第6話 最強の力II

 ——扉は軽々と開いた。


 その軽さに、さっきのアギルとのやり取りと同じように、形容し難い感情が顔を出す。

 扉の外は円形のホールになっていて、床も壁も全て何かの見た事もない鉱石で出来ている。


「ソウマ、こっちこっち」


 声の方に視線を送ると、外からの光が差し込む中、アギルが手招きをしている。

 そこが外への出口なのだろうか。俺はゆっくりと歩を進めた。

 光のゲートに近づくにつれて、外の様子が少しずつわかってきた。

 光の先はエントランスの様になっていて、その向こうには、この世界の街並みが見える。

 オレンジ色の街灯が夜の、街並みを照らしている。その美しい景色に、目を奪われる事は無い。理由は簡単だ。その景色を忘れさせる程の、圧倒的な数の人達が、声も出さずに静寂を保ったまま、うごめいているからだ。


「アギル、あいつらは何なんだ」


「ごめんね、本当はこっそりと行くはずだったんだけど、王の誕生を皆待ちきれなかったみたい」


 そう言うと、アギルは俺の質問など関係ない様子で、人々の方へ視線を戻し、小さな身体を最大限主張するように大きく両手を開いた。


「はいはぁい、皆さん注目」


 騒つく人々。

 その後。少しの沈黙を待って演説を続ける。


「大変お待たせ致しました。唯一の王の登場です! それではどうぞ!!」


 ——いや、待てよ。


 まったく意味がわからない。


 半身を向けて手を差しのべられた所で、どう答えて良いのかなんて全く分からない。


 そもそもこの状況が分かってない。


「いいから、こっちにおいでよ。早くしないと暴動が起きちゃうよ」


 アギルの小声がエントランスに響く。


 外は今なお、静寂を保っているが、その静寂さが次に起こりうる暴動を物語っているのどろうか。杞憂に終われば良いが、暴動は起こり得るという説得力が、その光景にはある。


 俺は意を決して、光の中に身を投げた。恐る恐るフードを脱いで前を向くと、静寂を切り裂く歓声が音の衝撃波となって降り注いできた。


「さぁ、皆に手でも振ってあげなよ」


 アギルは耳打ちすると、白々しく頭を下げて見せた。もう、なるようにしかならない。


 慣れない手つきで手を降った。


 歓声は激しさを増すばかりだが、満更でもない感情が自分の中にあるのが分かる。


「アギル、この後どうしたら良いんだ」


「はいはぁい、皆さん静粛に、静粛にー。静かにしてね、黙ってよ、煩っさいよ!」


 俺の声が聞こえたのか、聞こえて無いのか、アギルはありとあらゆる言葉で歓声を打ち消し、目前に広がる人の渦を黙らせた。

 その沈黙が次の俺の言動のハードルを上げるから、本当にもうやめて欲しい。


「王の誕生を心待ちにしていた皆さんの為に、本日は特別な催しを用意してまぁす!」


 いやいや、そんな事はまったく聞いていない。何より、何にも聞いてない。


 動揺が怒りへと昇華して行くのを感じるが、聴衆の期待の視線のせいだろうか、今一つ燃えきらない。


「胸の奥から溢れ出る魔力を感じるよね。良いタイミングでイライラしてるみたいだしさ、この状況を打破するためにもさ、試しに空に向かってその溢れ出るモノを、ぶっぱなしちゃいなよ」


 『全ぶっぱだよ、全ぶっぱ——』と、嬉々とした表情で楽しんでいる。


「あ、街に向けたらダメだよ。沢山死んじゃうからね」


『ちょっとごめんね、演出の段取りがちゃんとできてないから、少し打ち合わせするね——』と、言わんばかりに聴衆に向けて身振り手振りをして見せると、アギルは俺に耳打ちでそんな事を言ってきた。


 本当に魔力なんてあるんだろうな——


 空に手を上げて何も起きないなんて、そんな沈黙は耐えられないんだが。


 恐る恐る右の手の平を見つめてみた。

 胸の奥から溢れ出るモノは、確かに身体中を廻っているのが解る。

 手の平に意識を集中すれば、そこに力が集まる感覚がある。

 これを、空に向けて放つ事が出来る事は、感覚で知ってしまった。

 そんな俺の事を、全て見透かしているかのようなアギルの表情かおに腹が立つ。

 この状況—— 今までの事を思い出すと、胸の奥の熱いものが、静かに燃えたぎり全身に溢れ出て来て、抑えの利かなくなった感情を、その感覚を、一切の遠慮、配慮を考えずに、思いのままに右手を空に突き上げた。


