじて意識はあるらしい。返事はないので、ベッド脇にスポドリを置いておいた。


 まひろちゃんをベッドに寝かせると、俺はキッチンに行き、水を飲んだ。風呂にも入らないといけないし、なごみにも連絡しておかないといけないだろう。急に姉が帰ってこなかったら心配するかもしれない。LINEでメッセして……


 今日は暑かったので、汗でぐちゃぐちゃだ。風呂に入ってさっぱりしてきた。へたばっているとは言え、家に女性がいるのでパンツを履いた後、膝の長さまでの短パンを履いた。



(ピンポーン)



 上は……Tシャツか……と思っていたら、呼び鈴が鳴った。

 割と遅い時間だ。誰が来るというのか。まだ髪が十分乾ききっていないので、軽くかき上げてドアを出た。



「はーい」


(ガチャッ)「ひっ!」



 ドアを開けると、なごみがいた。そうか、さっき連絡したから まひろちゃんの様子を見に来たのか。それにしても「ひっ!」って言われた、「ひっ!」って。軽くショック。



「にににににに兄さん、なんて恰好しているんですかっ!」



 ああ、そうか。上半身はまだ着ていなかった。



「ああ、ごめん。風呂上がりで……」


「そ、そうでしたか。すいません。突然訪問して……」


「あ、いや、あがるか?」


「……はい」



 なごみはご飯を作ってくれることも多かったので、家に上げることに対して抵抗がなかった。なごみが靴を脱いで玄関に揃えている間に、部屋の中を見た。


 まひろちゃんが全裸で俺のベッドの上に寝ているーーーー!!


 何故だ!? 何故なんだ!? まひろさんは飲んだら脱ぐタイプなの!? とにかくまずい! いま、この状況を なごみに見られるのはまずい!



「な、なごみ! ま、まひろさんは飲んで寝てしまったので、明日家に送り届けようと思っているんだが……」



 部屋の入り口に立ちはだかり、なごみに部屋の中が見えないように立つ。



「姉さんは外で飲んでいたんですね」


「そ、そうみたいなんだ。もう、ぐっすりだから、今日のところは……」



 何故、なごみを家にあげたし! 5分前の俺を殴ってやりたい!



「その……兄さん、あの、その……姉さんは……」



 なごみの様子がおかしい。



「ど、どうした?」



 なごみがあっちを見たり、こっちを見たり。しかも、天井の隅とか、スリッパとか、極端に上とか極端に下とかあらぬ方向を見ていた。

 なごみが慌てていると、俺の方が落ち着いてきた。



「どうした?」


「あの、いえ……その……」



 挙動がおかしい。



「どうしたんだ? なごみ、様子が変じゃないか?」


「……」



 俺が寄ると、視線をズラす。

 ズラした先に移動すると、また視線をズラす。


 なに? 嫌われてるの、俺? ちょっと涙出てきたよ?



「なごみ……」


「……しいの」


「ん?」


「恥ずかしいの! 服を着て!」


「あ……」



 風呂上がりで、上半身裸だった。



「兄さんの身体、筋肉質でカッコいいから直視できなくて恥ずかしいの!なんで、今日に限って髪の毛 濡れたままなんですか!ちょっと雫が滴っててドキドキするんです! 腹筋が六つに割れててドキドキするんですー!」



 なごみにメチャクチャ怒られた。



「ご、ごめん」



 確かに、お互い思春期、こんな格好で接していたのは悪かったな。でも、なごみがこんなに感情的になるのは珍しい。



「髪乾かして、シャツ着るよ」


「おっ、お願いしま……す?」



 部屋の方を向いた瞬間、後ろから目隠しをされてしまった。



「なごみ?」


「見ちゃダメ!」


「え?」


「お姉ちゃん裸なんです!お姉ちゃん飲んだら全部脱いじゃうの!」



 どうやら、最初から全部知っていたらしい。慌てて隠す必要なかった。よく考えたら、俺 なんも悪いことしてなかったわ。


 ヘッドの上には、相変わらず まひろちゃんが全裸で寝ている。

 なごみが 彼女にタオルケットをかけてくれたので、目のやり場くらいはできた。



「今日は私もこっちに泊まります!」


「は!?」


「姉さんがここに寝るのならば、私も泊まります!」


「ちょ、ちょっと待て!ここは一応 俺んちだし、お前が泊っていくのは問題があるだろう」


「じゃあ、姉さんはいいんですか? 姉さんは良くて、私はダメなんですか!?」


「いや、そういう訳じゃないけど……」


「それとも、兄さんは、私を追い返して、全裸の姉さんに何かするつもりですか?」


「ぜひ、泊っていってください」


「お世話になります」



 最初から俺がなごみに勝てる訳がなかった。

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