三年前

 黄昏時。黒に近いあかねの中に桜の葉が舞い落ちる。

 人の眼を楽しませる柔らかな薄桃色も昼と夜の境目では誰かの眼を引くことは無い様だ。

 それでも散る様だけで魅せることができるのが桜と言う花だ。

 古代の武士はその散り様に潔い死を連想し、好んだと言う。

 それならば死を連想させる散る桜に惹かれる者と言うのはどういう人物なのだろうか?

 この日、散る桜に惹かれてふらりと大樹の陰に現れたのは、灰色と黒の混じった髪と琥珀色の眼を持った少年だった。その少年の名を――烏丸狛彦と言う。

 死を思うには随分と若い十五歳。それでも狛彦が達人アデプトと言う人種である以上、死に惹かれるのは当然なのかもしれない。

 武により、鍛錬により、勁穴を開き至る人類種の次世代。

 それが達人アデプトである以上、どうしたって隣に死は在る。

 矛にてとどむと書いて武。

 矛を、とどむと書いて武。

 そのどちらであろうとその結果にはどうしたって死の影がよぎる。

 それならばその武を用いて次世代に至る達人アデプトと言う人種の傍に死がないはずがない。

 それを示す様に蛍光レッドのウィンドブレイカー型のテックコートと言う電脳世代の若者らしいファッションに身を包みながらも狛彦の腰には死の匂いを放つ利器が一振り。鉄鞘に納められた倭刀があった。

 ここ、積層都市ウツセミに住まうものならその佩刀を見て一つの道場を連想し、狛彦の名字を聞いて『あぁ、跡取りかな?』と思い至ることだろう。

 烏丸流刀鞘術。

 それが狛彦を達人アデプトへと至らせた武の名だ。

 散る桜に惹かれた狛彦は、はらりはらりと舞う花弁の中、ゆっくりと構えた。

 抱き込むように刀を身体で包む構えを取りながらゆっくりと調息を整える。

 しん、と世界が静けさの海に沈む。

 誰一人いない黄昏の公園にて、只一人、狛彦だけが居る。

 音が死ぬ中/はらはらと花が死ぬ最中

 ――一枚の絵が奔る。


「――――――、――――――」


 響く達人アデプト独自の錬氣の呼吸。

 そうして勁穴にて練られた氣が勁脈を奔り身体に満ちる。その刹那。抜き放たれた銀閃が一枚の花弁を両断し、続けての斬撃が花弁を更に四つに切り分け、更にと重ねて見せた斬撃が花弁を増やして見せる。

 銀閃が造る芸術。まさしくソレではあるのだが――

「……」

 為した狛彦はどこか不満そうに一度刀を払うと、チ、とハバキと鯉口に鳴き声を上げさせ刀を納めた。

 その視界の端を切り裂かれたか花弁が狛彦の未熟を嗤う様に風に乗って行く。


 ――烏丸流刀鞘術が絶技、三斬花さざんか


 為そうとしたソレと、己の為した『ただの速い三回斬り』。その二つの間にある大きな差に、狛彦は大きな溜息を吐き出した。


 ――未熟。


 その一言で片付けたいが、今は随分と難しい。

 己が強ければこう・・ならなかったかもしれない。もっと上手くやれたかもしれない。違う結末があったかもしれない。そんなことを思うが――


「……ま、言ってもしょうがねぇか」


 誰に言うでもなくぽつり、と呟いた狛彦はこの三年ばかり世話になっていた烏丸家への最後の家路を歩きだした。







 三年前のことを思い出す。

 下層と上層を繋ぐ三基あるエレベーターの一つの扉が開き、狛彦が一歩を踏み出せばそこには見たことの無い世界が広がっていた。

 積層都市の第三層。空の無いはずのそこには――空があった。天候反映型のスクリーンにより『自然』な朝と昼と夜が提供され、雨も降ることは無い。

 路地裏までもドラム缶の様な清掃ロボに掃き清められ、暗がりからこちらを狙う強盗や追い剥ぎどころか、ネズミ一匹、ゴキブリ一匹存在しない。

 道を行く人々の服は綺麗で、孔も開いてないし、そもそもただの『人間』しかいない。適性亜人レッドデミどころか、雨で肌が溶けた男も、腕や目の数がおかしい子供もいない。

 そう言う世界だった。

 吸い込む空気すらも下とは違う。

 にも拘わらずここ、下層と三層を繋ぐエレベーターのある区画は余り治安が良くないと言うのだからびっくりする。

 成程。この空間の中で過ごして居れば下層に住むモノなど人間ではなくネズミか何かに思えてくるだろう。「……」。初めて触れる『まともな人間』が暮らす世界に、どこか自分が場違いである様な気がして狛彦はパーカーの袖を少し引っ張ってみた。


