2002.7 マウンテン・ブレイカー ③

 サーシャが呼び掛けるとリーザは深いため息を吐き、目を伏せた。サーシャは思わず息を呑む。

 はす向かいのエミリーは忙しなく視線を動かしている。どうにかリーザを匿えないかと思考を巡らせているのかもしれない……サーシャと同じだ。

 しかしリーザを隠す場所などなく、また時間もない。写真を持った賊がこちらに向かってきている。

「分かってると思うけど」

 リーザの声に二人共目を向ける。

「変ことは考えないでね。間違っても、抵抗しようなんてことは」

 低い、迫力のある声だった。

「ですがっ」物怖じせずエミリーが口を開くが、それよりも早くリーザの指がエミリーの口に添えられていた。エミリーは口を噤むしかない。

「リーザ……」

 またもサーシャは彼女の名前を呼ぶが、リーザは自分の口に指を当てる。

「静かにしてなって……。ま、こういうこともあるよ」

 達観したようなリーザの言葉に、サーシャは不思議な憤りを覚える。これでいいのだろうか? このままリーザを攫わせて……本当に?

「大丈夫、心配しないで。おねーさん強いんだから、心が」

 そう言って笑顔を見せるリーザ。

 強がりだ、と思った。

 このまま彼女を行かせてはいけない。サーシャの胸の内から使命感のようなものが湧き上がり、彼女を止めろと叫んでいる。しかしリーザは構わず立ち上がった。

「エリザヴェータ・マイスキー! ここにいますよー」

 そして自ら名乗りを上げた。車両にいる全員の視線が彼女に集まる。もはや隠れることも誤魔化すことも出来ない。賊が彼女たちの席に近づいて来て、リーザと写真を見比べている。

「ミス・マイスキー、協力的な態度感謝いたします。こちらにお越しいただけますか?」

「はいはい」

 賊の指示に従うリーザ。通路に出る際、サーシャの肩に手を置いて、

「じゃあね、短い間だけど楽しかったよ」と呟いた。その瞬間、サーシャは全身から力が抜け落ちて行くのを感じた。

 列車で相席した隣人すら守れないという事実が、無力感となってサーシャを襲う。悔しさで頭がどうにかなりそうだった。唇を噛み、膝の上に置いたこぶしを必死に握り締める。

「ではこちらに……その前に上着を預からせていただきます」

「……別に宝石とか隠し持ってないけど」

「念の為です。ご協力お願いします」

「はいはい」

 大人しく上着を脱ぐリーザ。引き締まった、くっきりした輪郭の肩が露わになる。

 彼女が穢されているような錯覚を覚える。

 しかしリーザを引き留めることは出来ない。そんなことをすれば賊の不興を買い他の乗客を危険にさらすだろう。それはサーシャの本意ではないし、リーザの望むところでもない。