 胸の奥の感情は、魔力となって右の手の平から形を成して空へと解き放たれる。


 それでも——


 俺の苛立ち、怒りはこんなモノでは無い。

 世界よ、俺の苛立ちを、怒りを知れ。


 魔力と思われるものが、紫煙となって全身を包んで行くと。紫煙力を増して、先に放たれた魔力の帯を追い、数十倍に膨れ上がり速度を増して上昇して行く。


 轟音が大気を震わせる。


 膨れ上がった魔力の帯は、抑えきれない俺の感情のように、端の方から順に枝分かれして、尚も上昇して行く。


 凄まじい衝撃が全身を襲う。

 人々が魔力の先を見つめる。


 そうだ。

 これが俺の怒りだ。


 アギルに振り回されて、理由わけもわからずに、この世界に投げ出された、これが俺の世界の始まりだ。


「まだ、止めちゃだめだよ」


 言われるまでも無い。

 そう思いながら、空からアギルに視線を向けて、再び空へと視線を移す。


 アギルはゴーグルを着けていた。


 空へと視線を移した直後、何の悪戯か、アギルが突然フードを頭に被せてきた。


 左手でアギルを払おうと視線を下げる。

 その間も魔力の放出は緩めない。


 アギルを払い除けると、視線を再び魔力の先端に向ける。


 上昇する魔力の先端が夜空に衝突する。

 夜空に衝突した魔力は暗闇を切り裂いた。


 暗闇と見間違えていたそれは、あの黒い粒だった。


 不協和音が鳴り響き空が歪んで見える。


 黒い粒の切れ間から、金色の光が差し込んでくる。


「朝だ!」

「我々の夜明けだ」

「悪夢から解放される」


 広場に集まった人々が、思い思いに声を上げる。黒い粒はたちまちに、無数の魔力の枝に貫かれ、切り裂かれ、信じられない程青い、蒼い、藍い空が現れた。


 表現が出来ない、空は色々な“あお”が混ざり合い、その空に視線が釘付けになる。


 俺だけでは無い。


 その場に居た全ての人々が、それぞれにその感情を溢れさせていた。


 その空を見て泣き崩れる者。雄叫びを上げる者。声にならずに両手で口を塞ぐ者。


 この世界に来て、分からない事だらけの俺だけど、今——


 この場に居る全員と、あの空を見て気持ちが分かり合えている。


 それだけは、理解できる。


「今だよ」


 訂正しよう。


 この小さい悪魔だけは理解出来ない。

 

 アギルは俺の手を引くと、エントランスから飛び降りた。当然に、手を引かれて俺も一緒に落下する。


 咄嗟に魔力は止める事が出来たので、大惨事にはならかったが、何だか大切なモノをそこに置き忘れて来たような喪失感が襲う。


 魔力の放出を止めても、大樹はその存在感を世界に示している。


 夜空を薄く引き伸ばしたガラスのように空が剥がれ落ちて行く。


 人々はその様子から目を離す事が出来ない。


 当然俺もそこから目を離す事が出来ない。


 はっきり言って名残惜しい。


 しかし、地面は俺の意思とは関係なく足元に現れる。


 身体能力も向上している様で、普通に即死してもおかしくは無い高さからの落下にも関わらず。自然に、意識する事もなく、着地する事が出来た。


「走るよ」


 地面も突然現れるし、アギルも待ってはくれない。本当にどいつもこいつも自分勝手だ。


 先程までの苛立ちは、魔力の大樹となってあそこに置いてきたように、なんだか急に可笑しくなってきた。


「何笑ってるの? 急がないと皆にバレるよ。バレたらラーメン食べられないよ」


 なんだよ、全部ラーメンの為にやらせた事かよ。この悪魔だけは、永遠に理解出来ない気がする。


 空に見とれる人々の間を、アギルの細腕に引かれ走り抜けた。

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