「その服、虎一が用意したモンだろ? 良い服だぜ? 普通にしてりゃ誰もお前が下の出身だなんて思わないから安心しろ」


 調達屋ペリカンの男がそう言いながらカードを投げて寄越してきた。


「何これ?」

「IDカードだ。無くさない方が良いけど、無くしても良いぞ。偽造カードじゃなくて本籍として潜らせてしっかりと登録してあるからな。役所に行けば金は掛かるが再発行して貰える」


 お前はもう正真正銘で上の人間だ、と調達屋ペリカン

 エレベーターには武装した荒事屋ディンゴが張り付いている。下から上に。昇って来たのなら――いや、昇ろうとしただけでそれが例え小さな子供であったとしてもIDが無ければ何の戸惑いも無く射殺されるし、射殺することを肯定すらされる。

 下の住人の命はその程度だ。

 だが今、上のIDを手に入れた狛彦は正真正銘でカワセミの住人、市民となった。

 つい五分前までは銃口を向けて来たあの荒事屋ディンゴ達も、最早銃を向ける所か下層で襲われた場合は味方をしてくれるようになった。


「……」


 無言でカードの両端を押してみる。プラスチックらしい硬く、それでも多少の柔軟さで以ってカードが軽く反った。

 そこに書かれた英数字の羅列。こんなモノで狛彦の価値は随分と跳ね上がったらしい。

 何となく腰に佩いた倭刀に触れる。それは頼るべき力で、たった一つの誇りだ。


 ――何だ。


 何も変わっていないし、何一つ変わらないじゃないか。

 そう思うと手の中の板に書かれた英数字が随分と軽くなった気がした。


「……行くのか? どこか当てはあるのか?」

「烏丸流の道場を訪ねてみる。駄目だったら……まぁ、適当にやってくさ」


 軽く、ぽん、柄頭を叩きながら狛彦。

 力はある。技はある。誇りはある。ここにある。

 自分には剣しかないが、それでも自分には剣がある。

 である以上、どうとでもなるし、どうとでもする。

 それが虎一が狛彦にくれた力だった。


「――そうか。仕事を受けたくなったら連絡をくれよ、新人ニュービー?」

「……それも虎一から貰った料金内か?」

「生憎とそこまで貰っちゃいない。いないが――お前は落刃白虎の弟子だ。伝手を造って置いた方が良いだろ?」


 上手いことを言う。思わず苦笑いが浮かぶ。そう言う言い方をされると下手な真似は出来ないし、気合いも入る。


「……そんじゃそん時はよろしく頼みます」


 ――精々師の名を汚さない様に頑張らせて貰うので。


 右手のIDカードをぴらぴら振りながら、ほなさいなら。

 言うだけ言って狛彦は調達屋ペリカンに背を向け人の街へと溶けて行った。







 使い慣れない電脳端末をくるくるとひっくり返したりしながら、それでも狛彦はどうにか目的地に辿り着いた。

 第二層。中流階級が多く住まうカワセミ第二層のとある家の前。

 その門戸には『烏丸流』の文字があった。


「――」


 道場が併設されているからだろう。そう理解は出来ても門とその奥の家屋の大きさに、狛彦は馬鹿みたいに、ぽかん、と口を開けて門を見上げた。

 虎一から『俺の師匠が家でやってる道場』と聞いていたので、もっとこじんまりとしたモノを想像していたのだが……ちょっと大きすぎる気がする。

 中からも打ち合う音と気声が響いてくる。随分と人が多い。

 達人アデプトは鍛錬の果てになれるかもしれない・・・・・・人種だ。

 そうなってくると絶対数が少なく、その中でも更に深い所、一刀如意に至れる者となるとほんの一握りだ。

 身を守る為ならば剣より銃、銃より武装ドローン。そう言う時代なのだ。そのはずだ。

 狛彦にもその程度の知識はあったので、てっきり閑古鳥が、良くても小鳥が鳴いてるくらいの活気だと思っていたのに――


「……いや、デカいってことは余裕があるってことだ」


 それなら内弟子にして貰える確立もあがる。


「……でもデカいってことは強い奴も多いってことだ」


 質より量と言う言葉があるが、実の所、量は質を孕む。

 数が多く成ればどうしたって優秀な者だって多くなるのが道理だ。「……」。俺、通用するのかな? と十二歳らしい不安に狛彦はパーカーの紐を握って俯き。「――!」。通用するはずだ、と俯いたまま、それでも笑ってみせた。

