第2話 夢と現実の狭間で
光が歪む黒い粒の中、どれだけの時間が身体の中を通りすぎたのか、忘却が俺を満たして行くのが理解出来た。
夢の世界の人々も、同じ感覚に支配されている事を思うと、忘却に身を委ねるのも悪く無いかとも考えた。
俺はこの手でアカリを殺した——
俺がどれだけ頑張っても、アカリは俺の事など見てもいなかった、気にもしていなかった。世界を守る為にと言って、俺の大切な人達を沢山殺した。だから、仕方が無かったんだ。
俺も、仲間を、大切な人を守る為に、アカリを殺す事しか出来なかった。
—— そんな夢を見た。
だから、苦しくて全てを忘れようと忘却に身を任せて。
それでも、忘れられない事がある。
彼女の事だけは。
彼女を好きな、この気持ちだけ絶対に忘れられない。
絶対に——
眼球の奥に光の感覚を覚える。
全身を血液が循環している事が分かる。
ゆっくりと瞼を開いた。
光の刺激が強すぎて、すぐに瞼を閉じる。
全身を冷たい風が包んで行く。
急激に体温を奪われる。
本能的に恐怖を感じて身体を動かそうとするが、感覚はあるのに動かす事は出来ず。
必死に情報を集めようと、光の刺激に耐えて、もう一度瞼を開いた。
四方は黒い壁に包まれている。
その黒は、俺を呑み込んだ粒。或いは、その材質が壁を為しているのか。
視線は床よりも一メートル程高く、何かの上に横たわっている。
背中の感覚を通して、確かめるそれは。
固く無機質で背中の熱を奪うが、決して冷たい分けじゃ無く。
眼球が光の感覚に慣れてきた頃、不意にどこからか話しかけられた。
「ようやくお目覚めですか。ずっと眠ったままだったからもう起きないかと思ってたよ」
何を言っているのかまったく理解出来ない。
声の出所、言葉の意味。
忘却に身を任せ、声の出し方さえも忘れてしまったのか、返す言葉も思い浮かばない。
聞こえてくる声から情報をかき集める。
やや高めの声は、同年代の女性を連想出来るが、それにしては若干幼く聞こえる。
声変わりをしていない、少年の声という方がしっくりくるだろうか。
そうして、声の情報を基に想像した少年の姿を探すが、未だに眼球以外を動かす事は出来ず。
少年がこの部屋にいるとしたら、頭の上のスペースだろうか。
「何を色々考えているんだい?」
必死で頭を働かせている俺の顔を、少年が突然に覗き込んできた。
その瞳は丸く大きく。
瞳孔は深く赤黒い光を放ち、瞳孔をぐるりと囲む虹彩は真っ赤に輝き蠢いている。
まつ毛は長く、鼻筋が通った顔立ちは大人びた落ち着いた表情で、それでそれで——と、考えを巡らせる俺の顔に、少年の前髪が長く垂れ下がる。
見える全ての情報を必死で集める。
俺の眼球の動きと表情で、その必死さが伝わったのか、少年は笑みを浮かべると視界から消えた。
次の瞬間に、何が起こるのかまったく想像出来ない状況で、動かない身体を強張らせ、少年の冷たい笑みに、前にも増して恐怖の感情が押し寄せてくる。
「別に何もしないよ。選択するのは君だよ、ソウマ」
逃げたい、逃げなければ、何かされる。
その考えを見透かした様で、少年の声色は優しく。
「とりあえず身体の感覚を思い出して、動ける様にならないとね。何か手伝おうか? って、言っても、まだ話すことも出来ないかぁ。そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。安心しなよ、本当に何もしないから」
困った様子の猫撫で声。
思わず緊張が綻ぶ様な。
「ボクは君が目覚めるのをずっと待っていたんだよ。だから安心して、君は身体を動かす事に専念しなよ」
きっと少年は、顔を覗き込んだ事で、不必要な恐怖を与えてしまった事を、悔いているんだろう。
俺の目覚めを心待ちにしていたのだろう。一つの失態で、後悔しているのなら大間違いだ。
自分本意な優しい台詞。声色と今の状況。それら全てをどんなに整理しても、今すぐ動ける様になる事しか考えていない。
少年は、俺の名前を知っていた。
俺と分かってて、俺をここに連れて来た。
視覚から得られる情報をまとめ、瞼を閉じ、身体を動かすという一点に集中させる。
どの部位でも良い。動いてくれと念じながら、四肢の末端に及ぶまで、感覚を張り巡らせると、両手の指先が動く事を感じた。
生まれてすぐの記憶は無いが、きっとこんな感じで、少しずつ身体を動かす事を覚えたんだろう。
手のひらを上に向けて、指を握り込む。
少しずつ力を入れて行く。
腕の筋肉が動くのがわかる。
そこから両手の肘を曲げる。
——出来る。
瞼を開き、右膝を立て、左側に身をよじり起き上がろうとする。
しかし、それはまだ出来ず。身体を動かせず。不覚にも一段高いその場所から、左側に落ちてしまったが、その様子を見ていた少年が、受け止めてくれたお陰で、痛みは無い。
受け止めるというよりは、この場合、下敷きになると言った方が正しい。
「おはよう。起き上がれるかい?」
その声を聞いて、俺は慌てて飛び起きる。
完全に身体の感覚は戻った。
目の前には扉がある。
初めからそこにあったのか——と、疑問を抱きながらも、急ぎ取手を握りしめ力を入れる。
しかし、押しても引いてもびくともせず。
力が足りないのか、引くのか押すのか、持ち上げるのか。力の限り色々と試してみたが開かないどころか、微動だにしない。
背後の少年に、再び意識を向ける。
しかし、先程までの恐怖は無い。
身体は動く。
向こうは少年。
何が出来る筈も無い。
そう考えて、意を決して振り向くと——
「そんなに構えなくても、君の事を食べたりしないよ」
少年の顔が目の前に。
「おまえは誰だ。俺はどうしてここに居る? どうやってここから出るんだ」
慌てて口を塞ぐが遅い。
堰を切ったように感情が、言葉が流れ出る。
不用意な発言は出来ないのに——
感情を晒す事もダメだ。
こちらの情報は与えてはいけない。
「そうだよね、混乱しているよね。君が動けない間に、色々話しておけば良かったね。でもね、そうすると君は余計に恐怖で動けなくなるのかな…… なんて、色々ボクも考えたんだよ」
少年は口を尖らせ、壁の質感と同じ四角い塊に——俺がさっきまで寝ていた、それの端で顎を乗せ頬を膨らませている。
少年の顔は、面白い程に歪みを生じる。
こんな状況で笑えはしないが——
その様子を見て、不覚にも緊張を緩めてしまった。
それを見た少年は微笑むと、立ち上がり。その動作の延長線上で、塊の上に飛び乗ると、軽く足元を叩き砕いてみせた。
黒い塊は、小さな虫が霧散する様に粉々に砕け、塵となって消え失せる。
その一連の動きを見て緊張を緩めてしまった事を酷く後悔した。
消して軽い動作では無い。明らかに人のそれを越えた力を見た。
少しでも気を緩ませた自分が許せない。
「もう、人間って面倒臭いよね。気を使うのはやめたよ」
少年の
「本題に行くけど良いよね。勝手に話すから、でもちゃんと聞いててよ」
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