汚れた拳

 鳥の声に混じって小川の流れる音がする。

 日差しは眩しくともまだ弱く、柔らかく朝を告げてくる。

 ……それら全てが人工物、スピーカーから流れる音と、スクリーンに映った映像だとしてもまぁ、朝と言うのは良いモノだ。

 クライシ外縁部。そこには植林地区に併設する形で人々の憩いの場として公園が造られていた。街の中心から離れていることに加えて早朝と言うこともあり、ことさら人が少ないのを良いことに狛彦は大樹の下で倭刀を抜き放った。

 偽物の空の下、偽物の音が流れているが、木々と木々が吐き出した新しい空気だけは本物だ。

 草の匂い、樹の匂い、それらを好むのは自分の中にある人以外の遺伝子のせいなのだろうか?

 そんな益体の無いことを考えながら狛彦は目を閉じた。

 勁穴より出で、勁脈を奔り、氣が五体を満たす。それを感じながら――

 先ずは一振り。更に一振り、更に、更に、更に、一振り、一振り、一振りと重ねて連ねて剣舞と為す。戦う為ではなく、見せる為の剣を振りながら狛彦は自分の身体が少しずつ軽くなっていくのを感じた。

 先ず、音が消えた。次に匂いが消えた。気が付けば身体が風の感触を感じなくなっていた。味覚は……正直、良く分からない。今度は飴玉でも舐めながらやってみよう。そんな雑念を最後に思考も消えて――最後に光が消えた。

 何も見えない。

 否、何もかもが見える。

 色境、声境、香境、味境、蝕境、全てが閉じて、或いは溶けて、そこで漸く未熟な狛彦は意の法境にて世界を知覚できるようになる。


 ――一刀如意。


 その領域に入り込んだ狛彦は――









「――――――――――――――――――っ、は、」


 調息をしようと言う意思はあっても、ソレが出来ない。不様に肩で呼吸をしながら、汗だくの額を拭うが、吹き出す汗がソレを意味の無い行動へと変える。

 呼吸は定まらず、身体は水の中から出て来たかのようにびしょ濡れ。足に力が入らず、狛彦は堪らず地面に大の字に横たわった。


「……」


 太陽が随分と高い位置に来ていた。何時の間にか見物客でも出来ていたのか、狛彦が倒れるのに合わせて人が遠ざかっていく気配までする。「……」。一刀如意。意の法境にて“見て”いられたのは随分と短い時間だったらしい。

 成ったと思ったのは己のみ。その実、剣を振るのに必死で回りに人の気配が集まっていたのにも気が付かなかったと言うのだから――


 ――弱いなぁ、俺は。


 偽物の太陽から目を庇う様に腕でひさしを造り、目を閉じる。汗だくの身体に風が心地良い。そして風は色んなものを運んでくる。この時運んで来たのはここ最近嗅ぎ慣れた匂いだった。


「……サボり?」

「貴方に言われたくありませんが……えぇ、まぁ、そんな所です」


 ――それよりも良く私だってわかりましたね。


 そんな問い。

「……」匂いで分かりました。正直にそう言うと多分蹴られるので狛彦は「まぁな」と言っておくことにした。


「とりまる。貴方、火曜の一時間目もう三回サボってるからそろそろ危ないですよ?」


 隣に人が座る気配。

 正直は美徳だが、正直者が常に賛美されるわけではない。狛彦の言葉をどんな風に解釈したのか知らないが何やらお嬢様は機嫌が良くなったらしく、少し柔らかい声音で倒れる狛彦の顔にタオルを掛けてくれた。