 だって虎一が言ったのだ。『お前の腕なら悪い様にはされんだろ』と。

 自分が通用するかは不安だが、虎一の言葉は信じられる。そして自分の不安と虎一の言葉ならどうしたって虎一の言葉を信じるべきだ。

 ならばやることは簡単だ。そう思って顔を上げると――


「家に御用ですか?」


 りん、と空気が張った様な気がした。

 着物を着た綺麗な女の子が目の前に居た。同年代。だと思う。子供と接したことの少ない狛彦には今一相手の年齢が掴みづらいが、同年代と思われる彼女は夜を溶かした様な癖の無い長い黒髪を軽く耳に掛けながら固まる狛彦に柔らかく微笑むと――


「入門希望の方ですか?」


 と聞いて来た。


「……」


 上にはこんな綺麗な子がいるのか、と固まったまま、それでも耳に入った言葉が自動的に狛彦の首を、かくん、と縦に揺らした。


「そうですか。それなら道場の方に案内しますね」


 そんな言葉に引っ張られて道場の端にちょこん、と座る。

 そのまま鍛錬の様子を眺めてみれば、先程狛彦が抱いた疑問の理由が転がっていた。

 達人アデプトは武により至る。

 だが別に武は達人アデプトの専売特許と言う訳ではない。

 達人アデプト、或いは達人アデプトを目指す者達に混じって身体の何処かを機械に置き換えたサイボーグが剣を振るっていたし、鏡の前には明らかにダイエット目的と思われる一団までいた。


「……」


 酒に酔った時、狛彦がねだると虎一は修業時代の話をしてくれた。

 その中には当然虎一の師のこともある。虎一曰く、頭の固いクソジジイとのことだったので何となく厳格なイメージをしていたのだが、随分と広く門戸を開いているようだ。


「……電脳化、されてないんですね?」

「うぇ?」


 突然掛けられた言葉に少し驚く。見れば案内してくれた女の子がお盆に乗せてお茶を運んできてくれていた。「粗茶ですが」と差し出される。


「失礼かと思いましたが、首の後ろ、見させて頂いたんです」


 ごめんなさい。ちろ、と舌を出し悪戯っぽく笑いながら隣に座られる。


「あ、はい。してません。です」


 ……ちょっとどうせっしたらいいかわからない。


「わたしもしてないんですよ。お揃いですね」


 ほら、と髪を掻き分けて首の裏を見せてくれた。そこには彼女の宣言通り何もなかった。雪の様に白い肌があるだけだった。


「……」


 ……ほんきでどうへんじしたらいいかわからない。

 そもそもコレは無料タダで見て良いモノなのだろうか? 下層ではよく女で引っ掛けた獲物を男が狩ると言うことが行われていた。これはその一種ではないのだろうか?

