氷変化菊
意外にも天使はすんなりといいですよと言ってくれたので、弌夏は家に戻って母親に天使に空に連れて行ってもらってくると言った。
あらそうなの、じゃあいってらっしゃい。
母親がおっとりとした口調で言って、手を振って弌夏と天使を見送った時。
お願いね。
こしょり、母親は天使の耳元でささやいた。
ひらり、天使は気だるげに手を振って弌夏の後を追い玄関を出て行った。
「天使って翼がないんだ」
「ええ。試験に合格してないですから」
「そもそも試験を受けてないんじゃない?」
「よくわかりましたね。ええ。面倒で一回も受けていません。翼がなくても天使の輪があれば自動的に飛んでくれますから」
「本当に面倒くさがり屋なんだ」
「そうなんですよ」
「ふ~ん」
「だから今のこの状況ってすごくレアなんですよ」
「ふ~ん」
「ねえ。弌夏さん」
「なに?」
「もしも私がこのまま弌夏さんを天国に連れ去ったら、どうします?」
「どうするもなにも、だって他の天使が地上に送ってくれるんでしょ」
「私以外に天使がいないと想像してください」
「めんどい」
「そして天国に連れて行ったら私はもうあなたを地上に帰しません」
「へ~」
「その時、あなたが一番会いたいと頭に浮かんだ人はだれですか?ああ、言わなくても結構ですよ。思い浮かべるだけでいいんです」
「………ねえ」
「はい」
「花火、今、出してくれない?」
「冷たい花火ですか?」
「うん」
「音が大きい花火ですか?」
「うん」
「形も大きい花火ですか?」
「うん」
「私はどうしていましょうか?」
「目を、つむってて」
「はい」
弌夏をお姫様抱っこして飛んでいた天使が雲の中から出て、指をパチンと小さく鳴らせば、ドンドンと身体の内側まで震えるくらいの大音量の花火が果てしなく青く静かな空を大きく彩った。
赤、黄、黒、白、緑、紫、橙。
星が尾を引いて放射状に飛び散ることで夜空に描き出される打ち上げ花火、菊の花の中でも、花びらの先の色が変化する変化菊。
天使は目をつむったまま何度も何度も指を軽快に鳴らした。
その度に天使と弌夏の姿をかき消すくらいに巨大な変化菊が開いて、流星みたいに四方八方へと飛んで行く。
花火は弌夏に当たるが、冷たさをまるで感じなかった。
身体がただただ熱かった。
弌夏は声を殺して泣いた。
小学生と中学生という、埋まりようのない年齢差。
子どもと子どもだけれど、決して同じ子どもではないのだ。
弌夏にとっては大人に近い存在。
しかも、相手には恋人がいる。
伝えられるわけがない。
だから塗りつぶさなければいけないのだ。
消せないのだから、違う色で何度も何度も塗りつぶし続けたのに。
こんなにもあっけなくはがれてしまう。
くるしい、いたい、あつい。
どうにかしたい。
でも、だれにも言えない、言いたくない。
からかわれたとしても。
否定されてたとしても。
肯定されたとしても。
自分が、自分の気持ちを否定しそうで。
笑って、否定しそうで。
(声を殺す必要なんてないのに。ばかですね。なんのためにこんな上空で、こんな大音量を出していると思っているんですか)
天使は薄目で弌夏を盗み見た。
弌夏は涙を流しながら、一心に花火を見ていた。
どうして身体に刻みつけるように見ているのか。
天使は不意に花火を止めたくなったが、弌夏が止めてと言うまではと思い留まり、ただ指を鳴らし、花火を創り続けた。
指先に痛みを感じながら。
痛覚は遮断しているはずなのに。
(2022.6.2)
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