第17話:鬼と乙女は紙一重

「ふーーーーーーーーーーーーーーーーーっ」



 長い呼気と共にたばこの白煙が俺の足元に届く。はっと我に返った。目の前の女教師が昔話をするので、当時を思い出してしまていた。東京大学物語ばりに長い回想だったかもしれない。


 ちなみに、「東京大学物語」はマンガで、2001年に最終巻の34巻が発売され、全343話全てが回想だったというオチだった。ネタバレしてすまん。20年以上前のマンガだから許してくれ。


 酷いマンガは、別の作者で「20世紀少年」ってのもあるけど、ここでは割愛しておこう。


 学校の屋上、目の前にはまひろちゃん。国語教師なのに、なぜか白衣を着ているまひろちゃん。俺は何故、ここに呼び出されているのか。




「結局、どうしたんですか?まひろちゃん」


「まず、それだそれ!教師をちゃんづけで呼ぶな!」




「鬼モード」のまひろちゃんがそんなことを言う。しかし、それはできない話だ。だって、俺は約束したのだから。



「それより、何なんですか?ホームルーム中に呼びだして。用事があったから呼びだしたんでしょう?九重せんせ」


「いや、その、今日は色々アレがあるって話だったから、うちのアレとはどうかと思ってな……」



 さっき前の不遜な態度と打って変わって、キョドリ出した。なにを言っているのか全然分からない。担当が国語教師というのは本当なのか疑問が出てくる。主語も述語もどれだか分からない。一つの文章の中に指示代名詞が2つも3つも出てきたら、それは既に暗号だ。もー、色々どうなってるんだよ、この人。



「だいたい、まひろちゃんのことを「まひろちゃん」って呼べって言ったのは まひろちゃんじゃないですか」


「誰がそんなことを……!」



 途中まで言って止まってしまった。あの時のことを思い出しているのかもしれない。



 ■ ヒロ1年生夏



「あー、もう、ソーメンは飽きた」



 夏の日の俺の部屋で、大の字に寝転がって俺はつぶやいた。大の字になっているのは、ベッドの上ではない。畳の上だ。暑い!暑すぎる!まだ夕方の5時を回ったくらいなのに、金曜日、学校から帰りもう何もする気がしない。


 親戚が来るとかで なごみは駆り出されてしまったので、俺のご飯を作ってくれる人はこの世界に誰もいない。


 夏場にソーメンをゆでる危険性について語りたい。キッチンにエアコンは効かない。熱源が目の前で燃え続けているのだから。そして、茹で具合を確認するためと、火の番をするために、暑くなったキッチンにい続けないといけない。


 一人暮らしで倒れたら、気付かれるまでに時間がかかる。これを世の中では孤独死と呼ぶ。


 俺は孤独死を避けるために、畳の上に大の字に寝転がっていた(?)


 それでも、生き物として何かしらの食物を摂取しないといけない。できるだけ動かずに、できるだけお金を使わずに、できるだけおいしいものを、できるだけ多く食べる。


 俺のミッションはスタートした。



 そんな馬鹿なことを考えていたら、スマホが鳴った。



『まひろさん』



 画面にはま ひろさんの文字。俺を追い込んだひとなので、画面に名前が表示されるだけで緊張が走る。



「はい!いかがなさいましたか⁉まひろさん」



 2秒で通話開始した。もちろん正座。



『その、なんだ。ご飯をご馳走してやるから、駅前の店まで来い。詳しい地図はメッセージしておく』


「イエス、マム!」



 返事をした時には、既に玄関に向かっていた。これは、トラウマから来る条件反射的な物だろうか。怯えから来るものだろうか。まひろさんを1秒でも待たせない様に急がないとと思ったのだ。



『急がずにくること』



 スマホにこのメッセージと共に地図が届いた。まあ、普通に自転車でダッシュしていった。



 ***



 指定された場所は、駅前の居酒屋だった。飲食ビルの5階の店なので、学校の生徒に見つかることはないだろう。俺と まひろさんが義理の姉弟だということは秘密にしてある。色々あって苗字は違うし、教師と生徒という事もあって、デメリットこそあれど、公表して良いことなど1つもない。


 このお店も、全ての席が個室になっているので、他の客に会うこともまずない。これくらい用心しないと姉弟で外食も難しい状況だった。


 個室と言っても料亭のような広い席ではなく、六畳くらいのお店としてが狭めの和室の部屋に、大きなテーブルが1脚、普段は6人用のテーブルだろう。掘りごたつになっているので座りやすい部屋だった。


 名前を言うと、若い女性の店員さんが個室の襖を開けて、部屋に案内してくれた。高校生にとって「居酒屋」というお酒を飲む場所は、少し冒険だった。


 店員さんが開けてくれた襖は、俺を一時だけ大人の世界に入ることを許してくれた特別な扉にも思えた。



「今日は仕事 早かったんですね、まひろ……さん」



 既にまひろさんは飲んでいた。

 普段ほとんど飲まない まひろさんが呼びだしたのが居酒屋というので、ちょっと嫌な予感はしていたんだ。家では飲んでいることもあったけれど、なごみが対応してくれていたので、俺はノータッチでよかった。


 そう言えば、今日は親戚が来ている言っていた。親戚に会いたくないという事だろうか。緊急避難的に居酒屋に?


 俺は、大きめのテーブルをはさんで まひろさんの真向かいに座った。



「お! 待ってらろ! ヒロ!」



「ろ」? もしかしたら、もう、お酔いになっておられる?