 遠ざかる彼女の姿を眺めることしか出来ないのだ。

「おい、お前たちで最後だ。さっさと宝石を出せ」

 そんなことを迷っているうちに、気付けば、目の前にはずた袋を持った賊が立っている。

 エミリーは感情を押し殺した顔で、荷物から装飾品を出している。サーシャもそれに倣い鞄をまさぐる。クロエは──相変わらず眠ったままだ。

「……なんだそいつ、寝てるのか? 起こせ」

「彼女はいいでしょう? そのままにさせてください。きっと宝石も持っていませんわ」

「関係ない。起こせ」

「起こしてパニックになっても面倒じゃありませんこと? 最後の最後でてこずるのは、そちらにとっても不利益じゃないかしら?」

 一歩も引かないエミリーに、賊は面食らったようで言葉に詰まってしまう。しかし相手は犯罪者集団、すぐに「こいつ……」とエミリーを睨みつけてくる。一触即発の空気。

 大人しく従ったリーザの行動が無駄にする気か? サーシャは気が気ではなかったが、賊もトラブルはご免なのか、意外なことに引き下がってくれた。

「……まあいい。おい」

 代わりに、水晶を持った別の賊が前に出てきた。

 共明反応により宝石を探し出す検知用の宝器だ。クロエの荷物に宝石がないのか調べようというのだろう。

 賊が宝器にマナを流す。

 水晶が光が灯り……エミリーが取り出した装飾品の宝石が発光し、クロエのリュックからも光が漏れる。そして──、


「………………っ!!?」

「きゃっ……なんですの?」

「くっ!」

「おいおいおい……」


 サーシャのバッグの中から光が溢れ出る。


 それは「発光」などというおとなしいものではなく。辺りを、車内を光で満たすほど眩い、光の源泉のようだった。

 エミリーも、賊も、乗客も、車両から出て行こうとしていたリーザも……そしてサーシャ自身さえもが、二つの意味でその輝きに目を奪われた。


「……なんだよこれは。ちっ!」

 水晶を持った賊が毒つく。マナの供給を止めたのだろう、光は収まっていた。……しかし、誰もがその幻影を追い、サーシャたちの方を見つめている。

「おいお前! 何を持ってる! よこせ……」

 ずた袋を持った賊がサーシャを押しのけ、バッグに手を突っ込んでくる。

「ちょ……やめてよ!」

「うるさい!」

 抗議も虚しく、賊はサーシャの手からそれを奪っていった。

 バッグから引き出された手には、簡素な造りの箱が握られていた。平べったい、正方形の木箱だ。上下で開くようにスリットが入っていて、錠も着けてある。

 しかし鍵は掛かっていなかったようで、賊が乱暴な手つきで箱を開けてしまう。

 木箱の中は高価そうなクッションで満たされていて、アクセサリーが一つ納まっていた。

 それは大きなバングルだった。金属部分は平べったく幅広で、外周には六つの宝石がはまっている。くるみほどもありそうな大粒の宝石が、緑がかった濃い青色の輝きを放っている。

 誰もが息を吞んだ。一目見て分かる。そのバングルはとてつもなく高価な物だと。

 賊も、自分が手にしている物の価値を認めると、息を忘れたように硬直していた。

「なっ……なんだ。なんでおまえ、こんな物を持ってる」

 しかし正気を取り戻すと、サーシャとバングルを交互見やりながら、震える声でサーシャを問い詰めてきた。

「何者だ! おまえ、学生じゃないな? こんな物を隠して……どこの組織の者だ!」

「どこも何も、ただの田舎者よ。……別に隠してたわけじゃないし、いいでしょ、もう。ほら返してよ。母の形見なんだから」

「ふざけるな!」サーシャの手を振り払い、賊が叫ぶ。

「これほどの宝石を返せるわけないだろ!」

「……ふざけてるのはどっちよ。他はどうでもいいけど、それだけは渡せないわ。返して」

 箱を掴むサーシャ。引き寄せようとするが、賊も抵抗する。

「離せ!」

「離すのはそっちでしょ?」

 箱を挟んだ綱引きが始まる。

 呆気に取られていたエミリーだったが、流石に止めなければまずいと思ったらしく「サーシャさん落ち着いて」そう声をかけたところで──


「あーもー……返せって言ってんの!!」


 サーシャの叫び声が車内に響いた。

 その瞬間、箱を掴んでいた賊が吹き飛び、扉を突き抜け森の中に消えた。

「……あっ」

 サーシャが周囲に視線を投げる。まさに水を打ったような沈黙。

 発破音と扉が砕けた音の後では、賊も乗客も域を忘れたように黙っている。黙って、サーシャを凝視している。

 それはエミリーも一緒だった。

「サーシャさん、貴方……」しかし彼女の場合は視線の意味が違っていた。

 エミリーは間近でそれを見ていた。

 賊が吹き飛ばされた瞬間、箱の中から漏れる光。指向性を有する衝撃と、賊が吹き飛ぶより前に、争いの原因である箱が砕け散るところを。

 今、サーシャの手には六つの宝石がはまったバングルが握られている。


 賊を吹き飛ばしたのがサーシャの意思であることは明白だった。


 ひゅう、とどこかで感嘆する口笛。

 リーザだ。彼女は車両の前方から出るところだったが、サーシャが賊を吹き飛ばしたのを見て立ち止まり、興味深そうにサーシャを眺めている。

 口笛が合図だとでも言わんばかりに、車内の時間が動き出す。

「このガキ!!」

「……お嬢さん、暴力はいけませんね。──おい」

 リーダー格の指示で数人の賊がサーシャに近づく。その声には今までとは比べ物にならないほどの威圧感があり、車内や……列車の外にいる賊たちも、仲間が吹き飛ばされたことで殺気立っている。皆、小銃の切っ先をサーシャに向けている

