第17話 真犯人が現れました

 戦争大臣は大きな時計塔を見上げている。背が低いので首の角度が急だ。可愛らしかった。吾輩は背が高いので、同じように見上げてもそれほどの可愛げは出ない。


「いつまで待てばいいのだ? 完全に夜になってしまった。仕事に戻りたいのだが……。貴様に荒らされた部屋を片付けたいしな」


 そのままの姿勢で幼女が言った。憎しみが籠もっている気がした。吾輩を見ようともしないところが特に。この幼女、中身はまったく可愛くない。


「…………」


「強引に攫っておいてその言い草はない。しかもなんだ、何故ここなんだ。どう休めと? まさか嫌がらせではあるまいな。おいどうなんだ、説明しろ」


 何も言っていないのに勝手に会話を進める本当に本当に可愛くない彼女の機嫌はともかく、吾輩と戦争大臣は今、王立大学の中庭に居る。一本だけ立っているガス灯がぼんやりと我々を照らしていた。


「おい、何か言え」


 校舎の外壁には工事用の足場が組まれている。「聞こえているんだろう」中庭の掲示板には今日から改修工事が始まったことを知らせる紙が張ってあった。「おい、おいと言っているのだ」人気はまったくなかった。学生はもちろん、教授連中や用務員もいない。「貴様ごときが無視だと……?」工事業者も既に仕事を終えた時間だった。


 ぐるりと見渡して視線を戻すと、戦争大臣は目を瞑り唸っていた。

 お、頭痛かな。今度いい薬をプレゼントしてやろう。


「……どうせ、私を囮にするつもりなのだろう。魔王城最後の吸血鬼だから、納得はいく。だがなぁ……誰にも言わずに出てきて、誰にも言わずにここに来たんだぞ?」


 戦争大臣は手を大げさに両手をひらひらと振った。


「犯人が私を狙いたくても、無理じゃないか?」


 王立大学の中庭に来てから数時間、延々と文句を聞かされたせいで彼女を無視することにしていた我輩だったが、流石にこの質問には反応してしまう。


「いいのだよ、これで。吾輩の計算が正しければ、今晩中に事件は解決する。確定事項と言っても良い」


「計算、確定事項。貴様が言うと違和感があるぞ……。なあ、この件、陛下の許可を取ってあるのだろうな」


「……魔王様の叡智は留まるところを知らない。当然、吾輩のなすことなどお見通しだろう。それに、それほど大事にはならない。血を飲んだ吾輩なら楽勝だとも。吾輩は『最強卿』だぞ」


「はぁ……。報告していないのだな」


 ため息をつかれてしまった。おまけに「何が最強卿だ、ダサすぎる」という悪態もつかれた。まぁ、そうだな。それについては同じ思いだ。


「貴様、後で陛下に何をされても文句は言えんぞ」


「文句を言いたいのはこちらの方だ……。吾輩はただ、皆と仲良くしたいだけなのに」


「仲良くしたいと思ってる奴はな、人攫いなどしないのだ……。まあいい、陛下が貴様にこの件を託した理由がわかった気がする」


「と、いうと?」


「普段は馬鹿そのもの言動で周囲をかき乱すばかり。だが、血を飲んだ途端に私を襲い、かと思えばすべてを理解したふうな顔で静かに何かを待っている」


「後半はすべて計算どおりだ。前半については……、あの不幸な乱闘は相互の勘違いに基づくものだからな。責任の半分は君にある」


「貴様、滅ぼされたいか」


「やれるものなら」


「はぁ……。貴様はな、行動が予測できん。極端過ぎる。だからこそ陛下は貴様に賭けたんだろう。だが、いいか。私を囮に使うからには--」


 彼女が何事かを言い終えようとしたその時。

 

 突如、頭上から轟音が響いた。

 吾輩は顔を上げた。時計塔の上半分が崩壊しながら落ちて来る。


「ふむ、これは計算外」


 石材の雨に襲われながら、白けた顔で吾輩を眺める戦争大臣が目の端に映った。

 



