2002.7 マウンテン・ブレイカー ②
「協力に感謝します。再三通告しますが、私たちに乗客である皆さんを傷つける意思はありません。……皆さんが血迷わなければ、ですが」
賊のくぐもった声が車内に響く。
マスクとフードで表情は分からないが、その眼光は鋭く、微塵の油断も感じさせない。
話し方も、立ち姿も、余裕に満ちている。相当場慣れしているようだった。
「……軍人みたいにきびきびしてる」
賊から視線を外し、対面のリーザに小声で話しかける。
彼女からだと死角になるし、観察するには振り返らなければいけないが、彼女は視線を落としたまま答えてみせた。
「そうだね、訓練された歩き方だ。足音で分かるよ……小銃とか、持ってるんじゃない?」
見えないはずなのにそこまで仔細に分かるものなのか。やはり彼女は、モデルという肩書きを抜きにしてもただものではない。
「まあ手慣れてるって言っても、山賊とかでしょ。組織的なやつ。傷つけるつもりはないって言ってるんだから、渡せるものは渡しちゃった方がいいかもね」
「それは……素直には頷けない提案ですわね。賊の蛮行に大人しく従うなんて、私、受け入れられません。ピーターソン家のプライドが許しませんわ」
エミリーに噛みつかれ、悠然と構えていたリーザが怪訝な顔をする。
「勇敢なのは素敵だけど、身の安全には代えられないでしょ?」
「それはそうですが、マイスキー……さんっは悔しくないんですの? 相手は犯罪組織でしょう?」
「プライドの問題じゃないよ。理性的に考えて、集団的暴力に個人が反抗することがどれだけ危険か、わかるでしょう?」
「……ずいぶん及び腰なのね。もっと気高い方かと思っていました」
「なんとでも。期待に応えられなくて悪いんだけど……くれぐれも早まったことはしないでね、お嬢さん」
語尾を強調してリーザが言うと、途端にエミリーの顔が険しくなった。
さっきまでの優雅さはどこへやら、「お嬢さん」と呼ばれることがよほど癇に障ったのか、それこそ「お嬢様」がする表情じゃない。
車内の一角が剣呑な空気に包まれる。
すごい、トレインジャックされるだけでも最悪なのに、これ以上状況が悪くなることってあるんだ。
サーシャはいっそ感心してしまう。……が、喧嘩が始まりそうなら止めなければいけない。賊に目をつけられたら厄介だ。
「私語は慎むように!」
そう思っていた矢先、賊の大きな声が響いた。
賊の意識が自分たちの方に向いていることを察し、三人とも一様に顔を伏せる。
「……くれぐれも、我々を刺激しないでいただきたい」
小銃をがちゃがちゃ鳴らしながら近づいた賊は、あくまで丁寧な口調で、しかし上から押し付けるような声音でそう言った。
誰も反論する者はいない。しかし彼女らの心情は決して従順というわけでなく、伏せていてもその顔は不満に満ちているだろうということが分かった。特にエミリーは顕著で、膝の上に置かれた拳が力強く握られているのをサーシャは見た。
頼むから大人しくしていてくれ──サーシャの首筋に冷や汗が流れる。
祈った甲斐もあって(心配は杞憂だったようで)エミリーは何もせず、言わず、大人しく席に腰を落としていた。気位の高さと同じくらい理性的でもあるようだ。
しばらく気まずい時間が流れる。やがて更に数人の賊が車内に乗り込んできた。二人は武器を持ってはいなかったが、片方はサンタめいたずた袋を、もう一人はアイスのコーンに大きな水晶が付いた歪な宝器を持っている。
嫌な予感がした。
「只今より皆さんがお持ちの宝器、宝石を拝借します」
賊の一人がそう言った瞬間、車内がざわついた。
サーシャも思わず息を呑む。リーザもエミリーも表には出さないが、内なる憤りが増していることはまず間違いない。クロエはまだ寝ている。
騒然とする乗客たち、中にはあからさまに声を上げる者もいる。当然だ、サーシャたちにとって宝器・宝石は、それほど大切な物なのだから。生活を送るうえで絶対に必要な物。鏡や化粧品や生理用品よりも優先して携行していなければならない。女性にとって宝器や宝石は、それほど、なくてはならない物だ。奪われることを善しとする人間はいない。