「あっ………………と」

 サーシャの頬を冷たい汗が伝う。

バングルを取り返すはずみとはいえ賊を吹き飛ばしたのだ。何を言おうと誤魔化せる雰囲気ではない。最早、暴力以外、彼女が助かる道は残されていないように思えた。

つばを飲み込み、今後の展開を覚悟するサーシャ。

 車両の前方に、扉の脇に立ったままこちらを見ているリーザの姿が映った。

 彼女の覚悟を、自分が台無しにしてしまった。申し訳なさでいっぱいになり、たまらず視線を逸らす。その時──視界の端で、リーザが笑った……気がした。


「やっぱやめるわ」


 賊達の銃が、一斉にサーシャとは反対の方に向く。

 その先に居たのは……リーザだ。彼女は状況にそぐわない能天気な声で、非現実的なことを宣っている。

「うん、やめやめ。投降するのやーめた」

 繰り返す。やはり非現実的だ。これほどの敵に囲まれているにも関わらず反抗するなど、正気ではない。先ほどまで状況を冷静に見、争いに消極的だった者の言葉とは、とても思えなかった。

「何を……」今更、と言いたいのだろう。近くにいた賊も困惑している。

「じゃ、今から君らぶちのめすから。覚悟してね」

 にこやかな表情で殺伐とした言葉を吐くリーザ。

 直近の賊に「ほら、腹に力入れて」と指さししたかと思うと……半身に構え、

「は?な……がぁっ!!」

 どどぉん、というおよそ人体同士がぶつかったとは思えない音が響き、賊は真っすぐに蹴り飛ばされていた。

 サーシャに吹き飛ばされた賊よろしく、リーザに蹴り飛ばされた者もまた、森の中へと吸い込まれるように消えていく。

 再び静寂に包まれる車内。サーシャやエミリーだけでなく、賊も、乗客も、一様にリーザに釘付けになっている。当の本人はというと、大胆に晒した脚を曲げ伸ばしし、筋肉の塩梅を確かめていた。

「……正気ですか? マイスキー」リーダー格が呻く。流石に困惑しているのか、その声からは焦りが滲み出ている。

「ああ」足回りの関節をほぐしていたリーザが顔を上げる。

「正気だよ。私はアンタらに抵抗する。……ケガしたくなかったら、さっさと帰れば?」

 リーダー格が周囲を窺う。賊達の混乱はリーダー格以上で、皆浮足立ち、指示を待っているように見えた。

 いや、これは……怖がっている?

 たった一人の少女に、何故?

「サーシャさん、頭を引っ込めた方がよろしいですわ」

 身を乗り出していたサーシャを、エミリーが引っ張る。しかし彼女の方こそ頭を突き出し、一部始終を見逃すまいと目を見開いている。高揚しているのか、頬が赤い。

「エリザヴェータの闘いが見られるなんて、なんて幸運なんでしょう! 賊に感謝ですわね」

 サーシャは「さっきと言ってることが全然ちがう」と突っ込みたかったが、それよりも気になることがあった。

「どういうこと? リーザに何かあるの?」

 呆れたようにサーシャを振り返るエミリー。信じられないとでも言いたそうにぱくぱくと口が開閉するが、出た言葉はたった一言。

「見てれば分かりますわ」だけだった。

 サーシャが知らないだけで、リーザは多方面で有名なのだろうことは察しがつく。エミリーのようなファンがいたり、誘拐されるリストに名前があることからも、それは明らかだ。