■□■□■




 数秒前まで時計塔だった瓦礫の山を両手で掘削し、吾輩は外に出た。戦争大臣も着いてくる。当然ふたり共怪我一つない。吸血鬼はそれほどやわじゃない。


 計算外と言ったのは、時計塔を粉砕して我々を押しつぶそうという無駄についてだ。何の意味もない。『魔族の頂点』という吸血鬼の二つ名は伊達ではない。まぁ、本当の頂点は魔王様だがね。


 まあいい。


「やあ、随分な挨拶だ」


 吾輩は瓦礫の山に立ち、少し離れたところに見える人影に話しかけた。

 夜の闇の中をゆっくりと近づいてくる。その影が言う。


「挨拶は元気な程よい。そう言ったのは--」


「そうだ。そうだったな」


「--閣下ですよ」


 ガス灯に照らされて、その人影の正体が明らかになった。

 白い肌に映える長い銀髪を靡かせていた。美少女だった。


 留学王女だった。


 そうとも。当然、この少女が『吸血鬼連続殺人事件』の犯人だ。

 昨日訪れた際に俯いていたとか、元気がなかったとかはどうでもいい。

 他にいるわけがないのだ。能力も動機も十分なのは、彼女だけなのだから。


「戦うのは、気が進みませんね……」


 彼女はそう言うと、突如姿を消す。

 

 否、神速で死角に回り込んだのだ。衝撃波が生じている。音を超えたのだろう、あたりに散らばる瓦礫が吹き飛んだ。彼女の右腕が、戦争大臣に向かって突き出される。


 戦争大臣の突進よりも速い。この速度が出ていたなら、吾輩は血を飲む前に魔王城で滅びていただろうな。

 

 しかし--


「まったく同感だね……」


 今の吾輩は、『最強卿』である。

 留学王女が音を超えようと、その右腕を掴んで止めることなど容易い。

 戦争大臣の執務室で起きた出来事の再現というわけだ。


 もっとも、戦いたくないというのは嘘ではない。そもそも吾輩は争いごとが嫌いなのだ。皆と仲良くしたいだけなのだから。


「同じ気分ではないと思いますが……。やるだけやってみましょう」


「ああ、そう。おすすめはしないよ」


「……でも、少なくとも。閣下の片腕は塞がっていますよね?」


 留学王女は整った顔に引きつった笑みを浮かべた。

 おや、奥の手があるといった顔かな?


 と、思った瞬間。

 戦争大臣の頭部が宙を舞っていた。


「おや?」


 新たに大きな影が現れたからだった。鋭く白い何かが、吾輩の目にかすかに映った。血に濡れていた。留学王女と遜色ない速度で、戦争大臣の首を刈り取ったのだった。


 可愛らしいお顔が地面にぶつかって、ぐしゃりと潰れた。


 吾輩は地面に転がる戦争大臣の頭部をぼんやりと眺める。時計塔の崩落を生き延びたガス灯が、それを照らしていた。


 そしていつの間にか、留学王女の姿が側から消えていることに気がついた。逃がすつもりはなかったのだが……。気を取られてしまったようだ。


 ふむ、変化か。それとも影潜りシャドウランか。どうせ近くにいるのだろうが、視界から外れたのは困るな。どうやって捕まえようか。


 考え込んでいると、新たに現れた敵が暗がりの中から近づいてくる。

 足音で分かった。吸血鬼は聴覚が鋭いのでね。


「やあ」


 何事も挨拶から。それが吾輩の主義だ。本当ならもっと元気よく行きたいところだけど、どうにもそんな気分にはなれなかった。


「まんまと出し抜かれた気分はどうだ?」


 新たな敵は言った。

 そうとも。『吸血鬼連続殺人事件』の犯人は留学王女だけではない。

 もう一人いるのだった。


「酷い気分であるのは確かだがね……」


 吾輩は答えた。うんざりとした表情が顔に張り付いていたのは間違いない。

 計算どおりだからといって誇る気分にはなれなかった。絶対に面倒だと予想していた事態が、想定どおりに面倒だと分かっただけだったからだ。

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