 それに目隠しは任せてひさし代わりにしていた腕を退かし、思い切り大の字になる。


「……」

「……」


 隣が何も言わないのだから、こちらも何も言わない。風が体温を奪う。そんな時間だけが過ぎて行った。


「一刀如意、見事でしたよ」


 凄く綺麗でしたよ、と雑談の様にお嬢様。


「……何時から見てたんだよ」

「三時間くらい前からですね」

「……今何時?」

「自分で確認してください」


 そう言われたので大人しく左腕の腕時計を見る。午前十一時。三時間前と言うと――


「すずねちんも一限からサボってんじゃねーですかぁー」


 何回目かは数えてないから知らんけど。


「バカですね、とりまるは。私達はサボり仲間でしょう? ……貴方を、一人にするわけないじゃないですか……」

「……何か良い感じの雰囲気っぽく言いうのやめてくれますか?」


 どう飾っても只のサボりだ。と、言うか――


「何か用だったのか?」

「別に。モーニングコールを無視されたので蹴りに来ただけです」

「……」


 端末を確認する。コールと言うよりはスタンプが来ていた。五件。そして五件全部が『さっさと起きロバ』。お馴染みのアレだ。「……」。フレーメン反応だか何だか知らないけど、むきっ、となった歯茎がやっぱりウザかった。


「ここの所、午前中の出席率が良くありませんよ?」

「……そうだっけ?」

「あの仕事から三週間、ずっと悩みっぱなしですよね?」

「……そう見える?」

「……そんなに納得行かなかったんですか?」

「……」


 何が? とすっとぼけようとしたが、相手が確信を持っているので止めておく。

 納得しているか、していないかで言えば、していない。

 不様で滑稽な紛い物。故に偽典としか呼べないあの剣。

 人狼と化すことで相手の虚を造り、人狼の膂力で振っただけの剣。あれは達人アデプトの剣では無い。だから――


「……納得なんざできる訳がねぇだろうが」

「そうですか」

「……何だよ」

「別に? 何でもないですよ?」


 ただ――


「くっっっっっっっっっっつっだらねぇぇぇぇぇぇぇえぇ――って思っただけですよ?」

「……」


 何処かで聞いたことがある様なお言葉に身体を起こして横を見て見れば、こちらを見下す銀色の目。心底軽蔑しました、とでも言いたげなソレがあった。


「勝ち方が気に入らないとか……強い方は贅沢が言えて宜しいですわね?」

「……いや、あのな? お前だって達人アデプトなら分かんだろ? アレがやりたきゃ機械サイバネ化すりゃ良いだけ――」

「でも貴方は勝った」

「……」

「勝ったのなら貴方が正しい」


 それが武が、暴力がぶつかった場合の絶対のルールでしょ? と鈴音。

 それは正しい。確かに正しい。

 金が無いなら死んだ方が良い。――それが世界のルールなら。

 弱い奴は死んだ方が良い。――それが武を、暴力を使う者のルールだ。

 故に勝った者こそが正しく、正義である。

 不様であれ、滑稽であれ、紛い物であれ、勝った以上、狛彦が正しい。だが――


「……俺はそう思わねぇ」


 狛彦は弱い者が悪だと思わない。思えない。


「でしょうね。貴方の剣は綺麗ですから。さっきの鍛錬を見て私、はっきりそう思いました」

「お前の拳は違う……とでも言いたそうだな?」

「えぇ、私の拳は汚いですから」


 ――だって。


「私、負けた側で戦争に巻き込まれたことがあるんです」

「私は強かったし、地位もあったから大した被害も無く直ぐに逃げられました」

「でも」

「その短い時間で私は武の、暴力の汚さを見ました」

「鍛えた武で行われた行為を見ました」

「だから私は武を誇れませんし、私の拳を綺麗だとも思えません」


 だから――


「私は貴方の剣が好きですよ、とりまる。達人アデプトらしい剣も、そうで無い剣も。だって私が貴方の剣を綺麗だと思ったのは、貴方が貴方の剣を、武を綺麗なモノだと信じているからですから」

