黒の濃淡




 もう帰りましょうか。

 家から出て十分も経たないのに天使は弌夏に背を向けた。

 天使が学校も休みだからどこかきれいな場所に連れて行けと呪いをかけるようにぶつぶつとしつこく言ってきた(弌夏の母の後押しもあったが)結果にもかかわらず、だ。

 はいはいさようならそのまま天空にお帰りください。

 冷たく言った弌夏も天使に背を向けて歩き出そうとして。

 止めた。

 くるりと回転して、だらだら歩く天使を追い抜き家へと一直線に向かった。

 が。

 天使に手首を掴まれて急停止させられた。

 弌夏は天使を引きずってでもこの場を離れようとしたが、さすがは天使なのか、全然動かなかった。

 弌夏は諦めて天使へと、二人の方へと身体を向けた。


 逃げたわけではない。

 家の用事を思い出しただけなのだ。


鈴村すずむら、さんだったよな。こんにちわ」

「私たち、あなたが体験学習で行った中学校の美術部員だったんだけど、覚えてる?制服を着てないとわからないわよね?」


 どちらともに物腰がやわらかく短髪の少年と少女は中学三年生の美術部員で、弌夏が先日、小学校の体験学習で中学校に行った時に美術部を案内してくれた生徒でもあった。


「こんにちわ。あの。覚えています。田中吉斗たなかよしとさんと、川田かわだかのんさんです、よね。体験学習の時はお世話になりました」


 弌夏は二人に向かって小さくお辞儀をした。


「名前も覚えててくれたんだ。嬉しい」

「そりゃあいやでも覚えるよな。おまえの作品、黒筆だけで描いた廃墟の建物ばっかだし。怖かったよな。ごめんな」

「ふんだんに想像が広がる廃墟を黒の濃淡だけで表現したいのよ」

「はいはい。がんばれー」

「まったく。ねえ、鈴村さん。これから画材屋に行くんだけど一緒に行かない?魔法のお店みたいで面白いよ。そっちの子もよければ」

「おう、行こうぜ」


 きらきらと輝く笑顔を向けられた弌夏はすみませんと謝った。


「行きたいんですけど。家の用事を思い出しちゃって、これから帰るところなんです」

「そうなんだ。ざんねん。また機会があったら行こうね」

「じゃあな、気をつけて帰れよ」

「はい。さようなら」


 弌夏は小さく手を振りながら、二人が角を曲がって姿が見えなくなるまで見送った。

 黙って三人のやり取りを見ていた天使がふむと一言呟くと、弌夏が天使にお願いがあるんだけどと言った。天使は小さく首を傾げた。

 

「お願いですか?」

「そう。空に連れてってよ」











(2022.6.1)


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