賊も抵抗されることは予測していたようで、乗客たちの非難の声には全く動じていない。
その代わり、銃声が人々の声を押しのけた。
賊の一人が小銃を上に向けている。銃口の先には、小さな穴が空いた、天井があった。発破音の余韻だけが響く車内で、賊が再び口を開く。
「……お静かに。安全の為です、ご協力お願いします」
あくまで淡々と喋るその声に、誰も反抗しない。その様子を確認した賊は、袋を持った者と水晶を持った者に合図する。二人はサーシャたちがいる席とは反対側の、車両の前の方へと向かった。
「ご理解いただけたようで嬉しく思います。では、袋を持った者に宝器と宝石をお預け下さい」
賊は前方の乗客から順に、袋を開き宝器等を入れるように促していく。
しかし、乗客が大人しく従うだろうか? 宝器はともかく、宝石ぐらいなら服の内に隠すことが出来る。
「簡単に渡すわけありませんのに……ずいぶん間抜けですのね。やはり賊ですわ」
サーシャの疑問をエミリーが言葉にしてくれた。
そうだね、と同意する前にリーザが反論する。
「そうかな? これだけ段取りよくジャックする集団なら、効率よく宝石を収集する手段も心得てるはずだ。検知用の宝器でも持ってるんじゃない?」
その言葉にサーシャははっとする。賊の注意を引くことも厭わず、車両の前方を凝視していた。二人組の賊の片方が持った、水晶の宝器が輝いている。それに呼応するようにして、周囲の乗客が身に着けた髪留めやブローチや指輪も光を放っていた。
あの水晶は、リーザが言った通り──水晶にマナを流すことで周囲の宝石に発光現象を伝播させる──検知用の宝器だったのだ。
「リーザの言うとおりみたい。賊の一人が持ってる宝器につられて、他の宝石や宝器が光ってるわ」
興奮気味にそう報告すると、エミリーが舌打ちする音が聞こえた。
このお嬢様は、時間が経つにつれどんどんルックスからかけ離れた言動や行動が目立つ。それともこちらが本性だろうか?
「では、どこに隠そうと無駄、ということでしょうね」投げやりに呟くエミリー。
「まあ、そうだね。鉄の箱にでも入れないと難しいんじゃないかな? どうしても渡したくないっていうなら、隙を見て車外に投げるのがいいと思う。体内は……検知器の出力によっては光で透けちゃうから、丸呑みはオススメしないね」
「お詳しいのね?」
「……まあ、耳年増でね」
「やめて!」
車内に叫び声が響き渡り、全員の意識がそちらに集まる。
見ると、一人の──サーシャたちと同じ年頃の少女が、賊に宝石を渡すまいと抵抗している。
「お母さんたちの形見なの! これだけは許して、お願い!」
「お嬢さん、お借りするだけですよ。おとなしく渡してください」
「嘘! 強盗に宝石を渡して返って来るわけないじゃない!」
頑として要求を呑もうとしない少女を前に、検知器を持った賊が唸る。
「お嬢さん」そこに先ほどから車内を統制していた──リーダー格らしき賊が現れた。徐に、腰に下げていた拳銃を外し、少女に向ける。
「ひっ」
「申し訳ありませんが今はランチタイムじゃない。お喋りするほど暇ではないのです。迅速に、ご納得いただきたい。お母様方の形見、でしたか? お嬢さんの命の代わりになったと思えば、お母様方も納得されるでしょう。むしろ誇らしく思っているかもしれない」
銃口が少女の額の、ちょうど両目の中間辺りに突きつけられている。少女はその死神に目を奪われ、何の反論もせずがちがちと歯を鳴らしていた。
震える手で、大粒のアイオライトが嵌まったブローチを、ずた袋の中に入れる。
「ご協力感謝します」
皮肉か。覆面をしているから定かではないが、きっとあの賊は微笑んでいるのだろうとサーシャは思った。
おとなしく座っていたエミリーやリーザですら、首を巡らしていその様子を見ていた。
が、賊がこちらを振り向き慌てて座り直す。
「……最低ね」
「ごもっとも」
