第3話 始まりの雨 二

 切羽詰まった悲痛な男の声は、竈に火をくべ、井戸で水を汲んでいた人々の意識を惹きつける。


「……来たようね、厄災が」


 花琳は編んでいた竹籠を横に置くと、ゆっくりと立ち上がった。

 土楼に住む人々がくつろげるようにと造られた、広い空間がある四階から中庭を見下ろす。


 周りに気づかれないように、ため息を吐く。


 あれから、寝台に横にはなったが気になって眠れず、この土楼の収入源の一つである竹細工の籠を制作していた。

 周りには、花琳と同じく作業をしている女達や他の作業をしていた男達が、何事かと中庭を見下ろす。


 傍にいた子供達は、見知らぬ侵入者から守るように上階へと連れて行かれた。


「相変わらず花琳の勘は当たるな。あの男二人組は見るからに旅人や商人じゃない。帯刀しているし、着ている衣や鍛え上げられた体躯を見る限り雇われた傭兵か……武官か兵士だろうな」


 特に驚きもせず、花琳と同じく竹細工を作っていた浩然が面倒そうに呟く。

 まだ眠いのか、目を擦っている姿を見ると、二十五という年齢の割に幼く見えた。黒髪を後ろで一つに纏め全身黒づくめ。

 浩然は昔から黒い服しか着ない。


「よくこの距離から見えるわね。どれだけ目が良いのよ。ところで、行かなくて良いの? この土楼の長の息子なのに。しかも、長は今、不在なのよ」


「俺はしがない次男坊だ。こんな面倒事は、親父がいなくても問題ない。将来の長に任せれば良いさ。ほら、兄貴が行っただろ?」


 飄々とした浩然が示した先には、浩然の兄である慶木けいぼくの姿が見えた。その後ろには、屈強な体躯をもった男達が武器を手に後へと続く。

 この土楼の長である慶木と浩然の父親は、周囲にある他の土楼の長達と情報交換をするため昨日から出かけていて今は不在だ。あと三日は戻らない。


「俺達はここから見物だな。厄介事をお前に近づける気はない。……約束だから。だから、自分から近づくなよ。花琳」

「……わかっているわ。私はあの二人には近寄らずに、ここで、これを編んでいるわよ」


 そう言うと花琳は、編んでいた竹籠を浩然に見せた。そして、感心がないとばかりに、また、さっきと同じように床に座り込む。


 だが、意識は中庭へと向いていた。

 すると、また、さっきと同じ知らない男の声が土楼に響く。


「助けてくれ! お願いだ。道に迷って、もう一週間もまともに食べていない。しかも、弟が病に倒れて……助けてくれ」


 懇願にも似たその声に、土楼中の人間が何事かと部屋から出て来ると、中庭へと視線を向けた。


「……本当に病気なのかしらね? 嘘をつく人間は山ほどいるから」

「どうだろうな。……ああ、合図だ。二人の他に仲間はいないようだな。ほら、兄貴が大門を開けるぞ」


 花琳の疑問に、浩然が空を見上げると、一羽の鷹が土楼の上空を旋回し始めた。


 あの鷹は、土楼を守る見張りからの合図。

 土楼の周囲は深い森や崖で、自然が作りあげた要塞になっている。その作りのおかげか、今まで侵略されたことはなかった。

 誰かが土楼に近づこうとすると、見張りが何者か探り、森や崖に誘い込み危険だと感じたら排除する。


 決して知らない人間を土楼には近づけない。

 なのに、なぜか今回は勝手が違ったようだ。それだけで、土楼には張り詰めた空気が漂っている。


 優雅に飛んでいる鷹は、二人に他の仲間もなく、不審な様子はないと土楼の中へと教えてくれている。

 大門が開けられると、慶木の指示で旅人と思われる男二人が中へと入って来た。

 一人は自力で歩き、慶木と何やら話しているが声までは聞こえない。そして、病気だと言っていた男は、何人かの男達の手によって運ばれて行く。


「変な病でなければ良いけど……」


 土楼に病が持ち込まれることほど厄介なことはない。

