第五話 勇者アカリの転生

空中庭園アルキュミラ——


 その場所で、私はソウマを待っていた。

 忙しい私を誘っておいて、約束の時間になっても現れない。

 街の整備を任された機械達が、不器用ながらに、落葉と真摯に向き合っている。

 誰がデザインしたのか、流線型の奇麗なフォルムで、不器用に掃除をする様子を眺めていると、可笑しくて怒りの感情も澄んだ空気に溶け込んで行く。


空は徐々に明るみ——


 水平に視線を飛ばした先にある佳景は、世界の終末なんて忘れさせてくれる。

 視線を上げると、そこには忌々しい星が、存在感を放っているけれど、それでも星は星。

 やっぱり綺麗だと思ってしまう。


 視線をふり下げて機械達に戻す。


 刹那——


 無数の黒い粒が私を取り囲む。

 虫の様にも見える黒い粒を払おうと腕を振ると、腕と粒の周囲はノイズでも入る様に光を屈折させて腕が歪んで見える。

 黒い粒が、私を呑み込もうとする中で、一筋の光の粒が、私と黒い粒を分け隔てる様に通り過ぎる。

 光の筋は消える事なく、周囲の黒い粒に伝播して光を放ち始める。


 私の記憶はそこで途切れた。


 次に目を開けると、そこは暖かいレンガの様な石造りの一室だった。

 石の周りには苔が生していて、所々小さくて可愛い花が咲いているのがわかる。

 室内は澄みきった光に満ちていて、私は一段高くなった石の上に横たわっている。


 というかですね——


 服が無い。

 

 暖かくて気持ちいいけど、服がない。


 うら若き乙女としては、何よりもその事が死活問題だ。誰か男の人がここに来たら軽く死ねる。とにかく何か着なきゃ。


 必死に部屋の中を見渡す。


 木造の大きなテーブルの上に、私の為だけに用意されたような服が一式丁寧に畳まれて置かれている。


 それには違和感しか無いけれども。

 それでも、背に腹は変えられない。

 兎にも角にもこれを着なくては。


 急いで服を着て、漸く一息つける。


 それを待っていた様に扉の向こうから、木の床をゆっくり鳴らす音が近づいて来た。

 慌てて私は、最初に横たわっていた石の固まりの奥に隠れた。

 木目の大きな扉が、音も立てずにゆっくりと開くと、怖いけど覗かずにはいられなくなる。


 いつもそうだ。

 好奇心が恐怖をねじ伏せてしまう。


 そのせいで、いつも苦い思いが残ってしまうのだけれど、とにかく落ち着いて考えなきゃ。


 それにしてもだけど、結局ソウマは来なかったんだね。


 へぇ、そう。今度あったら絶対に許さないんだから。


「おや、アカリはどこへ行ったんじゃ?」


 扉から入って来たのは、肩まで伸びているであろう白髪が、全て重力に逆らって上に逆立つご老人。

 まるで箒をひっくり返したような髪型のおじいさんだった。

 しわくちゃな顔が、髭と長い眉毛に覆われている。

 眉毛のせいで、完全に目が隠れて表情が見えない。

 原型がわからないような風貌ではあるけれど、背は低く杖をついている様子から、かなりのおじいちゃんだという事が分かる。

 私は、そっと立ち上がり石の固まりをおじいちゃんとの間に置いて姿を表す。


「こんにちはおじいちゃん。ここはどこ?」


「おやおや、そんな所におったんか」


 そう言うとおじいちゃんは、一飛びで石の固まりの上に飛び乗った。

 咄嗟の事に思わず後方に倒れ込む私を見下ろして、おじいちゃんは笑っている。


「良くこんな所に来てくれた。アカリ、君を歓迎しよう」


「どうして、私の名前を知っているの?」


「君をここに連れて来たのは儂じゃからな、君の事なら良く知っているんじゃよ」


 長い眉毛を撫でながら、おじいちゃんは話しを続ける。


「ワシは、アルティウスというこの塔の守人じゃ。アカリにはこの世界を救って欲しくてワシが呼んだんじゃ」


「それはそれはアルティウスさん。どうもご丁寧にありがとうございます」


 あれ、どうして私は畏まっているんだ?

 何を仰っているのかまるで理解出来ないぞ?


「この世界は魔に属する者と、そうでは無い者達が、長きに渡って争い続けているんじゃが。それを終わらせないと沢山の命が失われるんじゃ。だからワシがそれを終わらせる為に、アカリをここに呼んだんじゃ」


 いやいやいやいやいやいやいや。

 その様な窮状を話されても私には、関係無くないですか?