 しかしそれが何なのか知らされないというのは、最高に居心地が悪い。田舎者特有の仲間外れ間を味わい、サーシャはフラストレーションが溜まっていくのを感じた。

 けれどそれを抗議する状況でもない。サーシャは弁え、リーザ達に視線を戻す。

「……エリザヴェータ・マイスキー、考え直してはいただけませんか? 今ならまだ、話は穏便に収まる」

 言いながら、リーダー格が部下に目配せする。車内の賊が銃を構え直し、車外の賊にも動きがある。この車両の周りに集まっているようだ。

「穏便?」

 リーザが踏み出すと、ガンッと固い音がした。


「目が悪いの? 今の状況のどこが穏便なのかな?」


 ガンッ──もう一歩、なんだか変な匂いがする。


「すでに状況は変わってる。……もうね、始まってるのよ。戦闘はさ」


 ガンッ──もう一歩、リーザの周りの空気が揺らめいている。


「がたがた言ってないでかかってきなよ」


 ガンッ──立ち止まるリーザ。


 そこでようやく、サーシャは気づく。

 リーザの足もとに変化が起きていた。

 彼女が履いたブーツから煙が上がっている。余程の熱を帯びているのだろう、厚みのある靴底の樹脂は溶け、通路に点々と流れ落ちている。しかしリーザの海抜が下がることはない。

 樹脂が流れ落ちて姿を現したのは──鋼鉄のブーツ。

 そして靴底から漏れる光……色は違うが、サーシャのバングルから発せられたものと、同質の光だ。リーザは鋼鉄の靴底に宝石をはめ込み、樹脂で塗り固め隠していたのだ。

 予想もしない隠し場所に、賊達の視線が引き寄せられる。

「何呆けてんの?」

 呆れたようにリーザが呟くと、我に返ったリーザー格の賊が「撃っ──」

「遅いよ」言い終わる前に、ガンッとリーザが床を踏みつける。

 その途端、彼女の足もとから何本もの結晶の線が伸び、物凄い速さで床を這っていったかと思うと、あっという間に賊の足もとに達し……床から結晶の柱が飛び出した。

 小銃を構えていた賊は皆、結晶の柱に弾き飛ばされてしまう。

「……すごい。これほどの質量、速度、硬度、操作性の増晶現象は初めて見ましたわ」

 隣のエミリーが興奮気味に呟く。

 増晶現象──宝石にマナを注入することで発現する現象の一つ。

 宝石の体積が文字通り増える。もちろん宝石自体が膨らむわけではなく、宝石の輪郭──境界面にぽこぽこ結晶が生成されるだけで、時間経過と共に霧散してしまう。

 生成される結晶の大きさや固さは注入したマナの量により異なり、形もある程度コントロール出来る。……が、普通は宝石の周囲をふた回りほど覆う程度で、リーザがやって見せたような……床を這わせたうえで、離れた場所に人を弾き飛ばすほどの柱を出現させることは、戦場で活躍する魔女でも難しい。いわば、神業だ。

 リーザには相当の魔法の才能があることが窺える。

「マイスキー!」

 弾き飛ばされた部下たちを振り返るリーダー格。すぐに向き直り、腰のホルスターに手をかけるが……既にリーザは距離を詰めていた。

 ショートパンツから伸びた脚が、真っすぐにリーダー格の胸に突き刺さっている。

 白い肌が、筋肉にあわせて隆起した。

「がっ!」リーダー格の口から、無理やり押し出された空気が漏れる。彼女はそのまま、車両後部の扉まで吹き飛ばされた。

 尋常ではない脚力だ。間違いなくマナによる身体強化が入っている。

 すぐ近くで倒れているリーダー格の、防弾チョッキにくっきりと足跡が残っているのを見て、リーザに視線を戻す。

 なんという体幹だろう。彼女は見せびらかすように、己の長い脚を伸ばしたまま立っている。重量があるであろう、鉄製のブーツを履いたまま。

 そしてサーシャは見た。ブーツの底面には、鮮やかなルビー……いやあれはルビーではない。リーザの髪色にも似た、赤みのあるオレンジだ。

 オレンジのサファイアが輝いている。

 サーシャの視線に気づいたリーザが、脚を戻し近づいて来る。周りの、乗客の反応などお構いなしに、足取りは軽い。そしてサーシャの傍に立つと、笑顔でこう言った。


「外のやつらも片づけるから、手伝ってくれる?」


 ピクニックに行くからサンドイッチを用意して。……とでも言っているような、それは気軽な口調だった。

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