 ここにきて虎一以外とは余り接触の無かった狛彦の人生経験が悲鳴を上げていた。大混乱だ。

 だから――


「おい、お前」


 やや怒気を含んだその声音が酷く心地よかった。

 だってそれは向けられ慣れた感情だ。下層では有り触れた感情だ。


「――」


 す、と呼吸が落ち着くのを感じながらそちらを向けばこれまた少し年上と思われる男の子がいた。手には刀鞘術の鍛錬に用いる為の鞘付きの模造刀が二振りある。

 色恋には疎い狛彦だが、時折り隣の女の子に視線を向けているのをみれば何となく事情を察することが出来る程度には分かり易い。

 新参の良く分からない奴が意中の女のうなじを見たことが許せないのだろう。


「お前、ここに入るのか?」

「……あぁ、そのつもりだ」

「へぇ? そんならちょっと遊んでやろうか?」

「やめて下さい蓮司れんじさん。あなたはもう勁穴が開いてるでしょ?」


 庇う様な女の子の言葉。それを聞いて狛彦の口角が持ち上がる。

 綺麗な女の子に話しかけられると動揺する。何を話せば良いのかも分からない。

 それが狛彦だ。

 だが――

 怒気を向けられることで落ち着いて、達人アデプトに喧嘩を売られると笑う。

 それも狛彦だ。


「アンタ、達人アデプトなのか?」

「あぁ、そうだ。どうする? 止めとくか?」

「……いや、折角だ。少し遊んでくれや」


 ほい、と右手を差し出すと、乱雑に模造刀が投げて寄越された。


「――ふん。後悔するなよ?」

「いやいや。優しい言葉は有り難いが――後悔させてくれよ・・・・・・・・


 犬歯を剥き出しに、笑いながら狛彦。

 だってそうでなければ上に来た意味がない。







 蓮司は鞘と刀を両手に持つ二刀。

 対して狛彦は鯉口を切るだけに止め抜かずの居合構え。

 双方、烏丸流刀鞘術の構えでありながら異なる構えを取り対峙した。

 そのまま、じ、とにじる様に間合いを詰め合い――

 あ、無理だ。

 一度も打ち合うことなく、狛彦はその結論に達した。

 ちょっと年上の達人アデプト。それがどの位強いのかが知りたかった。

 だって狛彦は虎一しか知らない。

 だから他の刀鞘術師の中で自分がどの位の位置に居るかが知りたかった。

 だがコレは駄目だ。本気で駄目だ。話にならない。――測る指標になりもしない。

 相手が遠間から一足を持って間合いを詰めての一手は烏丸流刀鞘術が一手、刀喰かたばみ

 鞘と刀。打撃と斬撃を放つ一手。

 虚実を混ぜ、打と斬、どちらが本命かを隠して放つ技だが――


 ――未熟過ぎて話にならねぇ。


 氣すら練る必要が無い――と言うか相手も練ってない。多分、動きながらだと練れないとかそんなんなのだろう。


 ――この程度か。


 失望。それがよぎる。

 下段から迫る鞘の一撃を踏んで止めて喉を柄頭で打ち抜き、悶えて首を晒した所を斬首。

 それでお終いだ。だから首を斬る所までは行かずとも、それをやろうとした。

 やろうとして、ふと思った。


 ――何か得意気だったからコイツは同年代では強い奴なのでは?

 ――そんな奴を叩きのめしたら印象が悪くなるのでは?


「……」


 それは拙い。だって自分は内弟子としてここに入りに――来たんだけど、この程度が偉そうに出来る道場なら別に良いや。

 もしかしたら門戸を広くしたせいで返って虎一の様なのが居なくなってしまったのかもしれない。そんな結論。

 それが出てしまったのなら話は速い。剣鬼に堕ちた仔犬は己の糧にならないエサには興味を示さないのだ。


「――」


 気声すら発さず、氣すら練らず、ただ単純に踏んで、打った。「ぐぇ!」と潰れたカエルの様な鳴き声が響き、喉を抑えた蓮司が床に転がる。その無防備な首の裏を冷たい眼で狛彦は見つめる。この程度か。その眼がそう言っていた。

 年齢を加味せずとも見事な狛彦の動きに道場の中の空気が固まる中――


「――次」


 何か色々めんどくさくなったらしい仔犬が、わん、と吠えた。

 ……実に生意気である。














あとがき

わん!




割烹には書きましたが、

『点滴が無ければ死亡確定。でも今は令和だからもう遅い!』

『日本の水道水は世界一ィィィィイィ! 一ヵ月何も食べてないけど俺には水道水があるので無双する』

『二ヵ月で40Kg痩せた俺、ダイエット広告が全部雑魚に見えてしまう』

の打ち切りをさせて貰いました。

ついでにデータが消えたので剣客ウルフも書き直しました。前読んでくれてた方々、申し訳ねぇ。


取り敢えず完全に復活――と言えるレベルになったので投稿を再開します。またお付き合い下さいませー。

健康状態を一応書いとくと食って動いて肉を造る段階まで回復したので、もう本当に大丈夫です。

筋トレにも目標が必要かな? と思うので、死にかけてる間に将棋のルールが変わって藤井くんにも勝てる目が出て来たからプロ棋士でも目指してみます。相手のマスク取ったら勝ちなんですよね(。´・ω・)?

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