第14話 疫嬢の戦いの果てにⅡ

「あの、アギル様がこれを……と、仰ってどこかへと行かれました」


「あ、ありがとう」


 呟きや囁きでは無く、初めてしっかりとお姉さんの声を聞いた。


 柔らかくて暖かい声。

 不思議とずっと聞いていたくなる声。

 一瞬時が止まった様に感じる声。


「どうしました?」


 どうもしてないと、慌てて取り繕って受け取った袋の中身を確認すると、その中には大量の金貨が入っていた。


「アギル様が『僕は遊んでくるから私に王様を案内するように——』と」


「あいつ、また勝手な事を。いいよ、俺は勝手に見て回るから、お姉さんも好きにして良いですよ」


「困ります! それは困ります! アギル様に怒られます」


 俺の腕にしがみつき、頬を赤らめ、お姉さんは今にも泣き出しそうな表情で、首を左右に振っている。


「分かった、分かったから、皆見てるから、それは止めてくれ」


 ゲート前の一番目立つ所で、男が女を泣かしている光景はよろしくない。

 急いでお姉さんをゲート前の、広場の、隅の方に連れて行き、なんとか気持ちを落ち着かせる様に声を掛ける。


「そうです、お姉さんの名前を聞いて無かったですね!」


「私はラッテ・ロレ-ヌと申します。ラッテちゃんとか呼んでくれると嬉しいですが…… 」


 ラッテちゃんは無理だろ。

 元の世界でも、女性と関わる事は多少はあったけれども、こんな大人の女性と話す事なんて殆どなかった。

 親の世代か、同年代か。普段人見知りをする事が無い俺だけど、さすがにこれだけ胸元を開けて、短い丈のフリルのスカートでこんなに密着されると気まずい。


「分かった。王様だと目立つから、俺の事を案内している間はソウマって呼んでくれ。そして、どんな危険があるかわからないから、俺にはあまり密着するな。分かったな」


「魔を総べる唯一の王。総魔そうま様。素敵です。それと、私はソウマ様から離れません。ソウマ様に危険が及ぶのだったら、私が命をかけて守ります」


 いや、本名なんだけど。

 スゴい解釈だな。

 しかも逆効果だった。


 離れて貰うために危険を促したんだけど、脚を絡めて全身で密着される事になるとは、考えてもいなかった。


「わ、わかったから。これだと案内出来ないからな。分かったから取り合えず腹が減ったから、離れて何か食わせてくれ」


 俺、必死だな。

 自分が女性に対して、こんなに免疫が無いとは思わなかった。


「ごめんなさい。そうですよね、お腹すきましたよね。行きましょ、行きましょう」


 ようやく離れてくれた。

 この世界に来て一番緊張したかもしれない。

 呼称はラテにしよう。

 それから、落ち着いた所で食事を済ませ、パーク内を案内して貰う。


「地下でも、夜があるのか?」


 パーク内を歩いていて、真っ青な空と、真っ白な雲に意識が向く。


「はい、ソウマ様もお疲れだと思いますので、宿を取っておきました」


 天井が明るくて忘れていたが、このパークには二日に一度、夜が訪れて天井の明かりが消されるという事だった。

 ラテが用意してくれたのは、このパークで最高級の宿で数十メートルはある建物の最上階だった。

 そんな物は求めていないという事を伝えると、セキュリティ上問題もあるから我が儘を言わないで欲しいと言われた。


 我が儘。

 最近良く言われるセリフだ。


 最上階の部屋は、全面ガラス張りで、覗き見ると、いつの間にか景色は夜に変わっていた。ネオンが明々と煌めいていて、眠らないパークの活気がここまで伝わって来るようだった。


「って、何してるんだ!」


 俺が外の景色に感動を覚えていると、その傍らで突然ラテが服を脱ぎ出した。


「だって、アギル様から『ソウマ様の夜のお供もしっかりやるように——』と、言われましたから」


「何を言ってるんだ。そんな嫌がるような事するわけ無いだろ」


「ソウマ様は優しいんですね。でも、私は全然嫌じゃ無いですよ」


 そう言うと、ラテは一糸纏わぬ様相で、俺の身体に密着してきた。


 そのまま優しく俺の上着を脱がして行く。

 状態異常で抵抗出来ない。


「止めるんだ」


 身体を動かさない状況で、混乱と焦燥から、不覚にも魔力を迸らせてしまった。


「痛っ。やっぱりアギル様が言っていたのは本当だったんですね」


 魔力の渦がラテを吹き飛ばす。

 何をやってるんだ俺は。


「アギルが何を言ったんだ?」


「ソウマ様は一見して恥ずかしがり屋だけど、実は女が大好きで、痛い事もされるかもしれないよって。でも、ソウマ様だったら、痛くしても良いですよ。でも…… 優しくして下さいね、初めてですから……」


