第30話 真犯人は追い詰められてなお勝ち誇りました

「馬鹿な……」


 海原を疾走する船の上で、家庭教師が驚愕の表情で言った。

 いや、吾輩のほうが驚いているかもしれない。最近の船は帆なしで動くのか、と。吾輩が馬鹿でいるうちに、文明は長足の進歩を遂げていたようだ。いやはや……。


 いや、違うな。目の前のことに集中しなくては。

何を聞かれた? そうだ。思い出したぞ。


「君の言うとおり、吾輩はただの馬鹿だよ。たまに頭が良くなるが」


「何を言っている?」


 おっと、間違えてしまった。家庭教師が怒るような訝るような調子で吾輩を睨みつけている。彼が「馬鹿な……」と言ったのは、逃走ルートがバレたことへの驚きによるものだ。吾輩の知性に感想を漏らしたのではなかった。


 何故ここが分かったかだが……。

 ふむ、そんなに難しいことをした覚えはない。


「『満月の夜』は明日だ。逃げるなら急ぐと思った。明日になったら人狼の君は暴れることしかできなくなる。この街から出るだけなら色々手段はあるが、たった一日で人里離れた場所にはたどり着けん。ならば、海しかなかろう」


「……道理ではある。だが、おかしいな。私の授業に紛れ込んできた時は、単なる馬鹿にしか見えなかった」


「実に申し上げにくいことではあるが……、君の授業に紛れ込んだ時は、単なる馬鹿だったのだよ」


「騙されんぞ。馬鹿にできる芸当ではない。わたしの計画は完璧だった」


「そうだろうか。結構穴だらけだったように思える」


「……私も得意だと思っていたが、貴様もよくよく演技が上手い」


「いや、演技はまったくしていないのだが……」


 渋い顔で返事をする。吾輩のことを理解するには、少々長い付き合いが必要だからしょうがない。が、誤解に基づくコミュニケーションにはそろそろうんざりというのが本音だった。


 うんざりと言えば、この船がどんどん王都から遠ざかっていくのもそうだ。飛んで帰るにしても、かなりの時間がかかる。今日は疲れた。できれば朝日は拝みたくない。


 で、あるからして。


「ほっ」


 懐から銀の指輪を取り出し、魔法動機に投げつけた。その小さな輪っかは音を超える速度でぶつかった。対象を粉砕する。


 徐々に船の速度が遅くなり、ついには止まった。よし、これで良い。

 その間、家庭教師は静かに待ってくれていた。

 どういうつもりかは分からないが――


「……なるほど、そうか! わかったぞ!!!」


 不意に彼は叫んだ。

 そうか、凄いな。どこにヒントがあって、何を分かったのだろう。

 ここまでの会話から、彼の脳は血の巡りが良さそうなことは伝わってくる。勝手に察して勝手に話してくれるからな。が、いまいち使いどころに焦点が合っていない気がする。


「そうか! 近衛を殺してきたか!!! はっ! ますます思いどおりだ!!」


 家庭教師は愉快そうに笑った。

 ふむ、「近衛」と来たか。どうしてその単語が出る?

 更に更に、殺してきたとして、何故喜ぶ?

 

「船が止まってやっと分かった! 酷く臭う!! 大学の時より強く臭うぞ!!! 変化の応用で身なりを綺麗にしても、染み付いた血の匂いはごまかせない!!」


 なるほどなるほど。そうかそうか。彼は人狼だった。夜目以上に鼻が利く。

 船が止まったことで、船首側に立つ彼のもとに吾輩の纏う空気が伝わったのだろう。


「貴様は陛下に滅ぼされる!! 貴様を自由にした戦争大臣もだ!! わたしの計画は貴様によって完成した!!」


 彼は勝ち誇った表情で笑った。長く長く笑った。こんなに長い笑いは、吾輩ですらしたことがないほどだった。


「……何だその自信は。一体何が目的なのだ」


 だから違和感を覚えた。

 確かに吾輩は、留学王女に始末をつけた後に少々血に塗れた。


「はっ!! 今度は動機を聞いてくれるのか!!? 自分が何をやったか、胸に手を当てて考えるがいい!!」


 家庭教師が吠えるように言った。おうおう、随分煽ってくれるじゃないか。

 とは思ったものの、彼の発言を理解できなかったことも確かだ。


 吾輩は振り返る。

 何故血の匂いを撒き散らすことになったか、その経緯を。

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