 一人が感染すれば、また誰かが感染する可能性が高いからだ。

 この土楼では、病人が出ると、症状によっては外にある見張り小屋の一つに運ばれ様子を見ることになっている。

 重い病や死に至る可能性のある場合は、隔離して早めの処置を施す。


「……見る限りただの風邪っぽいけどな。ただ、やけに上等な衣を着ていると思わないか?しかも、元気な方は隙がない。あれは、兵士か武官か……」


 二人を見た浩然の口調が低くなる。


 昔、都で武官として働いていた浩然は、自分と同じ匂いを侵入者から嗅ぎ取ったようだ。さっきまでの無害そうな、おっとりとした様子から一変して目つきが鋭い。

 そんな浩然の様子に、花淋も落ちつかない気持ちになった。

 籠を編むのをやめ再度二人をじっと観察した。


 侵入者は二人共、烏のような真っ黒の衣を身に付けている。浩然が言う通り、元気な男は背が高くがっしりとしていて鍛え上げられている。


 花琳が気になったのは、腰に下がっている刀とはまた別に、左手にもう一つ長剣を持っていること。

 武官と言えども、扱いにくい長剣は、よほどの熟練でないと戦いの場では不利となる。



 その男は、まだ若く浩然と同じような歳に見えた。

 よほど腕に自信があるのか、ただ威嚇のために持っているのか判断がつかない。

 しかも、慶木と話している男は、話ながら何かを探すように土楼の中を観察していた。


「嫌な感じだ。花淋、ここから動くなよ。俺も下に行って来る。危険を感じたら逃げろ」


 そう言うと、浩然は花淋の言葉を聞かずに、階下へと降りる階段へと向かった。


「……困ったわね。この土楼、気に入っていたのに」


 溜め息を一つ吐くと、慶木と話していた男が、ふいに花琳を見た。


 二人の視線が合わさると花琳は息を止める。

 すぐに逃げ出すべきか迷ったが、今、逃げると何かあると教えるようなものだと花琳は留まった。


 そして、男へ向かってにっこりと微笑む。

 そんな花琳の態度が意外だったようで、男は困ったように眉を下げて視線を逸らした。


「花琳、今の内に逃げて下さい」


 後ろにいた女性が花琳に声をかける。

 どうやら、見られていたようで声が緊張していた。


「……いいえ。あの二人の目的が私なのかはっきりするまでここにいるわ。それに、もう逃げるのにも疲れたのよ」


 最後は本音だ。

 あそこから逃げ出して三年の月日があっという間に流れた。

 それも、もう終わるだろうと予感していた。それほど、この国の状況は悪い。

 その原因は、隣国との戦ではなく干ばつ。雨が一向に降らない。


 日照りが続き大地は干上がり、今年の農作物は全滅に等しい。貴族達はまだ良いが、その皺寄せは全て民に及んでいた。

 食べる物にも事欠き、村や都へと向かう道には盗賊が現れ被害を及ぼしている。すでに国全体が先細っている。

 このままだと、病も発生し死に行く民の数は計り知れない。


「花琳……」


 立ち上がった花琳の腕を掴む女性は止めようとするが、大丈夫だと花琳は手を離す。


「このままだと国がなくなるわ。人がいて国なの。死んでしまったら意味などない」


 そう言うと、花琳は階段を下りる。

 向かうは招かれざる客の元。

 外へ出ると、花琳の姿を誰よりも早く見つけた浩然が近寄って来た。


「……花琳。逃げなくても良いのか。あいつらの狙いは水を操る内攻師だそうだ」


 嫌な予感が当たったとばかりに、花琳は空を見た。

 雲に覆われた空は、今にも雨が降りだしそうなほど暗い。


「そう。嫌な予感ほど当たるのね。なら、あの二人を……どうにかしましょうか」


 そう言うと。花琳は男達の元へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る