 ラテはベットに押し倒されたような形になり、恥じらいながら布団を握りしめている。

 夜景に照らされて煌めく赤い瞳が潤み、白銀の髪に思わず息を飲んでしまう。


 そして、その声は、俺の心を握りしめる。


「俺、アギル、殺す」


「なんですか? ソウマ様?」


「わかったから、服を着てくれ」


「嫌ですか? 私何か怒らせる様な事をしましたか?」


「違うから、わかったから。お前は悪くないから、とにかく服を着てくれ」


「そういうプレイの方がお好きなんですか?」


「違うから! 俺はこの世界を救いに来たんだ。だから、今はこういう事をしている場合じゃない」


 緊張を誤魔化す様に、矢継ぎ早に言葉を並べる。


「ラテ、考えてくれ。俺が今こうしている間に、多くの仲間の命が失われているんだ。そう聞いている。俺はそいつらを一人でも多く救わなければならないんだ。今日、あの地下通路で俺はその想いがさらに強くなった。だから、わかってくれ」


「いいえ、わかりません!」


 身振り手振りで全力で訴えかける俺の言葉は、強く拒絶された。


 赤い瞳は尚も潤んだままに俺を睨み付ける。


「私の両親は、勇者に殺されました。私の妹は漆黒の空のせいで死んでしまいました。全部、悪魔が持つ“悪魔の石ニアハート”のせいなんです」


 ラテは立ち上がりベットから飛び降りると、俺に詰め寄ってくる。


「私の命なんて要らないんです。ここに来たのも、両親の妹の仇を打ちたくて……国境を越えて勇者を討つ為なんです。でも……分かっているんです。私では、私達では勇者が殺せない事を。だから、それが出来る、唯一の王。ソウマ様のお力になれるのであればなんだってします! ソウマ様の方こそ理解するべきです」


 ラテは俺の胸を叩きながら、涙を流し俺の足元に崩れおちる。

 パークを明るく案内してくれていたラテの中に、こんな想いがあったなんて気付きもしなかった。


 ラテだけでは無い。


 明るく振る舞う、パークにいる多くの人達に、少なからず、同じ様な苦しみがある事を理解した。


「ごめんな——」


 それでも。


 だからこそ。


 こんな形でラテの想いを受け止める事は出来ない。


 俺は精一杯の優しさで、服をかけた。


「ソウマ様?」


「分かったから。明日もパークを案内してくれないか? そして出来たら疫穣の王エシュマに会わせて欲しい。その為に俺はここに来たんだから」


「それだけでは、私の気がすみません」


「どうしてそんなに拘るんだ?」


「おかしいです。だってアギル様がソウマ様は無類の女好きだから、今宵私が抱かれなければ、魔に属する者達の全ての悲願が達成されないと仰ってました」


 ——あぁ。

 そういう事だったんだな。

 分かった、アギル。


 勇者の前にお前を殺す必要があるみたいだな。いや、分かってはいた事だけどな。


 全てを悟と、冷静さを取り戻し、ラテを説得して服を着させた。


 アギルの事を説明して、それが全部嘘だという事を伝え、世界を救うことを約束した。

 ラテは、深く何度も謝罪すると部屋を出る前に『それでもソウマ様が求める時はいつでも抱いて下さい——』と、言い残し。軽く頬に触れると、数秒間俺の瞳を凝視して、その後慌てて部屋を後にした。


 酷く疲れた一日だった。


 ——朝だと思う。


 外の光で目を覚ました俺の、無意識の視線の先には、暖かい食事と、申し訳なく恥ずかしそうに笑うラテの笑顔があった。


「食事が済みましたら、疫穣の王エシュマ様の所にご案内致します。昨夜は私の勘違いでご迷惑をお掛け致しました」


 ラテがエプロン姿で深々と頭を下げる。


 お前は悪くないんだよ。全部あの悪魔が悪いんだと改めて説明する俺に、それでもアギルが悪魔の上位の存在だからと、種族を代表して謝罪をするラテを大人だと関心した。

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