 俺が入店したので、店員さんが俺のドリンクの注文を聞いてくれた。



「おし!飲め飲め!ビールか⁉ 焼酎か⁉」


「あの、コーラをお願いします」


「コーラですね。畏まりました」



 手元の端末を操作した後、店員さんが笑顔ではけた。


 テーブルの上には、たこわさ、もろきゅう、えだまめと注文したらすぐ出て来そうなメニューばかりが置かれていた。


 まひろさんの酒の肴ならば問題ないのだろうが、俺が食べるには、まずご飯が必要だ。その上で、おかずらしいおかずの追加が必要だった。今すぐ色々注文したいところだったけれど、呼ばれた意図が分からない。「今じゃない」と俺の心の中の何かが空気を読んで止めてくる。



「珍しいですね。外で飲むなんて」


「分かる? 分かる?」


「あ、はい。普段は家ですもんね」


「よーし! よく分かってる! よし! なんでも注文しなさい! 今日はお姉さんがおごっちゃるから!」



ご馳走してくれるというので、俺はごはんと唐揚げと、フライドポテトとポテトサラダを注文した。炭水化物多くね?

俺がガツガツ食べている間、まひろさんはニコニコしながらお酒を飲んでいた。俺はお腹が減っていたので、更に追加で餃子や焼き鳥を頼んだ。


俺にとって、まひろさんのイメージは「鬼軍曹」なのだが、ご飯をご馳走してくれるというなら喜んでいただこう。


居酒屋は色々なメニューが食べられるから好きだと思っていた頃、まひろさんの異変に気がついた。テーブルの上に突っ伏している。



「まひろさん? 酔った?」



俺の声に少しだけ顔を起こす まひろさん。



らいじょーびゅっ大丈夫



ダメな人はみんなそういうんだ。

でも、こんなに飲む まひろさんは珍しい。前回は、五股男と別れて来た時だったか。



「珍しいですね」


「家には親戚が来てるから。田舎の方から出て来てるからね。この歳になると結婚してないと肩身がせまいのよ」



まひろさんはまだ20代。俺と10個くらいしか年齢は違わないはず。普通に考えたら まだまだこれからなのだけど、田舎の方だと遅い方なのだろうか。いまどき、そんな田舎があるのか、ずっと福岡の俺には分からない。


その親戚というのも、九重家の方の親戚なので、俺にはどんな人なのかすら分からない。俺のできることと言ったら、ここで まひろさんと一緒にいることくらい。俺は酒が飲めないので、一緒に飲むことはできないけれど、酔いつぶれた まひろさんを連れ帰ることくらいは出来るだろう。


そう考えると、酔いつぶれること前提で、俺に声をかけたのかもしれないと、何となく納得しているのだった。



「ヒーくんは、学校でうまくやってる?」


「ヒーくん」は俺のことか? 初めて呼ばれたんだけど……俺ってまひろさんの中では、「ヒーくん」なのか⁉


「お陰様で偽装リア充ができてます」


「リア充はどうでもいい……元気になって良かった……」



テーブルに伏した状態で顔だけ横にして答える まひろさん。

最早 目は開いてないので、起きているのか、寝ぼけているのか。ちゃんと答えているのか、寝言なのか……お酒は人を変える。日ごろ「鬼」としか思えない まひろさんは、酒を飲むと「乙女」になる。どちらが本性なのだろうか。



「あんな方法しか思いつかなくてごめんね……」


「どういうことですか?」


「……」



寝たな。

「あんな方法」ってなんだろう? もしかして、特訓の事だろうか。実は、五股男の話は嘘で、俺を元気づけるためにやったってこと⁉ そう言えば、彼氏の話なんて聞いたことがない まひろさんが五股の男に誑かされるのも不自然だと思っていた。



「ヒーくん……好き」



寝言……だよな。

どういうこと⁉ 義理の弟としてってことだよな。家族とはいえ、異性に好きとか言われると意識してしまう。まひろさんとなごみは、今は家族だと思っているけど、元々は赤の他人。両親の結婚で姉弟となった。


……兄弟となったけれど、女兄弟がいなかった俺には中々受け入れることが難しい事柄だった。こんなに綺麗なまひろさんと、可愛いなごみが家族。見ているだけで、接しているだけで、異性として意識してしまうし、好感を持ってしまう人たちなのに、家族。恋愛対象として見てはいけない人たち。そこの落としどころはいまだに付けられていない。だからこそ、高校に入学してから家を出た。



「俺のこと好きな人、手上げてー」



テーブルに突っ伏したまま、まひろさんが手を挙げた。起きてるの?

どっちにしても、もう今日の会はお開きだろう。まひろさんが酔いつぶれているのだから。


俺は、まひろさんの隣に移動して、まひろさんの肩を叩いた。



「まひろさん、起きれますか?まひろさんが好きなヒーくんが来ましたよ?」



どうせ酔っていると思ったし、翌日覚えていないのだから、ちょっと冗談っぽく言ってみた。普段そっけないことが多い まひろさんが好きと言ってくれたのだから、姉弟として言ってくれたとしても嬉しかったから。



「ヒーくん?」



そう言うと、バッと上半身を起こして、横に座った俺に抱きついてきた。



「ちょっ!」



完全に首に抱き着かれてしまった。酒の匂いと女の人の匂いが強くする。ちょっと くらくらする感じ。まひろさんは胸が……その……大きいので、俺の胸に押し当てられて、すごく柔らかいというか……これは、俺も まひろさんを抱きしめ返していいじょうたいなのだろうか。


イメージ的には姉という事もあって大きさ存在なのだけど、こうして抱き着かれると、肩なんて俺より全然狭くて、とても華奢だった。恐る恐る背中に腕を回すと、すっぽりと俺の腕の中に納まってしまう。



「まひろちゃんって呼んで……」


「まひろちゃん」



無意識に俺の右手は、まひろさんの後頭部にきていて、頭をなでていた。

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