「……」

「だから、そんなにあの剣が嫌だったのなら次は貴方の剣で勝ちなさい。それが貴方のファンからのアドバイスです」








 剣など所詮は人斬り包丁。それでもそれを振るう者次第では誰かを救うことが出来る。

 氣が心に宿る様に、剣は心に寄る。ただそれだけの話だったのだ。

 そも未だ一刀如意にすら至らない未熟者。そんな自分の剣が恥ずかしいも何もない。思い返してみれば随分と傲慢な悩みを持って居たものだと笑えさえする。

 魔剣連合ブラッディ・エクスカリバーズ。名の知れた武人集団の一角に勝った程度で浮かれていたようだ。

 そんな訳で――


「絵描いてみたんだけど、どう思う?」

「……いや、本当に何がどうしてそうなったんですか?」

「悩んでる時に現代の剣客と呼ばれる方々の自伝小説とか読んでたら『剣から離れる』みたいなことやってたんだよ」


 笛吹いたり、殺した相手の供養の為に地蔵彫ってたりした。

 だから俺もちょっと絵を描いてみた、と狛彦。

 手に持った手帳にはシャーペンで描かれた景色があった。鈴音にも見覚えがある。学科で使う教室から見える景色だ。


「……結構と言うか……普通に上手くないですか?」


 意外です、とお嬢様。


「ちっちゃい頃から暇した時は描いてたからな」


 お褒めに授かり――と狛彦。

 玩具と呼べるものは倭刀と勉強の為に与えられた鉛筆と紙、その程度だった。狛彦がねだらなかったと言うのもあるが、どうも石徹白虎一と言う男はあまり育児に向いていない性格だったらしい。

 お陰で狛彦の暇潰しは剣を振るか、寝ころんで絵を描くかの二択だったのだ。


「モデルでもしましょうか?」

「いや、人物画にはあんま興味ない」

「ヌードでもですか?」

「…………………………………………」

「……冗談です。そんな真剣に悩まないで下さい」


 ――と、毒にも薬にもならない学生らしい中身の無い会話をしている現在は五時間目。練武科には毎日午後に必修の練武と言う科目が割り振られており、その授業は休んだりサボると休み中に補講を受けさせられたり、レポートを提出させられるのでサボりが多い狛彦と鈴音も毎日ちゃんと出ていた。

 全員で集まって組手やら基礎鍛錬をやることもあるが、今の時間は個人修練。

 そんな訳で運動場の隅っこ。射撃スペースと併設する形で投擲武器用の的が置かれた場所にて狛彦が鈴音に鏡月式手裏剣術を教えながら下らない雑談をしていた。

 つまりはどうしようもないぐだぐだした時間である。

 始めの頃は教師から多少の注意を受けていたが、鈴音が一回本気を出して黙らせた。

 お嬢様はサボる為にはちゃんと全力を出すのだ。

 強い方が正しい。それは年齢や立場よりも優先されるルールだし、本来練武科に居るはずのないレベルの達人アデプトと言うのは訳アリ揉め事の匂いが大いにする。

 そんな子供に賢い大人は近づかない。だから賢かった教師は問題を起こさない限りは狛彦達を放置することにしてくれた。

 それに、実の所、狛彦達は授業態度は兎も角として、練武の授業は結構真面目に受けていた。


「……今の、どうでした?」

「ただ投げただけだな。氣を込めるのじゃ、氣を、この未熟者めが」


 今、鈴音がやっているのは鏡月式手裏剣術、第壱式・飛天。氣を込めて、投げる。細かい部分を省けばただそれだけの技法だが――


「物に氣を込めるって言うのが今一良く分かりません」


 利器を用いず、己の四肢のみで戦う拳士の鈴音にはその辺りが良く分からないらしい。


「何かコツは無いんですか?」

「……“自分の身体の延長と捉える”とかは良く言われる」

「とりまるもそうなのですか?」

「いや、何か気が付いたら出来てたからそう言うのは無い」


 物握るだけで自然に氣流しちゃうし、氣が込めれないって言う感覚が分かんない、と狛彦。

 寧ろ氣を流さないことを意識しないといけない位だ。そんなだから狛彦は授業中に握るシャーペンにも氣を流して居たりする。


「……教師が悪くありませんか、コレ?」

「他責思考は良くないですよ、お嬢様。進歩の妨げです」


 因みに。

 偉そうに言っているが狛彦も弐式の砕までしか出来ない。砕は先端に深い斬り込みとホロー構造を持った棒手裏剣に氣を込めて投げるだけの技法だ。つまりは込めて投げるしか出来ない。

 氣の開放による軌道の変化、速度の変化を要とする参式・曲、肆式・墜、極式・乱などは出来ないので、あながち鈴音の言う『教師が悪い』と言うのは間違っていなかったりする。