場の空気が一層悪くなる。しかし少女とのやり取りを目の当たりにしたからか、他の乗客は比較的滑らかに、賊へ宝石や宝器を差し出していった。
「余計な時間を盗られてしまいましたので、こちらの予定を前倒しさせていただきます」
まだ何かあるのか、サーシャには乗客たちの意思が伝わるようだった。そんな空気を気にする風もなく、リーダー格の賊は言葉を続ける。
「今からお名前を呼ばれた方は、立ち上がって、車外へ出ていただきたい。ご安心ください、危険はありません」
一拍の沈黙。
サーシャも賊の言葉を理解するのに時間を要した。外へ出される……ということは、早くも解放されるということだろうか? しかし次の瞬間、サーシャは自分がいかに自分の考えが見当違いだったのかを思い知らされることになる。
「ああ、拉致だね」リーザの呟きを耳にして肌が粟立った。
言葉の意図を理解した乗客たちが、示し合わせたようにどよめきだす。
静寂を保っていた車内は一瞬にして騒然となった。
「……最悪ですわ。まさか学校への移動日に人攫いに遭うなんて」
エミリーが大きなため息を吐きながら頭を抱える。白いこめかみが青くなっていた。
「大丈夫?」
「ありがとうございます。大丈夫よ……ただ、勘違いして欲しくないんですけれど、私はこの状況が恐ろしくて参ってしまったわけじゃないんです。こんな卑劣な手段で脅かされている、今の状況が悔しくて、気分が悪いんですの」
言葉通り、確かにエミリーの顔は蒼白になっていたが、その眼は高温の炎のように青く燃えている。
「うん、分かる。嫌だよね、銃で脅されるって」
「貴方とは気が合いそうですわね。入校後も仲良く出来そうです。……あちらの芸能人とは違って」
エミリーの、氷の結晶を砕いたような視線がリーザに向けられる。
向けられた方は気にするふうもなく、目を閉じてやり過ごしていた。サーシャは苦笑いするしかない。
どうしてこうなってしまったのか……最初は和気藹々とした雰囲気で話していたのに、今では繰り出される言葉一つ一つが刃のようだ。
それもこれも状況が悪い、トレインジャックを仕掛けて来た賊が悪い。アイツらさえいなければ今頃はもっと、そう、学校での生活とか授業とか進路とかの話で盛り上がっていたはずなのだ。こんな剣呑さは、望んでいない。
本当に……イライラする。
「──煙草吸いたい」
「何かおっしゃいまして? サーシャさん」
「ううん、なんでもない」サーシャは笑って誤魔化す。
危ない危ない、感情が漏れていたみたいだ。
サーシャは溜息を吐いた。ヤニ切れで苛つくなんて、我ながらヤバイなと反省する。この状況が思った以上にストレスとなっているからだが、しかしもうしばらく我慢しなければならない。賊を下手に刺激してはいけないのだ。
「ポリーナ・ナタレンコ──イリーナ・カーレフ──」
そうこうしているうちに賊が名前を呼んでいく。が、誰も反応しない。
それはそうだ、「貴方を誘拐する」と言われて、素直に返事をする者はいない。自分が呼ばれても知らないふりを決め込むだろう。……しかし賊は、顔写真と思しき物を手にして車内を見回している。だんまりは意味がないようだった。
サーシャは溜息を吐きながらこんな時間は早く過ぎてくれと願った。自分みたいな田舎娘には拉致・誘拐など縁遠い話だ。標的になった者には悪いが、関係のない者は早く解放して欲しい。ああ、でも自分が持っている宝石を奪われるのは嫌だ。なんとかやり過ごせないだろうか……。
サーシャがそんなことを考えている時、聞き覚えのある名前が呼ばれた。
「マイスキー」
ぴしり、と周囲の空気が固まり、時間も一瞬停止した。
「いらっしゃいませんか? エリザヴェータ・マイスキー!」
ぎ、ぎ、ぎ、とブリキ細工のように首を回し、その人物を見る。
エリザベータ・マイスキー。赤毛の少女は、長いまつげを何度かしばたたかせた後、宝石のような瞳を見開いていた。
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