「もっと解りやすく教えて頂けますか? あの…… アルティウスさん?」


「アルと呼んでくれて構わんよ」


『ほっほっほ——』じゃあ、無いんですよ。おじいさま?

 そんな呼び方現状どうでもよろしく無いですか?


「じゃったら、簡潔に説明しようかの。アカリ、おまえには魔に属する唯一の王を殺して欲しいんじゃ」


 殺す? 殺すって、殺す?

 いやいやいやいやいや、私そんなの出来ないよ? 出来やしないよ?


「殺す? 殺すって、私そんな事出来ないよ」


 そうだよ出来ないんだよ。

 出来るわけが、ないじゃあない。

 驚き、立ち上がり、壁際まで後退るよ。

 そんな、私の行動なんか気にもしないで、アルは石の固まりにゆっくりと腰を下ろすと、郷愁の表情を滲ませ語りかける。


「そうじゃな、おまえはそういう奴じゃ。優しくて、怖がりで、それなのに変な所で頑固なんじゃな。おまえに無理を言うからには、ワシもおまえの願いを叶えてやるぞ。例えばおまえの世界を救ってやったり、元の世界に帰してやったりな」


 私の事なんて完全に無視ですよ。誰かに語り掛けている様で、丁度映画の撮影でもしているのかと思ってしまう程に芝居じみた、そんな表情でそんな事を言って。

 あなたは何者で、私の何を知ってるというのかしら? いえいえ、私の事なんて知らないですよね?

 それでも、気になるワードを沢山出しちゃってくれているのですね。

 そんなの聞くしか無いじゃあ無いですか。


「元の世界ってどういう事?」


 アルは待っていたかの様に笑みを浮かべると、嬉々として語り始めた。


「ここは、おまえが元居た世界とは異なる別の世界じゃ。分かりやすく言うと異世界ってやつじゃな」


 その表情は勝ち誇っている。全てが自分の計算通りに話しが進んでいるのだと錯覚している。そんな顔をされても、思考が追いついて無いんです。

 そんな、私が無言で凝視していると、また表情を少し曇らせて続きを語り出しましたけれど。まさしく演者。観客の事など気にもしない、大根だけど。


「おまえが勇者となって唯一の王を殺してくれたら、もちろん元の世界に帰る事が出来るし、元の世界を救う事も出来るじゃろう」


 気怠そうに、そんな事を言われても、かしこまりましたと言えると思っているのだろうか、この人は。

 それだけで、全ての信用を失っている事に気づかないのだろうか。

 それでも、この人が言っている事が本当の事だとして、仮にだよ。仮にそうだとして、世界を救う事が出来るんだったら良い事だけど、そんな事出来る分けは無いし、出来たとしても私は、そんな事で良いのでしょうか?


 結局はソウマが早く来ないから、こんな事になったんだよ。何なのよ、この状況。


 助けてよ…… ソウマ……


「すまんな、アカリ。おまえをこんな事に巻き込んでしまって」


「アルは悪くないよ」


 無言で塞ぎ込む私に、申し訳なさそうに覗き込み謝罪してくれる。けれど、だけども、これはもうどうしようも出来ないって事なんだと、その表情を見て確信する。


 その表情だけは、演技では無く、本当に私の事を思ってくれているのだと伝わるから。


 悩んだってしょうがない。


 ソウマは来ないし、お腹も減る。


 私が全部救って、救って救いまくって何とかするしか無いんだよね。


 良いじゃない、それでどうにかなるならやってやろうじゃない。


「わかった。いいよアル! この世界も元の世界も全部私が救ってあげる。唯一の王だって殺さずになんとかなるかも知れないし、私が全部なんとかしてあげる」


 アルはまた嬉々として話を続けてくれるとそう思った。けれども、実際にはなんだかその表情は少し寂しそうで、それも演技では無く。すぐには口を開かなかった。


 沈黙が部屋を満たし。

 外から鳥の囀りが虚しく部屋に響く。


「アル、お腹へった。世界救ってあげるから何か食べさせて」


 沈黙に耐えきれず私のお腹が鳴り響く。

 だって何も食べてないから仕方が無い。


「そうか、すまんのう。本当にありがとな」


 その“ありがとう”には沢山の感謝の気持ちが込められていたのであろうが、今の私には知った事ではございません。


 具体的に何をすれば良いか。

 そんな事も知りません。


 とりあえず、ご飯を食べましょう。それからじっくりと、これからの事を考えれば良いじゃあ無いですか。


「それじゃあ、その椅子に座って少し待っていてくれ。すぐに食事の用意をしよう」


 そう言い残して、アルは木目の扉を開け、床を鳴らしこの部屋を後にした。

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