「……ちょっとやって見せて下さい」

「はいよ」


 棒手裏剣を手に取って、投げる。的に当たった。どやぁ。そしてご機嫌を害したらしいお嬢様から蹴りを賜った。


「流石に理不尽では?」

「手本を見せて下さいと言ったのであって、ドヤ顔を見せろとは言ってないんですよ」

「ンなこと言われてもなぁ……」


 氣の通し方なんて、狛彦には教えられ――


「あ」

「『あ』?」

「ウチの道場で勁穴開いたばっかの奴に通し方教える方法があったことを思い出した」

「……とりまるが指導、ですか?」


 冗談でしょ? 出来るわけないじゃないですか、とお嬢様。


「……俺、一応『免許』」


 烏丸流刀鞘術には段階がある。

 ある程度の実力を有していると判断される『切紙』から始まり、一人前の証である『目録』。後輩の指導が許される『免許』。目録までを授けることを許される『印可』。そして全ての奥義を納め、印可までを授けることが許される『皆伝』。

 生来の気性からからか、或いは年齢のせいか、狛彦はどうにも指導と言う者が形にならないので『免許』までしか許されていないが、それでも『免許』だ。偶に指導はしていた。

 ……キッズクラスかエクササイズクラスだけだけど。

 そしてキッズクラスでも極々稀に勁穴を開ける子が出てくることがある。そうなるとそのまま同じクラスに居ることが出来なくなる。チワワの群れの中にピットブルが紛れ込んだようなモノなのだ。怪我人が出てしまう。

 だからと言って直ぐに上のクラスに行くことも無い。何と言っても今後の人生を左右することだ。

 だから達人アデプトとして生きて行く為に氣の扱いを学ぶか、それとも電脳化して勁穴を潰すか、ソレを選ぶまでの時間はこの指導法で木刀に氣を流すことを教えていたのだ。


「……」

「? 何ですか?」

「いえ、何も」


 サイズ的にも丁度良い。その言葉を言わずに地面に胡坐を掻き、ほれ、膝に座れ――とやった所で漸く狛彦は、あ、となった。


「……」

「……」


 サイズは近くても年齢は違う。流石にお嬢様にこれは――


「――そこに座れば良いんですか?」

「いや、まぁ、そのつもりだったんだけど、流石に――」


 ――ダメだよな? オーケー、止めとこう。そんなセリフに挟まれる。「わかりました」。お嬢様のやや食い気味な回答によりゴーサインが出される。


「……良いのか?」

「良くはないですよ。勘違いしないで下さい。良くは無いんです。でも仕方がないでしょう? 私は物への氣の通し方を知らないんですから。えぇ、これは本当に仕方がないことなんです」

「……」

「こういうの、ツンデレって言うんですよね?」

「……頬とか赤らめるとポイント高いと思いますよ」


 真顔で流れる様に言われてもときめかない。


「そうですか。覚えていたら次はそうします」


 制汗スプレー、しゅーとやりながらお嬢様。「パス」。俺もやるから貸してーと狛彦が手を伸ばす。何か銀が入っているらしい制汗スプレーが渡された。しゅー、とやる。

 それで準備が出来たので――


「嗅いだら蹴ります」


 言うだけ言って鈴音が膝の上に座り、狛彦は後ろから抱く様にしてその達人アデプトには見えない細い手を握り、ゆっくりと鈴音の中の氣を引っ張るイメージで自分の氣を流した。呼び水。烏丸流ではそう言われる訓練方法だ。


「……ごめん、あの、水無月さんと、烏丸君、これ、わたし達、見てて良いやつ……かな?」

「構いませんが?」

「……あぁ、うん。ごめん。気まずいよな。ほんとごめん」


 射撃ブースにいるクラスメイトの皆様には大変申し訳なく思います、と狛彦が頭を下げた。うっかり触れてしまった銀色の髪からとてもいい匂いがした。「……」。蹴られたくないので狛彦は内緒にしておくことにした。





あとがき

武に救われたのが狛彦。

武に絶望させられたのが鈴音。


武に誇りを持ってるのが狛彦。

武に嫌悪を抱いてるのが鈴音。


勝つよりも大切なモノがある武芸者が狛彦。

勝つ以上に大切なモノはない戦闘者が鈴音。


武を信じているのが狛彦。

武を信じたいのが鈴音。


そんな二人の対比。

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